【2】夢を見る
新学期一日目の夜。部屋から道沿いに咲く桜を眺めていた。薄紅色は月明かりを受けて暗がりにぼう、と浮かび上がり、仄かな光を放っているようにも見える。
机の上の棚には真新しい教科書を並べて、その横には千代紙が積まれていた。
『受験生なんだし、そんなにがっついて折らなくてもいいのよ?』
母にはやんわりと咎められた。明後日には早速実力テストもあるし、紗夜も出来るだけしか折るつもりがない。折りあがった鶴をひとつ、膨らませて広げてみた。
「どうして、鶴なんだろ」
ふと疑問が起こる。どうして巫女に選ばれるのが17.18歳の女の子なんだろう。
朝、直人に聞かれた言葉が胸を過った。それまではそういうもんなんだろう、と疑問にすら思わなかった。
23時だ、そろそろ寝ようかな、と布団に潜り込む。本当はテスト勉強もあるんだけど、バスの中でもできるしな、と後回しの悪い癖を発動する。
また直人に後回しにしすぎって言われちゃうかな。
私の性格を熟知してる幼なじみの顔が思い浮かぶ。だが、新学期であちこちに気を遣った事もあって、疲れていたせいか、直ぐに眠りは深くなっていく。
***
「直太朗さん!」
少女の明るい声が野原に響く。菜の花が道沿いに黄色い道を作り、もう、咲きそうに蕾の綻びかけた桜の木が2人を見下ろしていた。
後ろから追いかけてきた直太朗はフキの手を掴んだ。大きくて温かい手だった。手のひらは、日頃使うクワ等のおかげで潰れた豆の痕が固く、分厚くなっている。フキは4つ上の又従兄弟である直太朗のその手が大好きだった。
少し上がった息を整えつつ、直太郎を見上げると、微笑んだ直太郎は、そっと掴んだ手を引いてフキを抱き寄せた。
「走るなよ、転んだらどうする?」
「だって…あ、ダメだよ、誰かに見られる」
1度擦り寄せた頬に軽く口付けた直太朗を、咎めるように言って顔を引く。
「いいんだよ」
直太朗はそう言うと、またフキの頭を胸に抱え直した。暖かい胸がどくどくと生命の音を立てる。かすかに感じた風に、菜の花の香りがふわっと香る。道端に咲いている菜の花の黄色が目に眩しい。
ミツバチがその花の中に潜り込んでいくのを、直太朗の腕に抱かれながらぼんやり見ていた。そして今日聞こうと思っていた事をフキは思い出した。そっと直太朗の胸を押しやって身体を離し、彼を見上げた。
「おじ様に話してくれたの?」
「……」
「ねえ」
直太朗の表情は苦い。
「話した」
「やっぱりダメだった?」
フキは直太朗を覗き込んだ。
直太朗は口元は笑っていたが、少し暗い目をしていた。
「親父たちの仲の悪さは筋金入りだからな」
「そうだね」
自分たちが恋仲になったのは、去年の夏祭りだった。祭りの最中、下駄の鼻緒が切れて林の縁に1人でいたフキが、隣村の男たちに山へ連れ去られて乱暴されそうになった。そこに直太朗が駆けつけてくれて、事なきを得た。
それまでは、フキの一方的な片思いだったのだが、直太朗はようやくフキを一人の女として見てくれるようになった。
「絶対許してもらえる」
直太朗はフキのまだ膨らんでもいない腹部にそっと触れた。
「うん」
「だから待っててくれ、絶対に説得するから」
直太朗の手がフキの頬を撫でた。
フキのお腹には既に子がいる。今年、冬のある日の事だった。フキは使いに出された街からの帰り、吹雪に見舞われて家まで帰れなくなり、何とかたどり着いた隣村の親戚である、直太朗の家に泊まらせてもらったのだった。
夜半、直太郎は寒がりのフキを心配して離れを訪ねた。あまりの寒さに身を寄せ合ううちに、結局、閨を共にした。その頃には2人はすっかり恋仲で夫婦になる約束もしていた。腹の子はその時の子だろう。
フキは幸せだった。
幼い頃からずっと想ってきた直太朗と想いを通じたことも、これから子が生まれて家族になることも。
きっと孫が産まれると知ったら、おじさんや父も許してくれる、とフキは、昔から家の子であってもよその子であっても、小さな子達を可愛がっていた直太郎の父の姿を思い浮かべた。
***
がすっ!!!
