妻とワシの思い出

夕日ゆうや

キュウリとトマトの卵とじ

 テレビが昼の12時を告げる。

 そういえば、まだ朝ご飯を食べていなかったな。

 買い置きしてあったカップ麺に目が行く。これは非常時、災害時などに食べるよう、買っておいたものだ。

 以前、大震災があり、水や食料の買い置きをするようになった。

 妻に先立たれ、二日。自分のコーヒー店を休業して五日。

 なにをする気もおきずにワシは一人カップ麺をすする。

 妻ならもっとおいしいものを作れたはずだ。

 それに比べ、この味付けの濃いカップ麺ばかりをすする毎日。

 妻・愛子あいこは料理上手だった。ワシが注文するものを次々と完成させていくのだ。

 コロッケ、ポテトサラダ、メンチカツなどなど。どれも愛子が得意とした料理だ。

 お正月になると、栗きんとんや伊達巻きなどを作っていた。

 料理学校に通っていたこともあり、その腕前は下手な料理人よりもうまかったと思う。

 それに健康に気をつけてか、薄味で作ってくれたのだ。それが身にしみているせいか、カップ麺がひどく濃く感じる。

 ため息を吐くと、カップ麺の空を積み上げる。

「おじいちゃん、生きている?」

 玄関の方から声が聞こえてくる。

 長女の凛子りんこが顔を見せる。

「ちゃんと食べている?」

「食べているよ」

「って。カップ麺ばかりじゃない。もう。こんなんじゃ母さんが哀しむわよ」

「死んだ者は帰ってはこない」

 悲しげに呟く。

 受け止めてはいけないのに、受け止めてしまった。

 もう妻が死んでから三日が経つ。

 悲しい声に反応したのか、凛子は悲しげに眉根を寄せる。

「もう。待ってて、料理作るから」

 凛子が冷蔵庫に向かう。

 中を確認すると、そこには卵とキュウリくらいしか入ってはいなかった。

「買い物もしていないのでしょう? 全く、父さんたら」

 凛子はキュウリを粗いみじん切りにし、卵と混ぜ合わせる。そして卵焼き器で簡単に焼く。

「これでも食べて。母さんが得意だった〝キュウリの卵とじ〟よ」

「うむ」

 ワシは箸をとって、ふわふわな卵、カリカリなキュウリを口に運ぶ。

 カリカリ食感とふわふわ卵が口の中に広がる。

 でも、何かが違う。

「母さんのと違うのう」

「そうだけど。もう、しっかりしてよ」

 凛子は片付けを始める。

 ワシでは手の付けられなかった愛子の部屋を。

「片付けないと母さんに怒られるよ」

「そんなわけあるかい。母さんならいつも暖かく見守っておるさ」

 あの温和な愛子が怒るはずもない。

 ワシが株で失敗したときも、脱サラするときも、料理店を開くと言ったときも。

 いつだってワシの味方をし、ついてきてくれた。

 だからワシの自慢のコーヒー店も持てた。

 そこに愛子の料理も並び、店は繁盛した。

 リピーターも多く、ひいきにしてくれるお客さんもいっぱいきた。

 地方のメディアにも引っ張りだこで、コーヒーではなく、愛子の作ったパスタが人気だった。

 確か〝ラビゴットソースパスタ ~スペシャルチーズ添え~〟だったか。

 あれはうまかった。

 思い出に浸っているうちに、凛子が次々と片付けを始める。

 愛子がいなくなったのに、さらに追い打ちをかけるように、ものが消えていく。

 それに耐えられなくなったワシは凛子に飛びつく。

「ワシたちの思い出を消さないでおくれ」

「お父さん……」

 端に積んであった雑誌が転げ墜ちる。そこには手書きのノートを見つける。

 表紙には『愛子のレシピノート』と書いてあった。

「お父さん。これ……!」

「ああ。あいつが残していってくれた遺産だ」

 レシピノートを見ると、たくさんのレシピが記載された。

 それを見ながら〝キュウリの卵とじ〟を作る凛子。

 足りなかったのは中華のもと、とごま油。それからトマト。

 味付けがなかったから違うと感じたのだ。

 レシピ通りに作ると、凛子はワシの前に出す。

「これでどう?」

「いただきます」

 一口、口に運ぶ。

 ふわふわ卵に中華の味、キュウリのカリカリ感と、トマトの味付け。うまい。

 これが愛子の味だ。

 思い出してくる。最初に作った頃の時を。

 愛子は中国料理〝トマトと卵の炒め物〟のつもりで作ったものの、失敗したのだ。

 見た目がカラフルに、とキュウリを入れたのだ。キュウリはほとんど火を通さずに。

 涙が出てくる。

 ワシの好物だ。脱サラしたときも、店を開いたときも。

 いつだってこの好物をワシに作ってくれていたのだ。気遣いのできる優しい妻だった。

「父さん……」

 凛子が悲しげに目を伏せる。

 レシピノートの最後をめくると、凛子がハッとした顔になる。

「これ……」

 凛子がノートに書かれたことを読むと、ワシは一層泣きじゃくる。まるで子どもに戻ったみたいに。流れる涙を止めることはなく。

『あなたがこれを読んでいるとき、私は死んでいるでしょう。でも、このメニューをきっかけにまだ働けるはずです。私の分まで働いてください。そしてお客さんのみんなを喜ばせてください。それが私の望み。願い。生きた証。

 最後の最後で我が儘を言ってごめんなさい。ここまで付き合ってくれてありがとう』

 そんな文章が添えられていた。

「父さん。頑張らないとね」

「ああ。ああ!」

 ワシはまだ働く。

 愛子の思いを胸に。

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妻とワシの思い出 夕日ゆうや @PT03wing

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