第4話 何故登校するだけなのに野次馬が酷いのだろう


「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、春人。鞄は忘れても、弁当だけは忘れるんじゃないわよー」

「今日は父さんのシチューも詰め込んであるからね! 早弁しても美味いよ!」

「いや、早弁はしないから」


 弁当のことを猛烈にプッシュしてくる両親に、春人は学生の本分は心配しないのかと、一瞬疑問が頭の中を占める。

 だが、毎度のことなので忘れることにした。この両親に常識は通じない。

 そして。



「やあ、須藤君! 今日も清々しくカッコ良いね! 結婚しよう!」



 待ち合わせ場所で、草壁は本日も澄んだ空気と共に朝日を受けながら、無駄にきらきらしい立ち姿で春人を迎えてくれた。挨拶代わりに「結婚しよう」という人間は、彼女くらいなものだろう。


「おはよう、草壁さん。今日も何だか無駄に輝いているね」

「……、お、おおうっ! これが、須藤君の口説き文句なんだね? いやあ、輝かしいほどの素晴らしき可愛らしい女神に見えるだなんて、照れるねえ」

「いや、そこまで言ってない」

「ふふん、分かっているよ。しかも、こうして君はさりげなく、私の歩幅に合わせて歩いてくれているしね! 紳士だよねえ」

「え。……いや、普通じゃないかな」

「皆まで言うなかれ! こうして、須藤君は私の心をまた一つ、鷲掴わしづかみにして落としていくのさ……。須藤君はつくづく罪だねえ」


 勝手に納得して勝手に恋に落ちていく。

 一人で何でもかんでも春人を恋へと関連付けていくその姿は、いっそ清々しい。流石は毎日クラスメート達を口説いて心を鷲掴みにしている彼女だけある。春人には決して真似出来ない。したくもない。

 それに。



 ――何でか、合流してから人の視線が豪雨の様に押し寄せてくるしなっ。



 物陰から、いや既に堂々と遠巻きにしながら春人と草壁のやり取りを見守っている学生達が多数いる。噂を聞きつけた草壁のファンが様子を見守りに来たのだろう。暇人か。

 そんな彼らの視線の鋭さだけで、もう春人の全身は穴だらけだ。代われるものなら、今すぐ代わってやりたい。途中、「春くん、おはよう。今日も良い天気だねえ」とのほほんと挨拶をしてくれる近所のおばあさんの存在だけが癒しだった。

 高校二年生になってからは女子に見られることも減った気がしていたが、なるほど。草壁という強力な防波堤があったのだから納得だ。是非ともこのまま、春人は自由で穏やかな高校生活を送りたい。二、三年生はクラス替えが無くてラッキーである。

 けれど、そのためには、この登下校を滅しなければならない。


「……なあ、草壁さん」

「うん。何だい? 須藤君」

「まさか、これから毎日登下校とかじゃ……ないよな?」

「え? 毎日登下校をしたいだって⁉ ね、熱烈な告白……! しかと受け取ったよ!」


 違う。


 登下校をするわけじゃないよな、という確認だったのだが、物凄く都合良く取られてしまった。益々周りから刺さる視線に殺意が増す。


「あ、いや。毎日はちょっときついかなー、なんて……」

「うん? そうだね。土日はやっぱり家で休みたいからね! 週五日の登下校だけにしようか!」

「え。それって、つまり毎日……」

「いやあ、まさか須藤君の方から誘ってくれるなんて思わなかったよ。私から毎日どうやって誘おうかと、昨日は家族会議をしていたくらいだからね。手間が省けて良かった良かった」


 家族会議って、何。


 まさか、草壁家では既に春人と付き合っているという話になっているのだろうか。そもそも告白をOKしたのに馬鹿にされて却下されたというのに、意味が分からない。

 戦々恐々としていると。


「父と母、それから弟に相談してみたんだよ。好きな人がいるんだけど、なかなか奴は手強くて断られてしまったと」

「いや、OKしたよね?」

「だから、あらゆる角度から上目遣いをしてみたけど、全然首を縦に振ってくれなくて」

「え。別にあらゆる角度からじゃなかったよな?」

「是非とも私の溢れんばかりの魅力でめろめろに落とし込んで、奴の目をハートマークにさせたいんだけど、まずは登下校でどうやってハニートラップとやらを仕掛ければ良いだろうかってね! 真剣に食事中のお題に上げてみたよ!」


 何だか聞いてはいけないことを聞いた気がした。


 春人が会話の端々にツッコミを律儀に入れてみたのに、まるで聞いてはいない。その上ハニートラップを仕掛けると堂々と宣言されてしまった。今のところ、まったくもってハニートラップの「ハ」の字も見当たらないが、どれだけ真剣に相談して吟味したのだろうか。恐過ぎる。

 しかも、ハニートラップという単語に、ぎらりと周囲の目が一際ひときわ大きくぎらついた気がした。トラップを仕掛けられたいのかと、冷や冷やする。

 だが。



「それで、結論としては、私にハニートラップは無理だということだったのさ!」



 とても素晴らしく正当な結論が出されていた様だ。



 家族は流石、草壁のことをよく分かっている。彼女のこのきらきらしたイケメンの空気では、ハニートラップには向いていなさそうだ。口を開けばおかしなことばかり言い始めるし、結果がただの変人で終わりそうである。


