千代紙に祈る
伊崎 夕風
【1】祭事の巫女
ひばりが鳴いている。
土間の上がり場に座ってローファーを靴箱から出した。
つやりと磨かれた靴は、昨夜、日曜の夜に磨いたものだ。2年の最後の日に履いて、ホコリだけブラシで落として放っておいたのを見つかって、新学期までに磨きなさいよ、と母に口を酸っぱくして言われていた。言われれば言われるほど、やりたく無くなるという事実を母には知ってほしい。私とて新学期、曇った靴で登校したくないのだから。
「
母が言った。
「ああ、うん、先生に言っとく」
高校3年に上がって、今日は始業式。今年の担任は誰だろうな、思いながらローファーを履く。
「もしこの土地に来たばかりの先生だったら、教頭先生に話してから言いなさいね」
「分かってる!行ってきまーす」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
玄関を出て1度振り返る。母はいつも必ずたたきまで降りて私を見送ってくれる。小学校の頃からの習慣だ。
もう少し子供の頃は、数メートル行きかけて振り返ると、母がまだ嬉しそうな顔で私の後ろ姿を見てた。
そして私が振り返ると、笑って手を振るのだ。いつもは恥ずかしいから、周りの友達がいない時だけ振り返ったりしていた。
高校生となった今では、時々、気になった時だけしか振り返らないけど。
昨夜、幼なじみの直人のお父さんが家まで来た。今年は町の役員なのだ。
「今年の巫女さんは紗夜ちゃんに是非お願いしたいと思ってるんだけど、引き受けてくれる?」
毎年、春先の田植えの前に、堤防にあるお堂の前で祭事が行われる。そこに舞と折り鶴を納める巫女を、17.18歳になる土地の娘に任せられる。
それが今年、私、福永紗夜に回って来たのだ。私は今年18歳になる。町内には他に同い年や1つ下には女の子はおらず、必然と私に回ってくると思っていた。
さっき母が言っていた、学校に報告することはその件だ。悪天候で順延になった場合平日に行われることもある為、そう言う場合は地域の行事という事で、特別に欠席扱いにはならないことになっている。
なので学校への事前の報告は必須というわけだ。
(折り鶴、今年は何枚折るんだろ)
町人、一人一つ、折鶴を折ることになっている。最近では婦人会(という名前だけで、新規会員が入らないため、老人会1歩手前のおばさん達の集まりになっている)では捌けなくなって、各町の班ごとに、持ち回りで協力して作成することになっていた。
そしてその集まった鶴を糸に通すのは、そのおばちゃん会の仕事になっている。
色とりどりの折鶴はそれは綺麗で、子供心に見惚れた記憶がある。紗夜は折鶴を折るのが好きで、母に呆れられていた。隣組のおばちゃん達にも、毎年助かるわぁ、とその時期ばかりは頼られてる。
バス停までの道の途中に、お堂がある。堤防のすぐ下に建てられた、ほんの小さな木製の御堂だが、3年前に建て替えられたので、まだ木の感じが若い建物だった。
そのすぐ上には、この辺で1番大きな桜の木がある。御堂を見下ろすように大きく枝を伸ばしていた。今は桜も五分咲きでまだ蕾が多いせいか、薄紅色を満開の時よりも少し色濃く見せていた。子供の頃から御堂の前を通る時は、必ず手を合わせなさい、と言われて育ったので、毎回キチンと手を合わせる。
(今年は私が巫女を務めさせてもらいます。よろしくお願いします)
心の中で呟くと、ふわっとやわらかい風が吹いて、桜の甘い香りを感じた。桜がバラ科の植物だと知ったのは最近だ。その芳香の甘さに納得する。
「よお」
紗夜の後ろからやってきたのは、紗夜とは違う学校のブレザーを着た幼なじみ、直人だ。昨日、うちに来た町役員の息子。直人は、隣に立って御堂に手を合わせると、こちらを向いた。
「今年、巫女なんだってな」
桜の木を見上げて言う。
「…うん」
「良かったな」
「うん?」
「お前、小さい時から巫女さんやりたいって言ってただろ?」
紗夜は目を見開いた。そういえばそうだった。小さな頃はそんな事をしょっちゅう言ってた。少し大きくなると、そういうことをあまり周りに話すのは恥ずかしくて言わなくなった。
だが、この幼なじみはそんな昔のことを覚えている。
「そんな事よく覚えてたね」
「まあな」
少しバツが悪そうに前を向いて歩き出した直人の後ろを歩く。
「お前あの御堂、何のための御堂か知ってる?」
直人が聞いた。
「水害を防ぐため、春先に病気をはやらせないための御堂でしょ?」
直人はうなづいた。
「で?」
「なんで17.18の女の子が巫女になるかは知ってるか?」
「さあ?なんで?」
「いや、知らないならいいんだ」
直人は何か気になる言い方をした。まあ、いっか、と私はその時は深く考えず、道を行きかけて、ふと、御堂を振り返った。
「どした?」
「今、そこに誰か居なかった?」
「いねーよ、通学の時間だってのに、歩いてんの俺達くらいだろ。あの在所はもうほぼ若者なんかいねーし、ガキンチョたちは学校遠いからもっと早いし」
「そうだね」
2人はバス停を目ざして再び前を向いた。
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