第22話 進んで藪を突く様な真似はいたしませんっ。
学園長の柔らかく落ち着いた声音が、出来の悪い教え子のわたしに向けて、この世界の常識を語る。
「帝とかぐや姫は現王室の始祖。だから王室との関わりが密接な上位官僚たちが、彼ら始祖の史実に関わる情報を数多くまとめておる。」
うーん‥‥王室は、わたしを囲い込もうとした話なんかをつい最近聞いたばかりだから、出来れば関わりは避けたい。けど、地理も天文学も共に王室との関わりが密接な上位官僚が取り仕切ってると。参ったなぁ。
直接会わずに済ませられないかな?
「あの‥‥学園長。上位官僚の方の手を、たかだか学生の課題で煩わせるのは、本当に申し訳ないので、資料だけお借りできればそれで良いのですけれど。」
おずおずと妥協策を提示したわたしに、学園長が気さくな笑みを向ける。
「あぁ、それなら心配には及ばんよ。今ちょうど学園にその方が来ておられるから、忙しくてならないわけではないと思うぞ?」
「―――はい?」
ええっ、なにそれ?
と思ったら、丁度タイミングよく誰かが扉の向こうへやってきたらしく、廊下の声が途切れ途切れに室内へ響いて来た。
『 っだからぁ んで おまっ までここに いんだよぉ 』
『 ぉもしろそうな とに ってるから 見に来たんだ ほれどけ 呼ばれてん だから 』
んんん?ハディスが珍しく何か慌ててる。もう一人の声も気安いし、知り合い?けどこの声って――。
学園長に問う視線を向けると、にっこりとした張り付けた笑みが返って来る。
えぇー‥‥嫌な予感がするんですけど。
ぐっと、膝元のスカートを握る手に力を込める。すると、視界の端に緋色の小さな影がチョロリッと動いて、わたしの足元にびたりとくっついた。
こここん
何処かふざけた様子に扉が軽い音を鳴らすと、学園長の返答を待たずにノックの主は、ゆっくりと扉を開き始めた。
「クロノグラフ――学園ちょ?話があるって?」
扉の隙間から中を覗き込むように顔を出したのは、予想通りの、しっとりつややかな藍色の髪を無造作に下ろした、妖艶の表現がぴったりの美人さん――。
「ポリンド講師‥‥。」
「はぁい、子猫ちゃんたち。呼んだね?」
わたしたちの誰からともなく呟いた声に反応して、明るくウインクする姿に、この部屋に来るはずの人間像がガラガラと音を立てて崩れる気がする。
「地歴や天文学の専門家で、王室との関わりが深い上位官僚?ですか?」
「そ。」
わたしの声に気安く笑顔で答えながら入室したポリンドは、軽やかな動作で学園長とわたしたちの間の、お誕生日席にあたる1人掛けソファーに腰を下ろした。
「王城の文官の最高位。名誉職みたいなもんだけど、私以上の適任者は居ないと思うよっ。さぁ、話してごらん。」
わっくわくを絵に描いた様な、キラキラした瞳を向けて来る美人演劇講師ポリンド。これまで演劇では裏方担当だっただけあって、わたしはあまり面と向かったことはなかったから気付かなかったけど、このどことなく見覚えのある面立ちには、本当に嫌な予感しかしない。
ふと足元を見ると緋色の小ネズミが、相変わらずわたしの脚にぴたりと寄り添いながら鋭い視線を正面のポリンドに向けている。
「へぇ。あいつそんなに‥‥。」
「何か?」
「いいや?何でもないよー。」
うん、いま間違いなくわたしの脚元を見たわよね?ハディスのネズミに気付いてさらに愉しそうにしてるって事は、もぉ完全に緋色ネズミとハディスの関係を知ってる人だ。王室関係の上位官僚なんて言ってるけど、そんなもんじゃなくて王家の『有翼の獅子』の文様が使えるハディスと近しい人なんじゃないの!?
「えーっと確か君の名は、セレネちゃん?」
「はいっ!?」
しーっ、と口元に人差し指を立てて見せるポリンドに、学園長がにこりと微笑み、ギリムも何か察したのか微かに口角を下げた苦い表情になっている。
頼まれたって言いませんとも!って言うか、進んで藪を突く様な真似はいたしませんっ。
ポリンドは既に学園長を通じておおよその内容を聞いていたらしく、すぐに課題に関わる話が始まった。
「まずは地形の事なんだけど、この国の現在の
なんだろう、その大人の事情的な言い回しは。山を作った理由は、世のため人のためっていう良い理由ばっかりじゃないって事なんだろうなぁ、と漠然と察しておく。深く踏み込みすぎない、コレ大事。
「王城に深く入り込んだ職に就くか、王族の庇護を得る血縁に加わる事が出来れば話は別だけどね。」
「それってどう言う意味ですか?」
悪戯っぽく付け加えたポリンドに対反応してから、しまった、と思った。
「君たち女性なら、私くらいの上位官僚の地位に就くか、王族誰かのイイ人になるかすればチャンスはあるかもねー。妻とか愛妾とか?恋人程度じゃだめだよー。」
瞬間、緋色の小ネズミが凄い勢いで飛び上がってポリンドに短い後足で飛び蹴りを加えようとする。
ポリンドの藍色の髪が一房意思を持った様にふわりと動いて、眼前に迫ったネズミ―キックをパシリとはたき落とした。
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