【本編】食は人生の哲学
「ゼオンさん、いますか? 」
「開いてるぞ」
部屋の扉がノックされた。どうやら、ロイドが訪ねてきたようだ。扉に移動するのも面倒なので、ゼオンはベッドの上で寝転んだまま、返事をしていた。
「今日も大変でしたね。もうヘトヘトですよ」
「ロイド、お前は何もしてないけどな……」
ゼオンは、少し嫌味を込めて返事をする。今日は講義も無く、暇な一日であったのでトレーニングを行っていた。ロイドは着いてきただけだったが。
「そんなことより、夕食に行きましょう。もう、食堂が開放されてますよ! 」
そんなことなのかと、ゼオンは疑問に感じたが、空腹の方が、意識を支配している。事実、食堂という言葉に全身が反応している。
「そうだな。飯にするか! 」
ゼオンの腹が鳴る音が、部屋に響いた。地の底から
唸り声を上げる、魔獣の咆哮のようだ。ゼオンはロイドと共に、食堂に向かうことにさした。
「あ!ゼオン君にロイド君! 食堂に行くの? 一緒にいいかしら」
「構わんぞ!」
食堂に向かう途中、同じ研究室に所属しているダリアが声をかけてきた。ゼオンは、歩みを緩めず軽く手を上げ返事を返した。
「是非、一緒に食べましょう! 」
ロイドも歩み緩めず、返事をしていた。今夜の食事への期待が膨らみ、歩調が早くなっている。食堂までの道のりを、無言で進んでいた。ゼオンは食堂に着くと、あいているテーブルを選び座ることにした。ロイドと、ダリアも席に着く。
「ゼオンさん、見ました? 今夜は、ブュッフェスタイルですよ! 王都では、最近流行っていると聞いていましたが、凄いですね! 」
王都では、最近ブュッフェランチが流行していると、噂では聞いていた。様々な料理が並び、自由に、好きなだけ食べることができる。流石、王都であると、ゼオンは感心していた。
「おお! 凄いな! これだけの料理を、好きなだけ食えるんだな? ここは楽園か! 」
ゼオンは、興奮と感動が入り混じった歓喜の叫びを放ち、目からは一粒の虹を落としていた。目の前に広がる料理は、水面に映る満天の星に匹敵する輝きを放っている。
「ねぇ……二人とも、少し落ち着いたら? 」
ダリアが、冷ややかな視線を向けている。だが、ゼオンは、気にすらしなかった。気にしていては、漢がすたる。
「ロイド! これは聖戦! いや、千日戦争! きっと、終末戦争! 匹敵する闘いだ! 」
ゼオンが、興奮した口調で喋っていると、頭に鋭い痛みを感じた。振り向くと、こめかみに青筋を浮かべ、引きつった顔をしたダリアがいた。頭を叩いたのは、目の前に仁王立ちする鬼神か?ゼオンは、思わずたじろいでしまった。
「だからっ! 落ち着きなさい!!」
「す、すまん……」
「すみません……」
ゼオンは、ロイドと二人静かに謝った。謝るのが、食事への近道。急がば回れとは、この日の為に生まれた格言もしれない。
「さ! 気を取り直して、食事にしましょ!」
ダリアの提案に素早く頷く。やはり、女性は怒らせるべきではない。ゼオンは、身に染みる様に感じていた。
「では、参りますか、ゼオン氏!」
面倒な、ロイドの悪い一面が顔をだしたな。ゼオンは、足早に料理へと向かうロイドを、見つめていた。
「ロイド君って、あんな口調だったかしら? 何だかいつもと違う様な……」
ダリアも、首をかしげている。幻術でもかけられたかの様に、唖然としていた。口調と目つきが、鋭くなっているのは気のせいであろうか。
「さぁ、わからん。ただ……面倒なのは確かだな。食事が絡むと、たまにだが、あんな風になる」
ロイドは食事が絡むと、性格が変わったかのように、攻撃的になったりする。酷いときは、理性を失いかけ、暴れ出す。ゼオンでも、酷いと感じるロイドの欠点である。
食堂には、各地の伝統的料理、新鮮な野菜・果実、焼き立てのパン、スープなど様々な料理が並んでいた。鼻に入ってくる、艶やかな匂いは、それだけで五臓六腑を満たしてくれる。
鉄板では、分厚い肉の塊が焼かれている。その反対側では、生け簀から魚が取り出され、調理されている。ゼオンは、片っ端から皿に盛り付け、何皿かテーブルに置いた。
