第14話 笑み一つで無慈悲に切り捨てられる恐怖と衝撃の大きさは誰にも想像がつかないだろう。 ※ヘリオス視点

 不自然な静けさがかえって不安を駆り立てて、震える手を落ち着かせるように、ぎゅっと握り締めていると、ふと窓に映る自分が目に入った。


 お姉さまにとても良く似た、けれど違う僕。こんな時、お姉さまならどうする!?規格外のお姉さまならこんなところでただ震えているだけなんてことは無いはずだ!


「僕はお姉さまと肩を並べるんです!!」


 僕自身に喝を入れるように大きな声でもう一度宣言して、迷いなく馬車の扉の引手に手をかける。

 と、その時『トントントン』と気軽な調子で扉をノックするように、何者かが外から扉を軽やかに叩いた。


「お待ちください。只今身支度を整えますので。」


 相手がノックする程度の知識があることを確認した僕は、相手のペースを崩すためにわざとのんびりした口調で対応することにした。




「相変わらずの、不遜で、忌々しい態度の子供だな。」


 馬車内で脱いでいた制服のジャケットをしっかりと纏い、通学用リュックを担いだ僕が馬車の扉を開ける。すると、外には身なりの良い私兵と思しき者3名を連れた、一見して貴族と分かる豪奢な衣服に身を包んだ男が苛立たしげに腕を組んで立っていた。男は顔を覆った紫紺しこんの髪の隙間から眉根を寄せてこちらを睨み、それから視線を和らげて僕の背後の馬車を顎をしゃくって示す。


「それに引き替え、こちらは‥‥ふふっ、良い子達だ。」


 馭者ぎょしゃ台には焦点の合わない朦朧とした様子の小父おじさんが座り、その側に剣を握ったままの手をだらりと下げた護衛2人が酩酊状態のようにトロリとした視線で、ふらふらしながら立っている。


 良かった、みんなに怪我は無いみたいだ。けど、普通の状態じゃない。お姉さま程じゃないけど、僕だって商会員や周りの手の届く範囲の人が僕のせいで傷つくのは防ぎたいし、そうして来たんだ。お姉さまみたいに頑張る!


「みんなに何をしたの?僕を誰か分かってやってる?」


 精一杯の虚勢を張って言った僕に紫紺の男は愉しげに「勿論」と答える。


「バンブリア男爵家嫡男のヘリオス・バンブリアだろう?本来なら私にそんな口を利ける立場じゃない子供だ。」

「僕は貴方を知らないし、襲撃犯に立場のことを言われる筋合いはないよ。けど、家格の力関係で無理を押し通されるのも厄介だから、今は話を聞いてあげるよ。」


 お姉さまだったらこんな時どうするか・と姉の姿を必死に脳裏に描きながら対峙の姿勢を取る。紫紺の男はこちらの瞳をじっと見詰めつつ「やはり効きが悪いな‥‥。」などと呟きながら忌々しそうに舌打ちをする。


「お前たちは私のことを忘れるのだ。この場で起きたことも。」


 紫紺の男は、僕の乗っていた馬車の側にいる護衛2人と小父さんに向かって何でもない事のように声を掛ける。すると、3人はぼんやり彷徨わせていた視線を紫紺の男にぴたりと向けて静止する。


「私から直々の命令だ。嬉しかろう?ここでは何もなかった。そのままバンブリア邸へ帰れ。簡単なことだ。私の言葉が響くお前たちには簡単な仕事だな?仕事が早い奴は誰だ?私に少しでも優れているところを見せたければすぐに動け。」


 声を掛けられた3人は立ち去りがたそうに身じろぎするが「さあ!」と声を掛けられたことにより、またふらふらと動き出し、そしてヘリオスを乗せないまま馬車は静かに動き出した。


「何ですか?今のは。みんなに害が及んでいるのではないのですか!?」

「害などあるものか、ただ今の私との逢瀬おうせの間の素晴らしい想い出が、深く心の奥底に刻まれただけだ。残念ながらバンブリア邸に着く頃にはここでのことは全て忘れてしまっているだろうがな。」


 ふんと鼻で笑いながら紫紺の男は、ネズミを前にした猫のように、愉悦に満ち、自身の優位を疑わない嗜虐的な色を浮かべた紫の瞳を細める。


 この男の眼――見ていると頭の芯が痺れて気持ちと行動が乖離かいりして、それすらも心地好く感じられてくる感覚は知ってる!ユリアンの薄紫と同じ眼だ!


「冗談じゃありません。」


 決意を込めた瞳で、真っすぐに男の紫の眼を見返す。

 あの時、ユリアンの魅了に囚われていた時にお姉さまに掛けられた言葉は、ふわふわと真綿に包まれている中や、温水のような心地好い中にあった気持ちに、一瞬で氷水の中に突き落とされた衝撃と絶望を与えてくれた。


『誰かのお尻について歩くだけしかできない軟弱者なんて、商会のためにならないわ。わたしが蹴落としてあげましょうか?まぁそれ以前に、百戦錬磨の商会員の中で勝ち残ることすら出来ないでしょうけど。』


 嫣然えんぜんと笑ったお姉さまは本気だった。僕の全てを肯定してくれるかの様な魅了の心地好さに対して、お姉さまの笑みは僕を全否定する魔王の様だった。そしてようやく思い出せたんだ、僕はお姉さまに負けていられないんだって。肩を並べて商会を発展させる立ち位置は誰にも渡さない。規格外すぎるお姉さまに追いすがる為に僕は沢山努力してきたんだ。それなのに、お姉さまに笑み一つで無慈悲に切り捨てられる恐怖と衝撃の大きさは誰にも想像がつかないだろう。


 ややあって、その場から黒塗りの馬車が去って行く。馬車は家紋こそ付いていないものの、高貴な者のみが使用することを許される黒塗りの馬車だ。カラカラと軽やかな音を響かせて馬車が林道を通り抜けて行く。


 馬車が去った後の林道には、何人もの足跡が残されていたが、その誘拐劇を証言できる者は誰一人居なかった。

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