第32話 何て、つまらなそうな顔をしているんだろう


「春人。そいつは誰だ?」

「ああ。草壁さんの二つ下の弟の秋君。……秋君。こっちは冬馬と和樹。俺の昔からの親友なんだ」

「……初めまして。草壁秋です。……つけてしまってすみません」

「いいよ。でも、どうして?」


 春人が疑問を口にすると、秋はバツが悪そうに目を伏せた。もごっと口を動かす表情は無に近いが、とても葛藤しているのが伝わってくる。


「……最近、姉ちゃん元気がなくて。春人さんのこともほとんど口にしなくなったし、ゴーたんのマスコットをずっとぷにぷにしてるし、かと思えば、『……私は、この世で一番してはならないことをしてしまった』とか唐突に天井を仰いだ勢いでブリッジするし」


 落ち込んでいても、草壁は草壁の様だ。


 やはり普通の一般人とは違うなと、春人は苦笑しかけて――慌てて止める。秋が真剣なのが分かっていたからだ。


「春人さんと何かあったんだろうって、家族はすぐに分かりました。春人さんに聞きたいけど、……直接じゃないと駄目だよなって。……だから、姉ちゃんと春人さんがいつも別れるはずの場所で隠れて待ち伏せしていました」

「……ああ」

「でも、今日はそこのお二人と一緒で。……話しかけるタイミングとか狙ってたんですけど、難しくて。……それで、ずるずると」

「付いて来たというわけだな。……まあ、気持ちは分かるが。最初、春人のストーカーか恨みを持つ者か、真剣に悩んだぞ。姉に似た容姿をしているから、後者かと」

「すみません。……春人さんのこと、大切に思っているんですね」

「……。……そうかもしれんな」


 秋の問いかけに、和樹が濁しながらも頷いてくれる。

 その思いに、春人はぶわっと何かが吹き荒れる様に体が熱くなった。やはり恵まれていると、しみじみ痛感する。


「春人さん、すみません。お話、聞いていました。……うちの馬鹿姉が本当、とんでもない粗相そそうをやらかした様で。身内としてお恥ずかしい限りです」

「い、いや。俺もタイミングとか言い方とか悪かったんだ。それに、……結構しっかり怒鳴っちゃったし。色々傷付けたな、って」

「反省してくれるのは身内としてはとても嬉しいですけど、でも、春人さんはもう少し自分が傷付いたっていう気持ちを大切にした方が良いと思います」

「……秋君」

「それに、……そうじゃないと、またつまんない顔とかいうのに戻っちゃうかもしれないし」

「え? つまんない?」

「あ、……っ」


 しまったと言いたげに秋が口元を押さえる。口を滑らしたのだろう。まずい、と表情が全面的に物語っていた。

 しかし、春人にとっては聞き捨てならない。


「秋君。……どういうこと?」

「あ、……っと」

「……秋君と言ったか。少しだけで良い。教えてやってくれ。……君のお姉さんは、言葉が足りなすぎて春人に諸々もろもろが全く伝わっていない」

「……、……そうですね。姉ちゃん、恋愛オンチなんで。人にはいくらでも良いこととかアホなこととかカッコ良いこととかナルシスト的なことは言えるのに、肝心な部分言わないんですよね。……恥ずかしがって」


 はあっと、秋が疲れた様に溜息を吐く。

 草壁が恋愛オンチ、という言い方も気になったが、彼も和樹も先程から何を話しているのだろうということの方が気にかかった。


「あの……。……教えてもらっても良いか?」

「……。詳しくは姉から聞いてもらった方が良いですけど、……そうですね。……あの、春人さんは、姉が中学の頃から貴方を知っているのはご存じですか?」

「え? ああ、……そういえば最初の下校の時に言ってた。俺が草壁さんの中学の人と付き合ってたのも知ってたし」

「はい。……初めて春人さんのことを見かけたのは、貴方が恋人といた時だと思います。確か、剣道部の交流試合でうちの中学に何回も来ていますよね?」

「ああ、……」


 草壁の中学と春人の中学は仲が良いらしく、よく交流試合を設けられた。だからこそ、春人もよく彼女の中学には足を向けていたと思う。


「春人さんのことは、剣道が強い、将来有望だって凄い有名だったから知っていたそうです。隠れファンも多かったらしくて。一緒にいた友人に、『あれ、須藤君っていう人だよ!』って。見れてラッキーって言いながら教えてもらって、初めて認識したって言ってました」

