ある者と、ない者

三角海域

ある者と、ない者

 小田原で新幹線を待ちながら、僕は記事を書いている。

 内容は、劇作家早坂正明氏へのインタビュー。

 インタビューだというのに、こんな書き出しなのはおかしいと思うだろう。けれど、許してほしい。早坂氏は、通常の形式でのインタビューにはこたえてくれないのだ。

 彼に話を聞くには、いくつかのルールを守らねばならない。

 ひとつ。インタビューは乗り物の中で行うこと。

 ひとつ。インタビュー記事は話を聞きながらその場で書くこと。

 ひとつ。早坂氏と合流するよりも前に、すでに記事は書き始めていること。

 ひとつ。その記事は、筆者の主観を必ず入れること。

 ひとつ。インタビューの前に、必ず早坂氏の話を聞き、それも記事としてのせること。

 一番のネックは最後の部分にある。

 他のルールは、なれてしまえば案外どうということはない。

 初めてのインタビューでいきなりアメリカ行きのフライトに付き合わされたのも今となってはいい思い出だし、アドリブで記事をかくというのも案外面白い。主観をいれる、というのは、それを見た読者の基準によりけりだと思うけれど、少なくとも早坂氏がインタビュアーとして名指しで僕を選んでくれたということは、彼の中ではその基準を満たしているということなんだろう。これらは、ある程度は僕がコントロールできることだ。

 けれど、話を聞くというのは、完全にこちらの制御の外にある。

 早坂氏に行った初めてのインタビュー。アメリカへのフライトのうち、彼が話に割いた時間は、三十分ほどだった。

 内容は、なんてことのない世間話。界隈で言われているほど、大変なものではないと感じた。

 認識が変わったのは、二度目のインタビュー。

 北海道へ向かう道中、彼は話を始める。

 彼の話が終わったのは、北海道へ着く三十分前だった。

 目的である新作の劇についてはほとんど訊くことができなかった。

 そうして、今回が三度目。

 小田原から新大阪までの道中。

 できれば、早めに終わる事を願う。

 新幹線が到着した。乗り込み、早坂氏を待つことにする。


 彼は、必ず僕よりも後にやってくる。僕に限らず、誰との約束でもそうだという。

 こうして席に座り、場つなぎ的にテキストを絞り出していると……。

「久しぶり」

 というように、やってくる。

「窓から東京の夜景が流れた。密集した灯は次第に凝結を緩め、薄くなり、疎らになった。東京が遁げ去ったのだ」

 松本清張の名文を引用しながら、早坂氏は僕の隣に座る。

「お、ちゃんと引用が伝わってるね。やっぱり君いいわ」

 しかし、ここは神奈川である。

「ツッコミもばっちり」

 早坂氏は、どこへ出掛けるにも身軽だ。アメリカに行くのも、大阪に行くのも変わらないとでも言うように。

「時間がどれだけかかるかの違いでしかないでしょ」

 常人には理解できないことだ。

「人を変人扱いするのはよくないよ?」

 そこで、早坂氏は言葉を止める。静かになる時というのは、話を始める前兆である。

「あのさ、天才っていると思う?」

 問いかけ。僕はいると思うと答える。

「僕も同意。けど、純粋な天才ってのは限られるんじゃないかって思う」

 どういうことだろう。

「途方もない努力を続けられるのも才能。とんでもない時間を勉強に割けるのも才能でしょ? で、その才能が成果を出せたか出せないかで天才かどうか決まるわけ。最後は天任せ、運任せなんだよ。つまり、天才ってのは、才能と運両方もっていて初めて成り立つわけ。けど、そういう論理じゃなくて、ただそこにいるだけで全部ぶっ飛ばしちゃう才能ってのがある。僕は、それを純粋な天才と呼んでる」

 早坂氏は、そんな天才と会ったことがあるということだろうか?

「何度かね。けど、印象深いのは間違いなく彼らのことかな」

 彼ら。二人の天才?

「いいや。一人は、天に愛されてなかった。けれど、そんな愛されなかった彼は、一人の純粋な天才に愛されてた。この話は、そんな二人のことだ」

 早坂氏が、語りの態勢に入る。

 気を引き締め、僕はその語りに耳を傾けた。


 彼と出会ったのは、五年前の高校演劇コンクールでのことだったという。と言っても、彼らは地区大会どまり。つまり、最初のステップで脱落していたという。

「知り合いがさ、連絡してきたんだよ。大会に変なのがいたって。よくわかんないじゃないそんなこと言われても。でも、何を訊いても、わからないんだけど、とにかく見てほしいって言うわけさ」

 早坂氏は、わからないけどすごいと繰り返す知り合いの言葉で興味を持った。

「で、見に行ったわけ。そしたら、もう驚きよ」

 そのころ、すでに早坂氏は演劇界で名も顔も知られていた。なので、当人には会わず、演劇を録画したものを見せてもらったという。

「とんでもなかったよ」

 才能あふれる素晴らしい演技だった?

「いいや、表現って面では、そこまで秀でてない。むしろ、他の部員の方がそこらへんは優れてた。彼がすごかったのは、舞台においてひたすらに異物だったこと」

 異物、とは?

