ダブルデッカー

 結局コーは、メロの依頼を受けることに決めたようだった。

 メロは手持ちの現金をほとんど身に着けてはいなかったが、それでもトムラウシ市へ着いたら運送料金を必ず支払う、と約束した。それを信用したのだ。


 荷物ではなく生きた人間を運ぶのは初めてだな、とレンは考え、すぐにその思考を打ち消した。

 そうだ、忘れていた。目の前にもう一人、生きたままレンたちに運ばれた人間がいる。


 シーナは元々、何者かに襲われて箱に詰め込まれ、眠らされた状態でコーとレンが運送させられていたのだった。

 あのときは散々だった、とレンは思い返す。

 怪しげな飛行船に襲撃され、荷物の受取人は何者かに殺され、最後にはシーナの自宅がすっかり燃やされているというおまけつきだった。


 それで行き場を失ったシーナがジーシェ号に乗り込むことになったのだが、まさかまたしても人を運ぶことになるとは思わなかった。


 それでも今回はシーナのときとは違って意思疎通が最初からできるし、何よりきちんと金を払うと言っている。それを考えればまともな客であると言って差し支えないだろう。


 一夜明けてオーミネ市を飛び立ったジーシェは、4人を乗せて一路東へと飛んでいた。

 眼下には黄色味がかったハロスの海が朝日に照らされて輝きを放っている。風の具合だろうか、時折生き物のように蠢きながらゆったりと波打っているその毒の霧は、眺めている分には美しい雲海のようだ。


 昨夜、メロの話を聞いた後、そのまますぐに飛び立つというプランもあった。

 オーミネ市の街中ではトラーフド社の追手にメロが顔を見られたようだった、ということもある。そのとき一緒にいたシーナやレンも見られていたとすれば、たとえ一晩でもその街に滞在するのはリスクが大きかったからだ。


 ただ一方で、有視界飛行しかできない飛行船では夜間の飛行もまた大きなリスクを伴う。それぞれの街には灯台があるとはいえ、何かの拍子に方角を見失ったり、あるいは他の船などに衝突して墜落する危険もある。


 それでコーたちはしばらく喧々諤々の議論を交わした末に、交代で見張りを立てながらその夜をオーミネ市の発着場で過ごすことにしたのだった。

 幸い追手は現れず、今朝になってジーシェは無事に飛び立った。


 向かう先はアカイシ市である。

 

 ひと樽足りないとはいえ、他の樽に何か問題が発生する前に、この高級酒を届けてしまいたい、という魂胆だった。

 いずれにしてもトムラウシ市へ向かうためには途中で何度か補給も必要だ。

 そこで直線的に北を目指すのではなく、アカイシ市に寄って荷をおろしてからメロの故郷へ向かうことにしたのだ。


 眠い目をこすりながら、レンは舵輪を握りしめ、もう片方の手に持ったビスケットを一口齧った。

 ゆうべはあまりよく眠れなかった。

 途中で見張りのために起こされたし、何より傭兵たちが今にも踏み込んでくるかもしれないと思うと気が気ではなかったのだ。


 レンの後方、ダイニングの方からも大きな欠伸の声が聞こえた。

 

 シーナとメロは少し意気投合したのか、他愛もない雑談に花を咲かせている。

 普段は男勝りというか、サバサバした性格のシーナだったが、歳が近い同性の相手がいると意外なほどおしゃべりだった。


「ふうん、それじゃメロよりもケニの方が私に歳が近いな。メロの師匠みたいなもんなのか」

「うーん、師匠とか先生っていうよりはお兄ちゃんね。ちっちゃい頃からずっと面倒見てもらってたし」

「男として好きだとか、そういうことじゃないの?」


 シーナの突っ込んだ問いに、二人がくすくすと笑う声が被さってくる。打ち解けているようでよかった、と思いながらレンは口をもぐもぐと動かした。それから少し舵輪を離れてカップを手に戻ると、まだぬくもりの残るお茶で口の中のものを流し込んだ。


「アカイシ市には追手が回ってないといいんだがな」


 エンジンルームから戻ってきたコーが、坊主頭を掻きながらぼやいた。


「これだけの重さの荷物だし、なによりひと樽足りない件で話をつけないとならねえ。そうなるとどうしても時間がかかるだろうしな。既にトラーフドの手が回ってるとすれば、長居はかなり危険だ」

「もしメロが追手に見つかったら僕たちはどうなるかな」


 少し考え込みながらレンが口にすると、コーは顔をしかめて唸った。


「考えたくもないが……まあどうしたって味方だと思われるだろうな。全員本社へ連行されるか、その場で叩きのめされるか……」

「殺されることもあるかも」

「最悪あり得るね。ただ、約束した以上はメロだけ引き渡して俺たちは無関係です、ってわけにもいかないからなあ」


 またコーのおせっかいが始まった、とレンは心の中で笑った。


 コーはいつもそうだ。僕のときも、シーナのときも、困ってる人間を放っておけない性格なんだ。いや、そもそも面倒ごとに巻き込まれるのをどこか楽しんでる節がある。

 今回だってなんだかんだと言いながらも最後までメロの面倒は見るのだろう。


 レンは手に付いた食べカスをズボンの尻で拭くと、またひとつ大きな欠伸をして舵輪を握りなおした。


 それからしばらくは順調な飛行だった。ジーシェ号は滑るように寒空の下を進み、昼過ぎにはアカイシ市の煙が見えるところまでやってきていた。


 昼食の食糧を買い込んでいないことを考えれば、アカイシ市での滞在に少し時間がかかりそうだということは都合がよかった。

 コーが受取人と話を付けてくる間に、僕たちで昼食を買ってくればいい。ついでにタンクの水も補給しておかなければ、北の果ての街まで飛行するには少々心もとない。


「もうすぐ着くよ」


 レンがジーシェの高度を下げはじめると、周囲には徐々に飛行船が増え始めた。発着場が見えてくる。

 最近はこういう混雑する発着場でも、レンが一人で操縦を任されることが多くなってきた。それだけ信頼されるようになったのだろう。

 レンは事故を起こさないよう、慎重に船を進めていった。


「待って! あれ!」


 突然メロが大声をあげ、レンは思わず推進レバーを減速に入れた。

 横を見ると、双眼鏡を眼に当てたメロが、前方を指さしている。


「どうしたの?」

「トラーフド社の船だ! あのダブルデッカー!」


 つられて向けたレンの視線の先には、見覚えのあるダブルデッカーの細身の飛行船が、今まさに発着場に入り込んでいくところだった。


「コー、あれって――」

「ああ、覚えてる。シーナを初めて乗せた時に追いかけてきた空賊の船と瓜二つだ。畜生め、ありゃ軍事会社の傭兵の船だったのかよ」

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