「……、そうなんだ」

「でも、……その。……春人さんの横顔を見て、こう思ったそうです」



 何て、つまらなそうな顔をしているんだろうって。



 告げられた言葉は、春人の心臓をざっくりと刺し貫いた。

 つまらなそうな顔をしている。

 それは、きっと正しく、当時の春人の心境を読んだ言葉だ。

 春人は学生生活も楽しかったし、両親や親友、部活動の仲間や先輩といる時は楽しかった。馬鹿騒ぎをして、充実していたと思う。

 けれど。



「大好きな恋人と一緒にいるはずなのに、全然楽しくなさそうだって。……つまらなそうだし、どこか悲しそうな顔をしている。……初めて夕食の話題に貴方のことが上った時、そういうことを話していたのを、オレもよく覚えています」



 恐らく、二人目か三人目の時だ。

 最初の彼女に振られた後、春人は空虚に囚われていた。今思えばショックを受けていたということは分かるが、当時は何となく悲しいということしか気付けなかった。


 ――誰か一人を本気で好きになる。


 その瞬間を知りたくて、自分も誰かをあれほどまでに熱く好きになってみたくて、告白してきた人と付き合ってきた。「友達感覚からで良いから」という甘い誘惑に乗って。

 でも、そんな気持ちで付き合っても、結局はどちらのためにもならなかった。事実、春人は付き合っていても最初の彼女の時ほど楽しくなかったし、虚しくなっていった。


「何度見かけても同じ様な顔をしている。それが気になって仕方がない。姉は、……もしかしたらその頃から春人さんが好きだったのかもしれません」

「……」

「まあ、姉自身気付いていないかもしれないし、俺がただそう思っているだけで違うのかもしれない。ただ、……貴方を見かけた時は、必ず夕食で話題にしていたから。好きまではいかなくても、気になっていたのは間違いないと思います」


 秋に感情を混ぜずに淡々と説明されて、春人はどんどんと視線が落ちていく。

 そんなに昔から、彼女は春人の心を見抜いていたのか。どれだけ観察力が鋭いのかと感心する。


「……。……姉は、春人さんと過ごす様になってから、すっごく楽しそうでした」

「……、……楽しい?」

「はい。……オレの姉は、結構アホなことばかり言って、周りを振り回してばっかりのはずなのに、何故か人気者で、弟のオレとしては、何で? どうして? ありえない。盲目の度が過ぎる。みんな目を覚ませ、と本気で叩き起こしたいくらいに信じられないことなんですけど」

「……辛辣しんらつ過ぎるよ、秋君」

「でも、不可解過ぎるほどに人気者で。……だから、……何て言うんでしょうね。あまり姉に、突っ込んだり、それは違うんじゃって言ったり、そう、……対等にしゃべってくれる人がいなかったんですよね」


 彼の話を聞いて、春人はクラスでの日常を思い起こす。

 確かに、草壁のことを崇め奉り、彼女の頼みなら何でも聞くという人が多い。彼女の言葉を求め、視線を向けられると歓喜し、認められるだけで嬉しそうにする。



 だが、そこに彼女と普通に話す人はいない。



 他愛もない馬鹿話とか、くだらない妄言に突っ込むこととか、互いに呆れながらも笑い合うとか。

 そんなささやかな日常会話を、確かに春人は自分達と以外に聞いたことはなかった。


「姉は別にそれを不満に思ってはいないと思います。頭がおかしいですから」

「……秋君。秋君。それはちょっと」

「万人に好かれるわけではないのに、大体誰の懐にもするっと入っちゃう技術は最強だな、とは思いますけど。でも、基本付き合いたくないタイプですから」

「……あきくん……」

「でも、……夕食の時に馬鹿みたいに春人さんのことを喋る姉は、……すっごい疲れはしましたけど、……でも、ちょっと嬉しかったんです」


 ほとんど表情のない秋の顔が、ふっと優しく緩んだ。

 その顔を見れば分かる。口では何を言っていたとしても、姉のことが本当に好きなのだと。そして、心配していたのだと。じんわり彼の想いが空気を伝って入り込んで、春人の胸や目の奥が熱くなった。



