第48話 いつまでも煮え切らない、特大の赤ネズミ ※ハディス視点

「みんな出ていって―――っ!」


 セレネ嬢の叫びと共に石鹸や、バスオイルやシアバターの容器など、浴室内の小物がとにかく良い勢いでぶっ飛んで来る。令嬢のか弱い抵抗などではなく、真にダメージを与える攻撃力を持った投擲武器となって。

 ぎょっとして立ち尽くしたヘリオスを庇って手刀で片っ端から叩き落とすけれど、セレネ嬢も咄嗟のことで加減が吹き飛んでいるらしく、膂力だけでない魔力上乗せのかなりの勢いで、受けたこちらの手がじんじんする程だ。無防備に当たったら、打撲じゃ済まないものもあった気がするけど、浴室を開けたこちらに大いに非があるのは間違いないのでそっと扉を閉めて廊下へと出た。


「あなたたちは一体何をなさっているんですか?しかも浴室で」


 ヘリオスの視線が痛い。

 護衛と、雇い主の息子という立場なら、年下の少年に説教されるこの状態もまぁ仕方ないかなー。と、僕は思うけど……。説教される内容が『ご令嬢おねえさまの入浴を覗こうとした疑惑』なこの状況は、十代そこそこの男子ならまだしも、しっかり社会に出ている大人男子には情けない。

 そんな僕の内心の葛藤に気付きもせず、ヘリオスは姉を守るために強気な表情を作ってみせる。けれどねぇ、幼さの残る顔付きにもかかわらず威厳ある強い視線を作ろうとしている目は、力を入れすぎて潤んでいるし、身長はこちらが圧倒的に高いから上目遣い。しかもセレネ嬢より強い色彩とは言え、ほぼ瓜二つの容貌―――「うちの弟、天使!」といつも惚気るセレネ嬢の気持ちがよく分かる。この姉弟きょうだいは、黙っていさえすれば間違いなく誘拐犯垂涎の的だ。まぁ、中身が揃って色々規格外だから大人しく攫われはしないだろうけど。


 ―――いや、そうじゃなくて。

 大分セレネ嬢のお気楽思考回路に影響されてしまったらしい。眉間をくっと指で摘まむ。


「おい、赤いの」


 僅かな笑いを含んだ声音に、反射的に「ぁあ?」とぶっきらぼうな言い方で返す。


「さっきからネズミたちがお祭り騒ぎですよ」

「んなっ!」


 オルフェンズの言葉に慌てて見回せば、周囲を小さな気配がチョロチョロ動き回っている。リアルなネズミではなく、セレネ嬢の頭に乗った大ネズミの眷族の方だ。落ち着きなく部屋の周囲を駆け回ったり、様子を伺おうとするけど躊躇して引き返して行き来を繰り返したりしているのは、間違いなく僕の影響だろう。しかも、こんなに沢山、よく集まったものだ……。

 思わす遠い目になっていると、隣で黙って僕とオルフェンズとの会話を聞いていたヘリオスが、顔をしかめる。


「我が家にネズミはいないですよ?何の話ですか?人聞きが悪いですよ。食料品や衣類も扱うんですから」

「あー、うん。そのネズミは居ないから安心して?」

「いつまでも煮え切らない、特大の赤ネズミなら居ますがね」


 僕の言葉にかぶせ気味になんてこと言うんだろうね、この銀のは。

 澄ました表情を崩さないオルフェンズを半眼でじとっと見遣ると、更に揶揄う様に口元に薄い笑みを浮かべられて、僕は少し言い訳めいたことを口にすることにした。


「僕はスカウトするべき時期を待っているだけで、煮え切らないわけじゃないからね?なんなら強権発動することも出来るんだよ。君に対してもね」

「何のための、誰のためのスカウトでしょうねぇ。いっそのこと、排除して差し上げましょうか?その方がお互いのためかもしれませんね?」

「ハディス様、強権それは護衛のお話を受ける事となった際の制約に反する事になります。御璽つきの契約書にしっかりとサインをしていただいたはずです。期限まではあなたはこの家に仕える一護衛であるはずです。ネズミがどうやったらそんな物騒な話になるんですか」


 呆れたようにフンッと鼻息を鳴らすヘリオス。

 まぁ、極端なことを言った自覚はあるから、「分かってるってー。言っただけだから」と冗談めかして言うけど、ヘリオスはさらに態度を硬化させる。


「とにかく、がお姉さまに無理を通そうとした時には、僕たちバンブリア一家が揃って立ち向かわせていただきます」

「分かってるよ。『継承者の可能性のある者』には無理強いをする気はない。卒業を待って王城への就職という形で話を持って行く予定は変わっていないし、その前にセレネ嬢に目を付けた高位貴族が君たちに何かしでかさないように、僕がここにいるんだから」


 だからもう少し僕のことを信頼してほしいなぁー、とウインクしてみせると、ヘリオスはまずい物を食べたように顔を歪め、オルフェンズはふっと薄く笑う。


「だから、面倒な者共などまとめて灰燼に帰しさえすれば丸く収まるのですよ」

「いや?それ大問題だからね?相手は王族と高位貴族たちだから国家転覆レベルの大事を起こそうとしてる発言になるからね?」


 わざと大きなため息をついてみせるけど、この銀のは薄笑いのまま表情を変えない。僕と違って冗談を言っている訳じゃないし、本気でやろうとしたら良い線行ってしまいそうなんだよねー。させないけど。


「まぁ、あなた方がどれだけ頑張ってお姉さまを王城へスカウトしたところで、お姉さまの商会にかける情熱はそう簡単に覆すことは出来ないでしょうから、断られることになるでしょうけどね。あなた方がお姉さまのスカウトにどんな条件を提示できるのか、見ものです」


 ヘリオスが得意げに話すのを見ながら、セレネ嬢が夜会の場で咄嗟に言った言葉を思い出す。あの時は、この銀のに捕まりながら、それでも威勢よく捲し立てた姿にビックリしたもんだ。


「一緒にバンブリア商会を盛り立ててくれる人を婿にとるのが希望だっけ?手強いよねー」

「僕も、お姉さまの発想を最大限実用化して、お姉さまとともにバンブリアこの商会を盛り立てて行くのが夢ですから。誰にも邪魔だてさせないように出来得る限りの努力をしてみせるつもりです」


 強い決意を持った瞳でこちらを見詰めてくるヘリオスに、学園の卒業祝賀夜会の後、事情聴取のためにバンブリア父子を呼んだときの会話が脳裏に甦った。

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