第11話 好きになってくれた理由
春人の最初の彼女とは、穏やかな付き合い方だったと思う。
初めて恋人が出来たので、何をして良いか分からない春人は、両親や友人に相談した。恋人って、何するんだ、と。
両親には涙を流されて彼女が出来たことを喜ばれ、友人達には冷やかされながら相談に乗ってもらった。何だかんだ言いながら、喜んでくれていたのが伝わってきて、春人も次第に付き合って良かったのかもしれないと思う様になったのだ。
彼女は何をしたら喜んでくれるのか。
彼女と話をしたり、どこかに行こうかとなった時、いつも頭を悩ませていたがそれが少しだけ楽しくもあった。
放課後に一緒に帰ったり、休日に映画を見に行ったり、どこかに食べに行ったり、ちょっとしたテーマパークに行ったり。
一つ一つは何てことのない行動だったが、女性と一緒にというのが初めてのことだらけな春人は、結構いっぱいいっぱいだった。
道を歩いている時に、ふっと互いの指先が触れて、ぴくりと指が震えてしまったこともあった。その時はむず
その数日後に、春人から勇気を振り絞って手を繋いた。
ビックリした彼女が、その後とても嬉しそうに笑いかけてくれたのを見た時、ああ、手を繋いで良かったなと妙に安心したものだ。
互いに、おっかなびっくりの付き合いだったと思う。そして、かなりゆっくりなペースだった。軽いキスを交わしたことは何度かあったが、それ以上はまるで無かった。
だから、だろうか。
彼女に家に来ないかと誘われた時、春人は困った。
家には両親がいる、と言われたが、まだ成人していない自分達が部屋で二人きりになっても良いのかと悩んだ。
春人だって男だ。
家にはグラビア雑誌だってあったし、両親に見られたら恥ずかしい漫画もこっそり買っていた。興味が無いわけではないし、もし万が一『そういう雰囲気』になって、理性を保てるのか分からなかった。
だから。
春人は、断った。
何かあった時、成人もしていない春人は責任を取れる自信が無かったからだ。例え家に両親がいたとしても、家に上がるなんてとんでもないと思った。
そんな臆病な心を見破られたのだろう。
その一ヶ月後、見事に振られた。
〝だって、……いっつもいっつもいっつも! 私ばっかり!〟
〝私ばっかりで、須藤君、……ぜんっぜん、もとめてくれないんだもん!〟
〝キスだって、いっつも私からねだるし! 手をつないでくれた時は嬉しかったのに……、帰る時間になったら、あっさり別れるし!〟
〝勇気を振り絞って家に誘っても、全然なびいてくれない! キスしてくれない! 触れたいって、思ってくれない!〟
〝家で、両親に会って欲しかった! この人が私の彼氏なんだって、ちゃんと紹介したかった! 会って、……須藤君も私のこと好きだって。感じたかった!〟
〝なのに、ずっと恋人でいたいって思うのは、キスしたいって、触りたいって思うのは、いっつも……いっつもいっつもいっつも! 私だけ!〟
〝半年も付き合ったのに、……須藤君にとって、私って、結局ただの都合の良い友人でしかないんだもん!〟
友達感覚でも良いから付き合って欲しい。
そう言ってくれた彼女は、半年経っても亀の様にしか進まない仲に
彼女に爆発する様にぶつけられた時、春人は困惑した。彼女からばかりと言われて、違う、と言いたかった。
春人だって、彼女との付き合いにドキドキすることはあった。別れる時間が名残惜しいと感じたこともあった。
彼女のためにと考えるのは楽しかった。悩んでいる時間、彼女のことを考えていると思うと悪い気分じゃなかった。
だが、結局春人は泣き叫ぶ彼女を
混乱して、自分の気持ちをうまく言葉に出来なくて、何も言えなかった。
だから、こうして最初の恋人とは半年だけで別れる羽目に陥ったのだ。
二人目の彼女は、別の中学の人だった。
剣道での交流試合を見た時に、一目惚れしてきたという。
最初の彼女の言葉が耳に刺さったままだった春人は、断ろうと思ったけれど。
〝友達感覚でも良いから、付き合ってみて欲しいな〟
最初の彼女と、同じことを言われた。
その彼女はかなり押しが強く、カッコ良い、名前の響きも好き、剣道を教えて欲しい、食べ物の好みとか趣味とか、色々知りたい。
