女給マリーとそばかす

燈井 真

第1話 マリーの日常


 彼女がこの騎士寮にやってきたのは、私がここに奉公に来てから3年と4ヶ月経とうかという時だった。

 お姉さん給仕の後ろで跳ねるように歩き、そのたびウェーブのかかった金色の髪がふわりふわりと揺れていた。


 「この子はマリー。あなたより一つ年下ですが、あなたより先輩です。何かあればこの子に聞きなさい。

  さあ、挨拶をして」


 ぽんと背中を押されて私の前に出てきた女の子は、まるでお人形さんのように可愛い子。


 「初めまして、私はエリン」


 にっこりと笑うその子は、同性の私から見ても可愛いと感じると同時に、少し自分が恥ずかしくなった。


 「よろしくお願いします。私は、マリーです」


 そんな彼女に対峙する私は、首元でバッサリと切った洒落っ気のない赤髪で、そばかすを散らした田舎臭い風貌で。

 自信に満ち、真っ直ぐこちらを見る彼女に気負けして、私は目を合わせることができなかった。


 真っ青な空のした。暖かい日の光がキラキラと降り注ぎ、心地よい風が私たちの間を抜ける。

 よき日の門出ではないか。

 彼女が給仕として働き出すのを祝福するような。

 物語が始まるような。


 「よろしくね、マリー」


 そしてお姫様は、私に手を伸ばした。



*****



 私は、寮の勝手口近くに盛られている兵士たちの洗濯物を種類別に分けていた。

 個人のものはそれぞれの名前が書かれた別のカゴに入れてあるが、共用のものはまとめてつくねてある。シーツやタオルなどの中に、防具を拭いたような雑巾まで一緒にしてあるのでそれを省いていく。

 男性ばかりの寮であるので、結構これが臭う。土臭いというのか、汗臭いというのか、色々混ざった匂いがする。30人ばかりが住まうこの第8部隊寮のこの区画、洗濯物を置いていくこの区画だけがすごく臭う。

 窓は外の砂埃が風に舞って廊下が砂まみれになるので、基本開けっぱなしにするようなことはないのだが、ここだけは別。夜みんなが着替えてから、朝起きてからその他の洗濯物を溜め込むまでの間にこもる湿っぽい空気を朝一の換気で霧散させなければ仕事にならないほどだ。


 触れば広がる匂いに鼻呼吸を封印し、無心での選別作業をする。一つのカゴがシーツでいっぱいになったので、それを持ち上げた。子供が両手を広げるほどのカゴは、いっぱいに詰めるとそれなりの重さになる。持ち上げると腕の筋がグッと引っ張られ、プルプルと震え出す。

 覚束無い足取りで、まるで体をひきづるようにゆっくりと外にある水場へ向かった。


 パシンパシンとリズム良く響く音。

 シーツの端から覗くと、水のはった桶に囲まれたエリンが洗濯棒でシーツを叩き洗いしていた。


 「エリン、追加ですぅ」

 「ウエェエ?!まだあるの?!」

 「まだ始めたばかりだよ」


 ボスンとエリンの横にカゴを置き、腕をさする。ジンジンと痛む腕を労わりながら少し休んでいると、エリンがもう!と洗濯棒を地面に叩きつけた。

 

 「全然終わらないわ!こんな量私たち2人だけでやるなんて無理よ!私腕が痛いわ」

 「でも前からそうだし」

 「前からって、この量が?人数が?」

 「どっちもだね」

 「ありえないわ……」


 そう項垂れるエリンに苦笑しながら、ググッと腰を伸ばして次を取りに行く準備をする。無駄話しているのがバレたらお姉さん給仕に怒られてしまう。だってシーツはまだまだあって、洗い終わった洗濯物は干し場にいるお姉さん給仕に渡さないといけない(シーツを干すには私たちには体が小さすぎる)からだ。

 エリンに「じゃあ行ってくるわね」と言い踵を返した私だったが、すぐに待ってと呼び止められた。


 「マリー、一度交代しましょ!気分転換したいわ」

 「え、でも重いよ?」

 「大丈夫よ、私あなたよりお姉さんだし、体だって大きいもの」


 とはいえ、たかだか一歳しか違わないし、体にしたってエリンは細身の少女で力仕事が得意そうには全然見えない。

 年下とはいえ先輩だから大変なところは私がフォローしなきゃと思っていたのだが、そんなことを考えている間にエリンはぴょこっと立ち上がって、スカートの裾を払い、濡れた手を前掛けで拭いて寮へと駆けていってしまった。

 行動力が思考と直結しているのか。

 仕方ない。向こうはエリンに任せて、私は地面に転がる洗濯棒を拾い上げ、途中で投げ出された洗濯物の前にしゃがみ込んだ。

 

 パシンパシン。


 洗濯棒を上げては下ろすと、水を含んだシーツは水しぶきを上げる。


 パシンパシン。


 遠くの方で、兵士さんたちの演習の声が聞こえる。ガランガランとどこかで器が落ちた。


 パシンパシン。


 お姉さん給仕たちが向こうでカラカラと笑っている。頭の上でピチチと鳥が鳴いた。


 「ポカポカ太陽包まれて、ふかふかお布団眠れたら」


 呟くように歌を口ずさむ。

 三年働いて気づいたことは、いかに楽しむかだと思う。仕事だ仕事だと思いすぎると、辛さが表立ってしまってすぐに嫌になってしまう。なので、私は特に歌を歌うことが多かった。

 それはきっと、母の影響だろう。お洗濯の歌も母が口ずさんでいたものの受け売りだ。他で聞いたことがないので母が勝手に作ったものだろう。

 もうずっと聞いていないので、歌詞も曖昧だけれど。


 自分の鳴らす音をリズム隊として、周囲が音を鳴らす。まるでオーケストラを構えるように自分の世界に浸る。


 「おっもーい!!」


 エリンの叫びにあっという間に呼び戻された。

 声のしたほうを振り向けば、寮と水場の間で心折れたエリンがカゴを置いて腕を振っている。ぶう垂れながらもカゴを地面ぎりぎりに浮かせながら、まるで引きずるように持ってきた。


 「ゴール」

 「ゴールじゃないわ。これは本当に骨が折れるわね。さっさと終わらせようといっぱい入れちゃうと重たすぎて持ってこれないわ。回数は多くなっちゃうけど、量を減らして回数を増やした方がいいわね」

 

 まるで独り言のように、あごを手でさすりながらエリンは思案していた。

 うん、と1人納得したエリンはすぐにまた寮の方へ向かって行った。やっぱりすぐ行動したいんだろうな。

 文句も多いが、きっとエリンは良い子なのかもしれないな。と失礼なことを思いながら、私はふふっと笑った。


 

 

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