第41話 ネズミって、わたしの事?それとも大ネズミの事?

 黄色い超巨大ウミウシが消失して殆ど時間がたたないうちに、わたしたちはその場所へ到着した。そこにあった建物の見上げるほどの大扉には、女神の神話にまつわる情景のレリーフが施されていて、円筒形の柱が均等に配置された白亜の建造物は豪華かつ重厚―――そう、ここは。


「ここは、王都最高位の中央神殿ですね。お姉さま、魔力はここに消えたのですか?だとすると本拠地で味方を得て警邏隊を迎え撃とうとしてるのでしょうか……」


 不安そうな顔も可愛い、ヘリオス。けどお姉さまがしっかり護るからね!


「先にハディスや王都警邏隊員さん達が来ているんだもん、わたしたちの助けになってくれているんだし、ちょっとでも力になりたいから追いましょう!」


 大扉は片側が既に開け放ってあって、先に来た人たちがいることが分かる。

 黄色い魔力騒ぎを起こした神官や禰宜ねぎの本拠地だけに、あちこちに黄色い魔力があるかと思ったけど、建物内に踏み込んでも、黄色は全く見当たらない。初めて踏み入った神殿は、想像通り入ってすぐの場所が広いホールとなっており、突き当りに女神像を備えた祭壇、そして両脇には外と同じような円筒形の大きな柱が立ち並んで高い天井を支えている。市民たちが礼拝に訪れたり、公式行事の際には1000人を超える人々を収容することも可能なのだとヘリオスが教えてくれた。

 けれどここにはハディスたちの姿はない。でも姿が見えないだけで、どこか離れたところから微かに喧騒が聞こえてくる。この建物内で間違いなさそうなんだけど、どこをどう行った先に居るのか全く見当がつかない。


 突然、チカリと祭壇の奥から黄色い光が漏れ出た。


「ヘリオス!あっちに光が見えたわ」


 指さして走り出すと、真横を何か大きな影が追い抜く。


「ひゃっ!」

「お姉さまっ?」


 影の主はわたしの前を、丸い大きなおしりをむちむちと上下させながら短い脚をちょこちょこ動かして駆けて行く。緋色の毛並みで木の間を飛び移っていたあの大ネズミカピバラの突然の再会に、非常時だけどちょっぴりだけ気持ちが弾む。何かあったのかと聞いて来るヘリオスには、わたしたちの前方を走る大ネズミは見えていないみたいだ。あの可愛いお尻が見えないなんて残念……ううん、ヘリオス自身が愛らしい天使だから問題ないわね。

 うんうん、と納得していたら、ヘリオスに「驚いたりニヤついたり、ご令嬢らしからぬことになってますよ」なんて注意された。ひどい……可愛いは正義なのに。


 大ネズミは、ぼんやりと薄赤い光を発しながら祭壇横の人ひとりがやっと通れるような小さな扉の前でわたしを振り返る。そっと扉を開くと、そこは長い回廊に繋がっていた。大ネズミはまたわたしたちを先導するように走り出したので、そのまま後を追うことにする。


「お姉さま、黄色い魔力が見えているんですか?」

「うーん、黄色じゃないけど、多分このまま行けばハディスに会えるんじゃないかな」


 やがて回廊の途切れる先、月明かりに照らし出された庭園が見えてきたところで、大勢の足音や怒号が聞こえてきた。大ネズミは、目標物を見付けたとばかりに更に加速して、数歩だけ先にあった丸いお尻がどんどん離れて行く。

 大ネズミから遅れて庭園に出ると、思った通り警邏隊員達がムルキャンを取り囲んでいるところだった。


「なんだ?どこのネズミかと思えば、破廉恥ハレンチ娘がこの神聖な神殿に何の用だ」

「はぁ?はれんち!?」


 正面の捕り物の様子に注目していると、思わぬところから思わぬセリフが飛んできた。

 しかもネズミって、わたしの事?それとも大ネズミの事?


 動揺しながら振り返ると、今わたしが出て来た、回廊からこの庭園へ繋がる開口部のすぐ脇に見慣れない長身の美丈夫が立っている。彼は、純白のすその長いローブに、精緻な細工の施された銀の肩当てを付け、肩甲骨までの鮮やかな黄髪をふわりと揺らしつつ、壁に肘をついて、胡乱な目でわたしを見ている。


「破廉恥娘、さっさと立ち去れ。こちらを見るな」


 心底面倒くさそうに話す美丈夫の前に、別の少年が無言で立ち塞がる。けどこっちの少年は、わたしとそう歳も変わらなさそうな風貌だ。オリーブ色のショートカットの髪が若々しい。しかも身長もわたしと同じくらいだから、頭の上からしっかりと黄髪のお兄さんの顔は見えている。頭の上をちらちらと見るわたしの視線に気付いたのか、少年は片眼鏡モノクルを付けた鬱金うこん色の瞳を眇めて、口をへの字に曲げる。


 背後で、ヘリオスと護衛が息を呑むのが聞こえた。

 え?なに?ハディスたちがピンチなんじゃないでしょうね!

 慌てて警邏隊達の居た場所へ首を向けると、ハディスの周囲を赤い大ネズミがぴょんぴょんと飛び回っている。


「おまっ!来るなって!」


 足元にぐるぐるまとわりつく大ネズミを、焦った様に見下ろしたハディスには、やっぱり見えてるみたい。犬が飼い主にじゃれついてるみたいだなー。微笑ましい。


「申し訳ありません!足手まといだとは思いますが、我がバンブリア家より王都警邏隊へ依頼した案件につき、見届けるべきと思い、やって参りました!」


 ヘリオスが慌ててハディスに頭を下げる。あ、そっかぁ、ネズミが見えていないから勘違いしたんだー。「ハディス様はそんな事で怒ったりしないよ、来るなって言ったのはわたしたちにじゃないよ」と小声で伝えると、わたしに問う様に視線を向けたのはヘリオスだけではなかった。


「見えるのか。破廉恥娘」


 いや、違うな。黄髪長身は楽しそうだし、片眼鏡には、なんだか憎々しげに睨まれてる気がする。

 聞かれているのは大ネズミの事なんだろうけど、こんな悪意ある感じの人たちに素直に返すのは気分が悪い。


「取り敢えず、破廉恥娘とは何のことでしょう?」

「面倒だな」


 苛立ち紛れでも、無視するよりはましだろうと答えたけれど、被せる様に長身が溜息交じりに告げた言葉にまた苛立ちが上昇する。


「お姉さまっ、気持ちは分かりますが落ち着いてください?!」


 現在進行形で睨んでくる片眼鏡も居るし、敵意を見せられて落ち着けるわけないんだけど、可愛いヘリオスの頼みだ、頑張ってみるわ。


 わたしは、令嬢の武器「扇」をばさりと開き、口元を隠して目だけで笑みの形をつくった。

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