第2章 誘拐編

第1話 いつも通りの耳慣れた美辞麗句はどこへ行った? ※イシケナル視点

 鉄格子のはまった窓に、曇天から落ちた雨粒が激しく叩きつける。豪奢な赤い絨毯が敷かれた広い室内、大きな窓という窓にはもれなく鉄格子が取り付けられている。しかしその鉄格子は部屋の調度と同じ様に、豪奢な窓枠の装飾の一部であるかのような優美な曲線を描き、この家の財力を表わしている。

 雨粒に続き、空一面に鋭い光が枝分かれして暗がりに沈む大気を切り裂く。次いで、ゴロゴロと云う不穏な音が辺りに響き渡る。


「そんなことだからお前は役立たずなんだよ。」


 目の前で跪く男の顎を、手にした剣の鞘の先でついと持ち上げる。対する男は不遜にも恍惚とした表情で、稲妻による光の加減で鮮やかに照らし出された紫の瞳に引き込まれたように、こちらから目を離すことはない。


「あんな小娘一人あしらうことも出来ないなんて、とんだ期待外れだ。」


 再び外からの稲光が室内を照らし出した時、跪いたグレーの髪の男、元・大禰宜だいねぎムルキャンの姿が浮かび上がった。高慢であるはずのムルキャンだが、一方的に彼を詰る鉄格子の部屋の主には何も言い返さず、ただ陶酔したような熱の籠った視線を向けるだけだ。


「しばらくは王都より姿を隠すと良い。話すことは終わりだ。下がれ。」


 告げるが、ムルキャンは動こうとしない。微かに舌打ちをした部屋の主は、不承不承といった様子で使用人を呼ぶベルを鳴らす。と、少しの間もなく執事姿の男が「お呼びでしょうか。」と頬を高揚させて姿を現す。


「この男を王都の外れまで送る手配を整えろ。すぐに。」


 端的な説明だったが、この出来た執事は一つの言葉で十を理解する良く出来た男だ。あとは全て彼に任せたままで万事手配を整えてくれるだろう。迅速に。

 それだけの優れた人材が自分の元には集まっている。黙していても、自然と引き寄せられてくる。それは今に始まったことではない。その為の窓を覆う鉄格子だ。望まぬ者の侵入を許さない為の。執事の隠しきれない熱を帯びた視線に、そろそろ彼も入れ替え時かとイシケナルはそっとため息をついた。





 その邂逅は偶然だった。ちょうど1年前、久しく外の光を浴びていないことに気づいたイシケナルはひと月振りの馬車での遠出を楽しんでいた。貴族が乗る馬車というには、堅牢度に重きを置いた車体にはどこか装甲車じみた雰囲気が漂う。屋敷の部屋同様に、窓に取り付けられた鉄格子がその無骨さをさらに強調しているが、これはイシケナルの固有魔力の効果を思えば仕方のない処置だった。


 街中へ出掛けるのは人間が多すぎて危険が高い。だからその危険を回避して、王都にほど近い長閑な林の中の湖畔に出掛けた。この近くには自身のミーノマロ家が所持する別荘の一つがあることも、選定理由の一つだったし、何より自身の護衛や侍女、従僕に至る全ての人目に出来る限り触れたくないと云う思いが強く働いた。林の中ならば人々の視線が途切れるところも多いことだろう。いつも閉ざされた部屋に引き籠っているイシケナルが扉を出たとなれば、こぞって屋敷の内外の者たちが自分に近付き、熱い視線を送ってくる。その事に飽き飽きしていた。万一に備えた護衛や、陰に潜む手練れの者も大勢用意していたはずだった。なのに忽然と現れたその森に溶け込む魔物はあっという間に護衛たちを麻痺させ、行動不能に陥らせてしまった。トレントの亜種―――どんな特殊な魔力を帯びたらそのような変化を起こすのか、その小さなトレントは、動きの俊敏さは従来の巨大なトレントに及ばず、さらに大きさは幼木とさして変わらないくせに、可憐な花を付け、その花粉で獲物を麻痺させてしまう恐ろしい力を得ていた。イシケナルは人目に触れぬために顔の下半分を覆っていたスカーフのお陰で花粉を吸わなかった様だ。