「良し! 取り敢えず、食うか! では、いただきます!! 」
ゼオンは、勢い良く食べ始めた。肉を頬張り、パンにかぶりつく。滴る肉汁を、柔らかなパンが包みこむ。するりと、自然に身体の中へと流れこむ。肉の脂からは、噛みしめるたびに広がる甘い香り。さらに、ゼオンの食欲をそそる。肉の香りと、パンの芳醇な香りが、幾重にも重なり合い、身体を駆け巡る。
「くぅぅ! 堪らんな! この『
喉につかえぬ様にと、スープを口にする。野菜、魚介類の出汁が、充分にしみ出ている。旨い!口の中で、大地の女神と、猛る海神が、熱い抱擁を交わしているようじゃないか。貝柱の歯ごたえ、刻まれたた根菜の甘み。心だ!心で飲めと、語りかけてくるじゃないか。
「ダリア! この、スープは何て言うんだ?」
「え? 『海と森のスープ』と書いてあったわよ。少しは、料理名くらい読みなさいよ!」
要らぬ説教を受けてしまったと、ゼオンは後悔するが、フォークを止めない。
伝統的料理も、歴史を感じる味わい深さがある。魚の生身を、野菜と酢で和えたサラダ。酸味と、野菜の甘味、そして魚の旨味。口の中で奏でられる三重奏。こちらは、『海竜サラダ』と書かれていたのを、ゼオンは覚えていた。
「くぅぅ! 海と離れた王都で食べる魚は贅沢だな! 」
生きていて良かった!ゼオンは、思わず握り拳を天にかざす。ならば、これはどうだ。根菜類を素揚げしたものに、濃厚なチーズをかけ、肉で包み混んだ料理。一噛みすると、目の前に牧場が広がる錯覚におちいる。大地の恵み、それを食す牛、その牛の乳から作られたナチュラルチーズ。さらに、牛自身の肉。『
今、食べているのは、野菜でも、肉でもない!その名の通り、大地そのものじゃないか!ゼオンは驚愕のあまり、目を見開いた。皿に盛り付けた料理を食べきるのに、数分もかからなかった。ゼオンは、空腹の極限から脱出したせいか、落ち着きを取り戻した。
ふと、ロイドが気になり、視線を移す。が、ロイドはまだ何も食べていなかった。そこには、きれいに、スプーンやフォークが並んでいるだけだった。
「ん? 食わないのか? 」
ゼオンは気になり、ロイドに問いかけた。せっかくの料理が無くなるぞと、言いたかったが。ロイドは首を振っている。
「ふっ。ゼオン氏、まだまだですな。まあ、見ていてください」
相変わらず、面倒だなと感じていた。席を離れ、料理を取りに行ったロイド。戻ってきた次の瞬間から、驚愕が、怒涛の様にゼオンを襲ってきた。
「まずは
「何だ? 何をする気だ! ロイド!!」
「ゼオン氏、その様な食べ方をするなんて。お皿は……盛り付けは、きれいですか?ブュッフェを楽しむ姿は、否定はしません!ただ、一つ一つの料理が混ざってしまう、その盛り付け! 料理殺しですよ!! 如何に美しく、如何に美味しく料理を頂くか! 見てください、完全なる食事の流れ。ロイド流ブュッフェ道の極意! 」
「ぐはっ! 計算していたのか……」
どの様な料理があるのか、一度確認していたというのか。ロイドは食べずに、考えていたのか。メインの肉・魚料理を中心に、前菜など周りを固める料理を組み立てる。自分の好みと合わせ、鉄壁の布陣を作った。ゼオンの背中に、冷たい戦慄が走った。
ゼオンは舌を巻いていた。負けた……完璧な敗北。好きな物を、好きなだけ食う。それもありだが、華がまったくない。ただの栄養補給に見えてしまう。
ゼオンは崩れ落ちそうになるのを、残された気力で踏み止まった。ロイドの前では、美しい交響曲のごとく、料理が華麗に流れていく。ゼオンは、残りの料理をただ、黙ってたべていた。
「貴方達、何を競っているの……」
ダリアの質問に答える者は居らず、静かな食事がしばらく続いた。
食事は、活きる糧となる。食事は、身体を創る糧となる。つまりは、人生の糧と言っても、過言ではない。食事には、人間性が現れるのであろうか。そうであるならば、人生の哲学、とも言えるかもしれない。
ゼオンは、何か大事な部分で負けたなと、食堂の窓から見える月を、寂しそうに眺めていた。
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