 ――俺は、彼女のことを少しは喜ばせることが出来たのか。



 その事実がとても嬉しい。

 今まで、付き合ってきた相手に対して何も出来ないと思っていた。最初の恋人の時でさえ、言葉が足りなくて、行動も足りなくて、傷付けてばかりいたけど。

 それでも、春人にも誰かを喜ばせることが出来た。

 そして、――自分も。



 草壁がいたから、一つ一つ壁を乗り越えられたのだ。



 春人は、やはり言葉が足りない。みんなは草壁も言葉が足りないと言っていたが、最初から春人の方が絶対的に不足していた。

 彼女は、告白をしてきたその時から、春人に歩み寄ろうと、近付こうと手を伸ばし続けてくれていた。

 それを見ないフリをして、けれどその心地良いぬるま湯に甘えて向き合うことを先延ばしにしていたのは春人だ。

 ようやく向き合おうと思った時も、切り出し方を間違って彼女が傷付いたのが分かったのに――空元気だと心のどこかではとっくに気付いていたのに。

 それでも短気に突き放したのは、春人だ。あの時、春人の方が一生懸命追いかけて、すがって、何度だって言葉をぶつければ良かった。



 これは、今まで己の気持ちを出すのを恐れて逃げ出してきた、春人のとがだ。



 だから、今度は。春人から、一歩を踏み出さなければならない。



 何かに耐える様に秋が目を閉じる。恐らく彼の胸には色々な感情が渦巻いているのだろう。対応が姉よりも大人に思えるが、彼だって子供だ。そんなに簡単に色んなことを割り切れるはずがない。

 ましてや、大事な家族のことなのだ。平静でいられる方がおかしい。


「……春人さん。オレが、こんなことを頼むのは、おこがましいってわかってます。……、でも、……っ」

「……うん」

「……っ、……もう一度、……もう一度だけ。姉と、話をしてくれませんか」

「……」

「本当に、あと一回だけで良いんです。それで、……どんな結末になっても、オレは」

「秋君」


 頭を下げようとする彼の手を掴んで、春人は下から覗き込む。

 彼の顔は無表情なのに、泣きそうな気配がした。掴んだ手は汗ばみ、喉が強張っているのも見て取れる。



「それは、秋君がお願いすることじゃない」

「……っ」

「これは、俺と草壁さんの問題だから。……ケリをつけるのは、誰のためでもない。他でもない俺のためだ」

「――」



 彼の瞳を真っ直ぐ見つめて、春人は断言する。

 彼の目が驚きで大きく見開かれたのを見て、春人は淡く微笑んだ。


「なあ、秋君。……ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」

「……、え」

「お姉さんと話すために必要なことなんだ。俺はちょっとうとくて……教えてくれるか?」


 その後、続けた春人の質問の内容に、また秋の目は見開かれ――ぼろっと、こらえ切れない雫が落ちた。

 不安だったんだな、と彼の頭を撫でる。その不安を抱えながら、それでも春人に直接聞こうとした彼は、とても強くて勇気のある人だ。流石は草壁の弟である。



「……ようやく心が決まったか」

「ああ。……二人にも心配かけて、ごめん」

「いいよー。……ようやっと、ハルがちゃんと女性に向き合ったんだもん」

「全力でぶつかれ。……普段の時の様にやられっぱなしだったら、今度こそ許さんぞ」

「ははっ。……ありがとう」



 ごつん、と和樹に頭を小突かれ、冬馬には「おごりねー」と言われ。

 春人は、秋の頭を撫でながら、ようやく心の雪解けを迎えた気分になった。


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