そんな風にぐいぐい来て、いつの間にか付き合うことになってしまっていた。恐らく、春人自身「今度こそは」と思ったのだろう。
今思えば、彼女は絶対に春人を落としてみせるという自信があったのかもしれない。
前に部活の先輩が、彼女の学校の先輩と話をした時に、彼女がそういう話をしていたと漏らしていたことがある。
先輩は、忠告してくれていたのだろう。春人がそういう女に引っかかるのは嫌だ、と。
だが、春人は鈍くて忠告にも気付けず、三ヶ月ほど付き合いを続けた。
けれど、冬の交流試合での休憩中。既に引退したのに受験勉強の気晴らしにと駆け付けてくれた先輩や仲間と、あざらしのゴーたんの話をしていた時。
〝何、それ。――そんな顔してカワイイもの好きとか。幻滅〟
剣道の惚れ惚れする姿とか、そのカッコ良い顔立ちとか、そういった姿が
ゴーたんのぬいぐるみがいると聞いた時など、最高潮だった。
〝その年でぬいぐるみとか、――キモッ〟
祖母の形見を否定された。
頭が真っ白になって、その後ふつふつと静かに、だが激しく怒りが
真っ先に誰よりも怒鳴りつけたのは、その場にいた先輩や仲間だった。
帰れ、と。二度と春人に近付くな、と。
暴れ犬をホウキでばしばし叩いて追い払う様に、彼らが盾になってくれた。
そうでなかったら、もしかしたら、春人は彼女を殴っていたかもしれない。
剣道を通じて常に人としての礼節を学び、信義を重んじることを学んでいたはずなのに、人の道を外れる様な行いをしようとした。
握り締めた拳が震えているのを目にして、恐くなって、無理矢理
無性に、悲しくなった。
三人目の彼女も、もう同じ様なものだった。好きになった理由も付き合う時の文句も同じだった。春人はこの時にはもう、相手に何かを求めているのに、それが分からないまま付き合いを重ねる様になっていった。
少し間を置いてから付き合った彼女は、一件すると清楚で優し気な人だった。周りからの評判も悪くなかったし、二人目の彼女と同じ中学ではあったが、校門までよく迎えに来てくれたものだ。
しかし、彼女とも三ヶ月ほどで破局した。好きな食べ物のことで家族を侮辱されたからだ。露になった本性や口調は、全く清楚のものではなかった。
そうして、四人目、五人目、と付き合っていく内に、どんどん春人の心は
次は、次こそは。そんな風に、求める様に春人は分からないまま何かを探した。
四人目以降は、特に何か酷いことを言われたというわけではない。自然消滅することもあったし、「何か付き合ってみたら違った」「顔が良いから付き合ったけど、合わない」などと言われて、普通に別れたのが大半だ。
けれど、共通しているのは、「カッコ良いから」「剣道が凄いから」付き合ったけど、「思ってた人と違う」だった。
みんな、春人の顔や見てくれだけしか好きではなくて、春人自身を受け入れてくれることはなかった。
求められるのは、カッコ良さと剣道の強さだけ。それだけが欲しい。他はいらない。むしろ好みや中身は邪魔だと言う。
可愛いものが好きなこと、ゴーたんという祖母の形見のぬいぐるみを大事にしていること、好きな食べ物、家族を大切に思う心、持っている価値観――みんな、みんな、いらないものだと離れていった。
どんどん、春人自身を否定されていく。春人が認められるのは、顔や剣道だけ。
誰も、春人の中身は求めてくれない。認めてくれない。
友達、って何。
恋人って、何なの。
分からないまま、ただ、別れた時に思い出すのはいつだって同じ。
〝私ばっかりで、須藤君、……ぜんっぜん、もとめてくれないんだもん!〟
春人は、この先誰かをあんな風に求めることはあるのだろうか。
友達から始まっても、それが恋に、やがて愛に変わることはあるのだろうか。
好きになってくれたキッカケが、顔をはじめとする外見や剣道の姿ばかりな人達と、そんな未来を築く時がくるのだろうか。
答えのないまま、春人は今も誰かと付き合いを続けている。
「え? ……剣道?」
清水の告白に、春人は目を丸くする。
その様子がおかしかったのか、清水はくすくす口元に手を当てて笑った。
「須藤君、中学まで剣道部だったんでしょ? だから、先輩達に頼まれて、時々指導に来てくれてるよね」
「ああ、……」
確かに、春人は中学まで剣道部に入っていた。通っていた中学も今通っている春園学院も剣道は道で一、二を争うほどの強豪で、中学の部活仲間も先輩もほぼそっくりそのまま学院に通っている。
