シーナ
レンの目の前には裸の女が立っていた。
特に何をするでもなく、ただ立っているだけなのだが、妙に淫靡な雰囲気がある。そして女は両手を広げ、レンに向かって一言、おいで、と言った。
レンは躊躇いながらもそちらに一歩踏み出す。いいのだろうか、こんなことしてたらコーが怒るかな――。
とその刹那、女の腹から血が噴き出した。どくどくと脈に合わせて噴き出るその赤い奔流は、とどまることを知らずに次々と溢れてくる。
早く止血しなきゃ、と思うが身体が思うように動かない。見れば手足が縛られているのだ。レンは必死にもがいた。縛られているせいか身体中が痛む。背中が強張り、節々の関節が悲鳴を上げている。早く、早くしないと死んじゃう――。
はっと目を覚ましたレンは、そこがどこだかわからず、何度か目をしばたたいた。ここは……そうだ、ダイニングの床か。ゆうべ、結局コーと二人でここで寝たんだ。
横を見るとコーは分厚い毛布にくるまってまだいびきをかいている。時計の針は6時を指していた。窓から差し込む光を見ると、今日も天気はよさそうだ。
レンはくしゃみをしながら起き上がった。標高が少し低いのでジョーネン市ほどではないにしても、やはり山の朝は寒い。ジーシェ号には蒸気エンジンの余熱を利用した暖房システムが入ってはいるが、停泊中にすっかり冷え切ってしまっている。
「なあ、ここはどこだ? なんで私裸なの?」
突如、女の声がしてレンは危うく飛び上がりそうになった。
振り向くと、仮眠室の扉から、毛布を身体に巻き付けた昨夜の女が立っていた。
「あ、えっと……目が覚めたんだね」
「あ、うん。おはよう。とりあえず、服を返してもらえないか?」
レンがどう答えようかと迷っていると、隣でもぞもぞとコーが起き上がった。
「ああ? おお、目え覚めたのか。とりあえずよかった」
「……服は?」
女がまたしても同じことを繰り返す。ただその態度は、裸であることが不思議だ、という様子で、どうやらコーやレンに凌辱されたかもしれない、という感じではなかった。
「あー、ちょっと待ってな。まず、あんたは俺たちが見つけた時には裸だった。だからとりあえず予備の飛行服を着てもらうしかねえな。下着は無いが我慢してくれ」
コーはそう言うと立ち上がり、女を押しのけるようにして仮眠室へ入っていくと、抽斗から予備の服を出して女に手渡した。
三人がダイニングのテーブルに着くと、コーが入れたハイマツのコーヒーが全員に行きわたった。
「さて、説明してもらおうか。あんた、一体あの箱の中で何をしてた? というか何があったんだ?」
「聞きたいのはこっちの方。どうして私はあんなところに入れられていた?」
「参ったな。覚えてないのか」
女の返答に、コーは坊主頭をがりがりと掻いた。
「いったいいつから覚えてないんだ? 名前は? 住んでるところは?」
「名前はシーナ。住んでるのはオクホ市。年は――多分30歳だけど、あー、今日は何月何日?」
「5月10日だよ」
レンが口を挟む。
「じゃあ覚えてるのは……ひと月くらい前か。4月頃のことは思い出せる。それからあとは――ダメだ、思い出せない」
シーナはそう言うと少し頭痛がするといった様子で額に手をあてた。
指先は飾り気がなく、すらっとした指はどちらかといえば仕事をする人間の手だ。
「仕方ない。それじゃこっちから話そう。俺はコー。こっちの若いのはレン。二人で運送業をやってる。ここはその運送船のジーシェ号だ」
それからコーは、昨日の朝からの顛末をかいつまんで話して聞かせた。時折眉を顰めたり、驚いた様子を見せたりしながらも、シーナはその話に聞き入っていた。
「……で、箱を開けてみたらあんたが入っていたってわけだ。しかも裸でな」
「よくわかった。とりあえずお礼を言った方がよさそうだな」
「いいや、こっちも成り行きだ。礼を言われるようなことじゃない。それよりこれからどうする」
「そうね……もしあなたたちが差し支えなければ、ジョーネン市へ帰る途中でオクホに降ろしてくれるか? ラボの様子も気になるし、一度帰らないと」
「ラボ? 研究所か?」
「そう、ああ言ってなかったか、私は遺伝生物学の研究者だ。自宅兼研究所があるんだよ。そこで少なくともひと月前には、ハロスを浄化する植物の研究をしてた」
「そんなことができるの?」
レンが驚いて身を乗り出した。シーナは少し笑いながら首を傾げてみせる。
「さあ、私が覚えてる限りは、今のところ成功してはいない。思い出せないつい最近に実験が成功したんじゃなければ。まあ帰って実験ノートを見てみれば、それも含めて色々思い出せるかもな」
結局コーは、シーナを帰りに送り届けることを承諾した。
僕の時もそうだったけど、コーは時々お節介というか、困ってる人を放っておけないところがあるんだよなあ。レンはそんなことを思いながらも、改めてこの奇妙な同行者を眺めまわした。
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