第50話 ほんと、自由人なんだからね。

 大ネズミは、お風呂騒ぎのあとすぐに姿を見せなくなった。居なくなったらなったで、寂しい気もするんだけど。


「あいつらは普通の動物じゃないし、また気まぐれに姿を現すよ。なんてったってネズミだし、街のあちこちに散らばってるからねー」


 ハディスが、なぜか困った様に言う隣でオルフェンズが微かに口元に薄い笑みを浮かべていたのは関係があるのか、どうなのか。

 それよりも、わたしには気になっていることが2つある。


「オルフェ!消える前に聞いておきたいんだけど!」


 がっしりと、オルフェンズのまとうゆったりとしたブラウスの袖口を掴む。

 そう、気になりつつ確認できなかったことその1。アイリーシャが、暗殺者と祈祷師に対価として渡したはずのラシン伯爵家の家宝「玉の枝」は、ムルキャンの手にあった。祈祷師として貴族たちに黄色い魔力を帯びた水などをあきなっていたのがムルキャンだから彼の手にあったのはまだ分かる。けど、暗殺依頼を受けたオルフェンズとの繋がりはどこにあったのか?


「あなた、誰からの依頼を受けたの?失敗したあなたが狙われたりするんじゃないの!?大丈夫なの?」


 ムルキャンの現れる前に姿を消したオルフェンズ。その理由が、わたしの暗殺を企てた大元であるムルキャンから隠れようとしたなら説明がつく。依頼主を裏切ったことになるわけだから。

 けど、アイリーシャ繋がりで、ラシン家の暗部所属であったなら、家に話を通すとか別の解決方法を考えないといけない。依頼元については、これまで濁されっぱなしなのだ。「ただ、興味深く姿を追っていたうちの一人への邂逅の機会を貰い受けだけのこと」とかなんとか。

 必死に袖口を握るわたしの手の上からヒヤリとした手が添えられる。


「私の心配ですか?嬉しいですね」

「心配?そう、そうね当たり前じゃない!あなたはわたしのブランドアピールの大切なモデルですもの!」


 取り敢えず、咄嗟な理由はそんな薄っぺらいものしか出せない。でも、それがわたしの中では重要事項なのだ。一緒に仕事をした今、わたしはこの男を守るべき『身内』としてカテゴライズすることにしている。だから見殺しにすることは出来ない。とは言うものの、この男の暗殺任務遂行の後押しとして、わたしが殺されてあげるつもりは無いけどね。


 殺されかけておいてなんだけど、この男は自由すぎる。多分、本気でやろうとしたら、湖を泳いでいたときも、商会帰りに破落戸ごろつきに追い掛けられたときも、殺せてしまえるチャンスなんていくらでもあったのに、見逃して来るし。ダメ元のモデル依頼もすんなり受けてくれるし。そう思ったら、ちょっとは情が湧くもの。


「桜の君のお心を煩わせるものなど、何もありませんよ。私に命じられる者などありません。そうですね、それでも私のために心を痛めてしまわれると仰るのなら……桜の君に出逢えたのは、偶然ではなく必然。私自身が依頼を受けた者から奪い取ったのです」


 と、自然に袖口を握ったままの私の手を持ち上げて、薄く笑みを浮かべた唇をそっと寄せた。


「は!?」


 それは、暗殺者から暗殺依頼を奪い取ったと言うことで、もしかしたら金銭のやり取りとか、話し合いとか言う穏便なものでもなく……。嫌な予感に思わず、唇を寄せられていることは頭から吹き飛んで、その手でがっしりとオルフェンズのあごを掴む。


「なに危ないことやってるのあなた!」


 暗殺者が暗殺依頼を力で奪い取って、その先が穏便であるはずがない。危ないのはわたしだけじゃなかったんじゃない!なにやってるの、この自由人は!

 想像もしなかった事態に混乱した頭の中が、ぐるぐると無い答えを出そうとして動き続ける。


「お姉さま、確かに危ないこと、ではあるでしょうけど……。部下へのしつけはハディス様にお任せしてはどうですか?」

「え?」


 解を出せずに硬直していると、ヘリオスがおずおずと発した声で、ようやくフリーズ状態から思考が抜け出した。

 改めて周囲を見回す。何かやろうと、一歩踏み出した格好で静止したハディスと、あり得ないと言ったように首を振るヘリオス。そして、私の手が掴んでいるのは……意外に柔らかい感触を再確認しつつ、恐る恐る正面に立つ美丈夫に視線を向ける。


「オルフェ?ごめんね?」


 てへっと首を傾げてみせる。が、いつもは薄い笑みが基本の男に表情は伺えない。いや、掴まれているから笑えないのだ。わたしの手のせいで。

 顎を掴んだ私の手に添えていた手を、パッと離したオルフェンズは、無言、無表情で顔を背ける。白銀の艶やかな髪の隙間から見える耳が若干赤くなっている。

 まあ、そうだよねー。普通、顎なんて鷲掴わしづかまれたら怒るよね。


「セレネ嬢、僕の部下の吟遊詩人への躾?は僕がちゃんとしておくから、この辺にしてやってくれないかなー?」


 ようやくハディスが動作を再開する、が、その表情は何故か半笑いだ。それを見たヘリオスが、ムッと眉を吊り上げる。


「あなたが、そんな締まらない態度だから、オルフェンズ様も自由すぎるのでしょう」


 フンッと鼻息荒く告げる。これぞ、使用人に向けるしっかりした態度だとヘリオスを頼もしく見ていると、強めの視線がわたしに向いた。へ?なんで?


「お姉さまも、隙がありすぎます!自重なさってくださいね」

「あーそれ、僕も同感ー」


 すかさず合いの手を入れたハディスが、またヘリオスに「それが締まらない態度だと言うんです!」と、怒鳴られていたけど、わたしから怒りが逸れたなら良かった。


 しかし、隙ってなんだ?

 ご令嬢方からの嫌がらせ対策ならば鍛練の成果もあって万全かと思っていたけど、次期当主のヘリオスの目から見たらまだまだなのかなぁー。これは精進しないと。

 こころざしを新たにしたところで。


「オルフェ」


 呼び掛けたら、もうオルフェンズは姿を消していた。

 ほんと、自由人なんだからね。

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