「きゃあ!!」
下女たちの悲鳴がひびく。目の前にうずくまった直太朗の前にフキは立ちはだかった。
「フキ、お前は…!そんなふしだらな女に育てた覚えはない!」
「お願い!直太朗さんを殴らないで!お腹の子の父親なのよ!?」
「うるせえ!おいお前、フキを川につけてこい!」
下男に命じるが、下男は恐れおののいてオロオロするばかりだった。
「その腹の子を下ろせ」
「お前さん、もう無理だよ!フキさんもう五ヶ月目に入ってるんだから!」
継母のユキがフキを庇う。
「あんなバカタレの親父がじいさんなんだぞ!?ろくな子生まれねえ!」
「私の子だし、直太朗さんの子だ!じいさん達は関係ないだろ!?」
「達ってなんだ!?俺とあいつを並べるんじゃねえ!」
くわっと目を見開いて見下ろしてくる左之助は、鬼のようだ。
二人の仲の悪さには理由があった。亡くなったフキの母は、村でも評判の美人だった。その母を巡って争ったらしい。見事フキの母を射止めたのは父で、直太朗の父は腹いせかどうか、父の可愛がっていた従妹を嫁に貰った。その時もかなり反対して騒ぎ立てたらしい。あれこれお互いをこきおろす理由をつけたがる二人だが、とどのつまり、馬が合わないだけである。
「お父ちゃんだってこの子のおじいちゃんなんだよ!?いつも言ってたじゃないか!早く孫の顔がみたいって!!」
きっと睨みつけてフキが言い返す。
「うるせえ!それがあいつの倅の子なのは許せねえ!」
「…そう、お父ちゃんはそう言うと思った」
急に大人しくなったフキに、父、左之助は目を見張った。フキが手にしてたのは懐剣。守刀だと、産んでくれた母から受け継いだものだ。
「フキさん!」
継母の悲痛な声がフキを咎めるが、フキはそれを父親に差し出した。
「私がこの子を産むのがどうしても嫌なら、私ごとここで殺してください」
鞘から刀を抜いて、父にツカを向ける。
「さあ!早く!」
「馬鹿なことするな!」
「小さい頃から、直太朗さんが好きだった」
「フキ!」
「お父ちゃん言ってたじゃない。お前を大事にしてくれる、優しくて強い男に嫁げって。直太朗さんそのままの人でしょ?」
「フキ!!」
刀を首に向けた。
殴られた衝撃から、しばらく気を失っていた直太朗が気がついて、私を見てハッとする。
「フキ!やめろ!」
「お父ちゃんがいいって言わなかったら私はここで死ぬ!」
「フキ!ダメだ!」
直太朗は私の頬を叩いた。懐剣がその衝動で板の間に落ちた。それを部屋の端に蹴り飛ばして、直太朗は険しい顔で私の両肩を掴んだ。
「育ててもらった親に、脅しをかけるとはどういうことだ!それは違うだろ!?」
「直太朗さん」
私は叩かれた頬を押さえて目の前の男を見上げる。寄せられていた直太朗の眉がふっと緩む。
「大事に育てて貰った親父さんだろ?ちゃんと誠意をもって許してもらうのが筋だ」
目に涙を浮かべた私の頬を撫でて、
「叩いてごめんな、でも、落ち着いてちゃんと許してもらおう?な?」
フキは涙を拭って頷く。
直太朗はもう一度、居住まいを正して父の前に座った。私もその隣に座って手をつく。
「左之助おじさん、順番が違ったこと、驚かせてしまってすみません。でも、俺はフキと一緒になりたい、フキ以外には考えられないんです!夫婦になることを許してください」
「お父ちゃん、お願いします!直太朗さんと一緒にならせてください!」
2人が頭を下げるのを左之助は見下ろして呆然としていた。
「フキ、懐剣を貸せ」
「お前さん!?」
驚いたユキが左之助を見る。部屋の隅からその懐剣を拾い上げると、大股でフキの方へと歩み寄ってくる。
直太朗は、フキの前に肩半分出て、フキを守るように構えた。左之助は屈んでそのそばに落ちていた鞘を持ち上げると、刃を納めた。カチン、音がする。
そして、それを横にして、フキの手を取ると握らせた。
「お前も、親になるんだな」
その目は懐かしいものを見るように、とても優しかった。
「お父ちゃん…」
左之助は頷くと、直太朗に向き直った。
「直太朗、おれはお前の親父と犬猿の仲だ。あいつがフキの事を気に入らずに受けいれなかった場合は、子供とフキはこちらに引き取る。それを条件にする」
「左之助おじさん」
「ふつつかな娘だが、末永く可愛がってやってくれ。泣かせるような事があったら…分かってるな?」
2人は顔を見合わせて改めて手を付き、頭を下げた。
「おじさん、ありがとうございます!」
「お父ちゃん!ありがとう!」
左之助は、さて、と立ち上がると、ユキに向かって言った。
「ユキ、1番いい酒、用意してくれ、直次に会ってくる」
「…はい!」
直太朗とフキは心配げに左之助を見上げた。
「お前らも行くんだぞ?2人きりだと喧嘩にならねぇ自信がねぇ」
「…はい!」
「フキ」
「うん?」
「良かったじゃねえか、ずっと直太朗の後ろをついて歩いてたもんな」
「お父ちゃん…」
涙をうかべたフキの頭を、小さな頃のように優しく撫でる父の手は、大きくて温かかった。
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