学院の剣道部はマンモスと言われるほど部員数が多く、指導の人手が足りないと、先輩やかつての部活仲間が泣きついてくるのだ。顧問の許可ももらって、春人は時々部活に顔を出して臨時の指導員をしている。一応、中学の時はエースだったので、そういった実力への信頼もあった。
「私、剣道に憧れてたんだけど、中学はピアノとか忙しくて出来なかったから。学院に来てから初めてやったんだ。だから、今も試合には出れないくらい下手なの」
「……そうなんだ」
「だから、かな。一年生の最初の頃、私よりもずっと上手な先輩とか同級生に、くすくす笑われたり、陰口叩かれたりしてて」
「……」
彼女の話を聞いて、むっと春人の顔が歪む。草壁などは明らかに怒髪天を
そんな春人や草壁を見て、清水がおかしそうに笑う。
「でもね。そんな時、須藤君が言ってくれたの。……そこの奴ら。何で笑うんだ、って」
〝こいつの努力を笑った奴は、剣道やる資格はない。今すぐ出て行け〟
清水が春人の口調を真似て伝えてきた言葉に、はっと
そういえば、一年生になってまだ梅雨に入ったばかりの頃だったか。一部の部員の空気が悪いと感じたことがあった。
一生懸命道場の掃除をして、練習稽古を見て、素振りをして、
懸命に努力をしているのに嘲笑う人間がいる。
腹が立って。
だから。
「剣道は、ただ技を磨くものじゃない。武道を通じて心を磨き、礼節を学び、信義を重んじる。剣道は自分自身を磨いていく大切な心得なんだ、って。……彼女は、その大切なことを分かっている。だから、本当に剣道が好きなら、彼女を笑うことは絶対にしない、って」
「……、……あの、時の」
「あの時から、須藤君のことが好きだった。下手でもカッコ悪くても笑わないで、誰より努力を認めてくれる人だって思ったから。……だから、須藤君のことが好きになったの」
「――」
がつん、と頭を殴られた様な衝撃を味わう。ふるっと、唇だけではなく、胸の奥底が震える様な感覚に襲われた。
誰より努力を認めてくれる人だと思ったから。
それが、彼女が春人を好きになった理由。
告げられて、喉が痛みながら震えた。かつっと、奥歯が無意識に鳴る。
今まで、春人を好きになってくれた人は、顔とか剣道とか、そういう外見のことばかりを理由に挙げていた。
けれど、清水はそうではないのか。
少しでも、春人の内面を知って好きになってくれたのか。
じわじわと、腹の底から熱く喜びが湧き上がってくる。目の奥も痛くて、何かが零れない様に必死だった。
春人を見て、惹かれてくれたのが嬉しい。春人自身を認めてくれたことが、これほどの幸せだとは思わなかった。
「そう、だったんだ」
「うん。は、恥ずかしい話なんだけど」
「そんなことないっ。……っ、……ありがとう、清水さん」
「え……」
「俺のこと、好きになってくれて、……嬉しい……っ」
零れ出た笑みは、久しぶりに心から湧き出たものだった。清水だけではなく、後ろのギャラリーまで目を丸くしているのが不思議だが、今は清水だけに集中する。
「でも、ごめんなさい。だからこそ付き合えない」
「――」
「友達感覚とか、そういういい加減な気持ちでは付き合いたくない。……今度、彼女が出来るなら。俺は、好きになった人が良い。……君の様に、きちんと好きになった人が良い」
残酷な宣言だ。これほどまでに喜びを与えてくれた彼女を、傷付けている。
それでも、もう今までの様な付き合い方は出来ない。彼女が真剣に告白してくれたからこそ、春人も誠実に答えたかった。
「ごめんなさい」
「……、うん」
「好きになってくれて、ありがとう」
「……っ、……うんっ」
清水は、笑って頷いてくれた。
笑いながら、泣いていた。
「今は、まだ無理だけどね。……須藤君」
「うん。……何?」
「もし、気持ちの整理が付いたら、……私とお友達になってくれる?」
「――。……、もちろんっ」
彼女が、手を差し出してくる。
だから、春人もゆっくりと手を差し出した。
そうして握り締めた彼女の手は、小さくて震えながらも力強いものだった。
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