「自然すぎるんだよ。彼は演技をしてない。ただ喋ってるだけといってもいい。なのに、それが恐ろしく自然なんだ。これが演技の最適解なんだと強引に思わせてくる。審査っていう面で見ると、あまりにも突飛すぎて評価が難しい。劇自体、彼の存在以外は秀でてるとはいえなかったしね」

 それは、良い役者だと言えるのだろうか。

「評価基準はそれぞれだろうね。けど、彼を欲しいと思う創り手が多いだろうってのは間違いない。僕もそうだった」

 けれど、しなかった?

「まあ焦らないでよ。それで、彼と会いたいと言った。でも、彼一人と会うのは無理だって言うんだ」

 それは何故?

「彼には、いつも一緒にいる友人がいたんだ。そもそも、彼を演劇部に誘ったのも、その友人だった。彼は、その友人のことを心から尊敬していてね。友人が言うのなら、きっと楽しいのだろうと考え、入部した」

 そもそも、演劇に興味があったわけではない?

「そう。入部した後も、友人が語る演劇論だとか、役者の魅力なんかを聞いたりはしていたけれど、自分で演劇に触れようとは思わなかった」

 けれど、彼は天才だった。

「まあ、僕はその友人とセットでもいいから会わせてくれって言ったんだ。で、実際に会った」

 どんな人物だったのだろう。やはり、少し変わっていたりするのだろうか。

「とんでもなく普通の子だったよ。あまり話をしたがらなかった。恥ずかしがり屋なんだろうね。けど、そのかわりに、友人が彼の魅力について語ってくれた。その評価は、とても素晴らしかったよ。僕が彼に感じたものとほとんど同じだった。良い目を持ってるねと僕が言うと、何故か当人ではなく、彼が喜んでいた。相当惚れこんでいたんだろうね。互いに尊敬しあってた。とても美しい友情、だったんだろうね」

 あえて言葉を区切り、だったと過去形で語るのは、そんな友情が壊れてしまったということか。

「先に結果を言えばね。で、これから話すのは、その過程」

 理由はなんだったのか。

「彼らが高校を卒業した後、僕の劇団に呼んだんだ。本格的に演劇を学んでもらおうと思ってね。彼らは同じ大学に進んでいて、同じ学部にいた。芸術を学ぶ学部だよ。そこでも、関係は変わらなかった。でも、彼らの周りは変わっていった」

 環境が?

「そう。審査という枠があったから評価されなかった彼だけど、大学で教えてる本物の目を持つ講師は、彼の能力を見抜いてた」

 良いことのように思えるが、そうではない?

「彼にとって、演技をするというのは、友人に喜んでもらえるからという一点のためにある。僕や大学の講師が何を言っても、彼には響かなかった。だから、講師たちは友人に頼んだ。彼を説得してくれと。僕はやめたほうがいいと言ったんだけどね」

 それはどうして?

「講師たちは、君に役者としてやっていく才能はないんだとはっきり伝えてしまった。知識はある。目もある。努力する才能もある。けれど、天に愛されてなかった。彼の才は、表現者としてのものじゃないし、かといって、エディターだとか、そちら方面においては、そもそも才能がなかった。彼は、どれだけあがいても、演劇が好きな人どまりなんだよ。夢の終わりがやってきたんだ。それを伝え、彼を君から解放させるべきだと言った」

 その現実を知り、嫉妬に駆られ、友情が壊れた?

「いいや。嫉妬ならまだよかったかもしれない。彼の中に生じたのは、諦めだ。全部を諦めてしまった。演劇への愛。すごいと思うものを見つけたいと輝かせていた目。そんな素晴らしい世界で生きていきたいという強い思いと、努力。それらが、諦めにかわった。それを、彼は、礼と共に伝えた。君のおかげで、夢を諦めることができたと。そうして、劇団を去って行った」

 それで、関係性が変わってしまった?

「明確に線引きがされてしまった。こちら側とむこう側。諦めた人間と、続ける人間。友情が消えたわけじゃない。けれど、関係性は壊れてしまった。友人は、彼に演劇論を語ることはなくなった。自分はそんな身分ではないからと。それと同時に、彼が持っていた輝きも消え去ってしまった。それもそうだろう。友人の思いにこたえたくて、彼は演技をしていたのだから」

 二人共、不幸に思える。

「残酷だよ。エンターテインメントは残酷な現実の上に煌びやかな夢を描くことで成り立ってるんだ。純粋な天才と、才と運を味方にした人と、あとはそうでない人。僕らが相手にするのは、才がある人だけ。仮に、僕らの世界に関係のない才をその人が持っていたとしても、導くことはできない」

 二人は、その後どうなったのだろう。

「友人のほうはどこかへ引越していったらしい。彼には何も伝えずにね。彼の方は、しばらくは劇団にいたけど、話した通り、もう輝きは消えてしまっていた。で、彼も劇団を辞めた。その後の事は僕は知らない。ひどいと思うかい?」

 知ったところでどうしようもない。

「そう。どうしようもない。さて、これで話はおしまい。そんなにかからなかったね。じゃあ、本題にはいろうか」

 彼らは、いまどこにいるのか。

 できることなら、彼は友人を追いかけて行ったのだと思いたい。

 そうして、どこかの町で、再会するのだ。

 その町で彼らは、小さな劇団を作り、芝居をする。

 そんな生活を送れていればいいなと思う。

「どうしたの? 手止まってるけど」

「いえ、すいません。続けましょう」

 僕はセンチメンタルをデリートし、テキストを出力していくべく指を動かす。

 そして、ここからまた、インタビューは続く。

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ある者と、ない者 三角海域 @sankakukaiiki

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