「だから、解決策その一。君を真っ直ぐに見つめてみることにしたよ!」

「……、……はい?」

「母曰く、まずはひたすらにじっと無言で熱く熱く真夏の太陽よりも灼熱のマグマよりも熱くたぎりながら、丸裸の心の雄叫びごと、相手を骨のずいまでしゃぶり尽くす勢いで見つめてみろということだったよ! なので、今! 実行してみようと思う!」


 ――恐いよ、お前の母さん。


 しかし、春人の心の声は何のその。

 言うが早いが、草壁は歩幅を合わせながら笑顔で春人を見つめ始めた。じーっと輝く瞳で真っ直ぐに凝視してくる。あまりに強すぎるその視線に、春人は照れれば良いのか動揺すれば良いのか冷静に受け止めれば良いのか分からなくなった。

 というより、何故解決策をわざわざ宣言してから実行するのだろうか。こういうのは、こっそりとさりげなく気付かれない様に相手に仕掛けるものではないのか。口にしてから実行されたら、雰囲気的には台無しである。

 しかし。


「……」

「……」

「……………………」

「……………………」

「………………………………………………」

「………………………………………………」


 見つめられること数分。

 本気で無言のまま、にこにこと横顔を見つめてくる草壁の度胸は立派だ。おかげで春人は気まずい様な、恐い様な、むずがゆい様な、複雑な心境で落ち着かない。

 家族は、彼女が恋の駆け引きがここまで下手くそだということを知らないのだろうか。それともこの実直さはわざとなのか。春人を混乱に叩き落とし、洗脳されて惹かれていると錯覚させる作戦なのだろうか。

 思う合間にも、草壁の瞳は貫く様に春人を見つめてくる。

 そろそろ耐えられなさそうだな、と思いながらちらりと振り返ると、彼女の栗色の瞳とぶつかった。

 瞬間。



 ぱっと、華やかに彼女の目が笑った――気がした。



 周囲に星の光が飛び散る様な喜びが見えた気がして、春人は吸い込まれる様な錯覚に陥る。

 思わず、ぱっと視線を外してしまって、まずいと内心で舌打ちした。これでは相手に失礼だし、傷付けたかもしれないと心が痛む。

 だが、今更視線を戻す勇気もない。もう一度同じ様に笑われたら、春人はどうして良いか今度こそ本気で分からなくなる。

 横顔には、相変わらず彼女の視線を感じた。


 先程よりも焼ける様に頬が熱いのは、きっと気のせいだろう。


 それ以降も、ただただ沈黙が続く。

 ひたすらに、二人分の歩く音だけが辺りに響き渡った。土を踏みしめる音が、どこか不協和音の様に揺れて、春人の心を揺さぶって苦しい。

 隣に誰かがいるのに沈黙が続くことが、これほどに落ち着かないとは思わなかった。ただ、無感動に見慣れた景色が通り過ぎるのも変な感じがした。


「……。なあ、草壁さん」

「何だい?」

「あの、……。……そうだ。どうして、俺のことを好きになったんだ?」


 思わず理由を尋ねてしまった。別に興味があったわけではないのに、と耐え切れなくなった己の忍耐力を呪う。

 そして、あっさりと、草壁は「ああ」と軽く手を叩き。



「もちろん、顔だよ!」

「――」



 顔。



 満面の笑みで清々しく強く言い切られた。

 逃げも隠れもしない堂々たる断言に、春人の口元がひくりと揺れる。


「え、……顔?」

「そうだよ! 最初に気になったのは顔でね! 心を惹かれていくキッカケも顔! 好きになった理由も顔だし、君のどこが好きなのかと聞かれても顔だね!」

「……、………………、へ、へえ。……かお」

「そう! 顔! 顔が全ての始まりさ!」

「………………………………。……、うん。分かった」


 かおかおかおかお連呼され、春人は全てがどうでも良くなった。そういえば、カッコ良いを連発されていた気がする、と今までの会話を思い返す。

 草壁は、春人の顔が好きになったのか。そして、これだけ執着してくるのも顔のためか。ここまで開き直って明言されると、痛快である。

 しかし、顔。



 外見だけで、好きになったのか。



 何だかがっかりした様な気分になって、春人は首を振る。勝手に期待してしまったのだろうか。春人こそ身勝手だと戒める。

 今まで付き合ってきた恋人だって、大体は春人の見てくれに惹かれて告白してきたのだ。草壁が同じだからと言って、何を責められるだろう。ろくに会話をしたことも無かったのだし、キッカケが顔なのは充分にありえる話だ。

 春人だって、彼女が可愛いし人気者だから、光栄だと思って付き合うことを決めた。自業自得だし、我ながら最低だとも思っている。

 しかし。



 ――そっか。顔か。



 それでも、何となく落ち込むのを止められない春人は、卑しいのだろうか。

 先程とは別の意味で落ち着かないまま、学校に着くまで謎の沈黙は続けられた。


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