「人相手ならまだ打つ手はあるものを‥‥。口惜しい。」


 一人残ったイシケナルが呟くと、魔物はさらに勢い付いて、しかしゆっくりと細い根をタコの脚の様にくねらせてにじり寄ってくる。

 動きを封じられながらも、護衛たちは主君であるイシケナル・ミーノマロを守ろうと、ある者は伏したまま掌で地面を掴んで、またある者は芋虫の様に体全体を使って主人のもとへ少しでも近付こうと足掻く。けれど、どんなに動きが愚鈍な魔物でも、彼らより早く主人のもとへ辿り着くだろうことは容易に想像できた。倒れた護衛や従者たちの眼に絶望の光が見え隠れした時、鮮烈な桃色の光が差し込んできた。


「大丈夫ですか!」

「安心して!わたしが来たからには、魔物には貴方たちに葉っぱ一枚触れさせないんだから。護衛の皆さん、自分の危機を顧みずに主君を護ろうとするなんて素敵な方々です!」


 光だと思ったのは、風の様に速く飛び込んで来た2人がたなびかせた明るい桃色の髪だった。一人は珊瑚のように力強ささえ感じさせる鮮やかな色を持つ少年。いま一人は桜のように可憐で眩しい光を放つ少女。

 2人は告げた言葉の通り、あっと言う間に手にした鎌でトレントの亜種を切り刻み、その残骸を大切そうに持参していた大き目の袋に詰め込んでいった。袋の中には既に同じような残骸がたっぷりと入っていたが、何かと問うと「冒険者ギルドからの駆除依頼達成と合わせて珍しい素材も集められる、一石二鳥のおいしい仕事」だと少女の方が胸を張って答えた。


 イシケナルはいつも通り鷹揚に礼を告げようとしたが、その言葉を待たずに、少女の方が申し訳なさそうに声を潜めながら話し掛けてきた。


「あなた‥‥もう少し。運動したほうがいいわ。その、健康のためにも。よかったらいい運動用具をお勧めするわよ。どんなか弱いご令嬢やお年寄りでも簡単に使える手頃に扱える物があるから。」

「だっ‥‥ダメです!お姉さまっ。何てことおっしゃるんですか!」


 少年の方が目をむいて声を張り上げる。


「だってヘリオス、折角お知り合いになれたのに、不健康そうな様子を見て見ぬふりは出来ないもの。良かったらこちらへ連絡をください。健康器具の事で、と添えていただければ分かる様に商会の者に伝えておきますね。」


 渡された名刺には『バンブリア商会』と書かれていた。

 どんなか弱いご令嬢やお年寄りでも―――。不健康そうな様子―――と?イシケナルは発すべき言葉を失い、呆然と立ち尽くした。いつも通りの耳慣れた美辞麗句はどこへ行った?―――と。


「済みません、お気になさらないでください。お姉さまは根は良いのですが少々デリカシーに欠けるところがありまして。決して悪意があるわけではありませんから。それではっ。」


 2人は、挨拶もそこそこにくるりと背を向け、倒れた護衛や従者たちに解毒薬を手際良く施した後は、イシケナルを一顧だにせずに来た時と同じ様に軽やかに駆けて去って行く。

 これまで自分と顔を合わせた者たち、ましてや声を交わした者たちはその場に根が生えたかのようにぐたぐたと留まろうとし、更に近付こうとするのが常だった。なのにこの二人の反応ときたら、取るに足らない出来事であるかのように、言いたいことだけ言い捨ててさっさと立ち去ってしまう。


 このように蔑ろな反応など‥‥。と、イシケナルはきり、と唇を噛んだ。

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