第54話 何らかの危機からは、逃れる事が出来た様です。

 ハディスは、急ぎ足のままひたすら王都中心部をはしる大通りへ向かう。この通りには辻馬車や馬借が居るため、それらを利用されると追うのは少々きついことになる。

 そう思いながら後を追っていたのだけれど。


「ハディス様、延々歩いていますねぇ?お陰で見失わずに追い掛けることが出来て、助かるんですけど。」


 早足で急いでいる風でありながら、辻馬車を使うでもなく黙々歩く非効率的な様子に思わず呟く。


「意外と近くに目的地があるのかしら?一等地のこの辺りだと、貴族とまではいかなくても裕福な人達が多いところよね。」


 それでも、道なりに建つのは周囲をぐるりと高い塀に囲まれ、緑豊かな庭を持つ家並みだ。簡素なバンブリア邸と比べてもさほどの遜色もないだろう。

 しかしハディスはそのどれにも見向きもせず、黙々と早足で歩き続ける。

 すると次第に視界の端にチラチラと動くものが映るようになってきた。


「えぇ!?ネズミっ‥‥この辺、手入れが行き届いていそうなのに何、このネズミの多さ!」


 しかも、緋色がかった見慣れない毛色のものばかりが、あちらこちらを動いているのが目に入ってくる。緋色のネズミは、保存していた穀物を食い荒らすものとは違い、鑑賞に堪える美しさだ。頭の上の大ネズミよりも小さい彼らは、落ち着きなく物影から出たり入ったりを繰り返しているだけで、共通して目的がなく落ち着かない様子だ。


「綺麗なだけに残念よね。」

「くくっ‥‥そうですか。」


 何気ない返事のはずなのに、喉の奥で圧し殺したような微かな笑い声が頭上から響く。右往左往する若干硬そうなモフモフが、そんなにツボに嵌まったんだろうか?もしやオルフェンズまでもがモフ好きなのだろうか。意外な嗜好もあったものだ。



 ハディスは早歩きのまま延々と歩き続け、その景色はいつの間にか見慣れたものに変わっていることに気付いた。


「あれ?ここ王立貴族学園への通学路よね。」

「私も、あの赤いのがまさかここまでただ歩き続けるとは思いませんでした。」


 流石のオルフェンズも呆れの表情を滲ませる。

 遠景に見えていた白い城壁が段々と大きくなり、歩き続けるハディスの後を追い続けた今では聳え立つ様に進路に立ち塞がる。王都中心を抜ける大通りは城壁まで辿り着くと、ぐるりとその周囲を巡る道となり、しばらく進んだ先にようやく街と城郭を繋ぐ大門が現れる。その門を潜るとすぐに、わたし達の通う学園が現れる。学園の周囲には木々が厚く生い茂り、第2の壁の役割を果たす様に視界いっぱいの緑が広がる。その先にあるはずの学園背後に位置する湖さえ、ここからの眺望は叶わない。


 ハディスはそれでも歩みを止めずに、迷路のように生い茂った木々の間を迷いない足取りで抜けて行く。

 木漏れ日も僅かな薄暗い森の様相を呈していた景色はやがて拓けて、緑鮮やかなこずえの隙間に広い湖面が日の光を反射して、きらきらと輝く美しい景観に変じる。


「懐かしいですね。桜の君とここで邂逅を果たしたのが、随分昔の事のように感じられます。」


 白銀のヴェール視覚効果エフェクトもあってか、何故か美しい自然の中で薄い笑みを浮かべたオルフェンズが、少女漫画の良い雰囲気を描いたひとコマの様にキマっている。けれど、この男との出会いは絶対にそんな良いものじゃなかった、騙されないぞ!


「オルフェに簀巻きにされて、沈められたのよね。お陰でわたしは新作のドレスで水泳をして、投げ技まで決める羽目になったわよ。水草の髪飾りなんて初めて着けたわね。」


 斜め上にある男の顔を見上げながら、じっとりと睨(ね)め付ける。


「噂に聞いていた以上の桜の君の光芒に、私は成す術もなく撃ち抜かれるのみでした。初めて目にする貴女の珠玉の御技みわざの数々は、その全てが赫赫かくかくとした眩さに包まれていました。」


 陶酔した表情で語るオルフェンズは、こちらの話が聞こえないのか、聞いていないのか。


「壊さずに手中に入れたいと――逃がすわけにはいかないと、そう思いました。」


 ヒヤリとした暗い光を湛えたアイスブルーの双眸が私を捉え、いつかハディスが口にした『オルフェンズは、気に入った者の生命を奪うことで充足感、高揚感を得てきた困った男だ。君は、あまり深入りしないほうがいいよ。』との忠告が頭を過ぎる。

 このままオルフェンズの使う白銀の紗の魔力から抜け出せなかったら、周囲の人からの認識が虚ろな今の状況がずっと続くということだろうか?だとしたら本当に簡単に、この男はわたしの身柄など手中に収めてしまえるのだろう。一瞬思いつめた色を見せた瞳を、じっと見上げてため息を一つつく。


「わたしは逃げないし、こうしてドンとここに構えているから変な心配はいらないわよ?捕まえようとされれば全力で逃げて隠れるけど、一緒にいる分にはこうして同じ時間を過ごせるから、どちらがお得か考えてみて。」


 にこりと笑って見せると。冷たかった青に暖かな光が微かに混じった。


「桜の君らしい、と言うべきなのでしょうか?」


 はっきりとは分からないけど、から逃れる事が出来た様だと心の内でため息をつこうとした時、突然、周囲を覆っていた白銀の魔力がビリビリと震えて、何か別の異変が起こったらしい事実が伝わって来た。

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