第23話 生徒手帳

 教室に担任の教師が入ってきた。久しぶりのホームルームが始まる。

 

「え〜一週間ぶりですね。ゴールデンウィークが終わり、中間試験も近づいてきたので、各自復習をしっかりするように——」

 

 これなら川瀬の攻撃から逃れられる……わけもなく。

 

「…………」


 すごく視線を感じる。チラリと隣を見る。……川瀬がじーっとこちらを見つめてきていた。……さて、どうしたものか。ここで話しかければ「別に見てないけど? 谷口、自意識過剰〜」とか「よく気づいたね。あ、もしかして谷口私の事意識してるの〜? だから気づいたんだね」みたいなことを言われるに違いない。かと言ってこのまま無視し続けるのは落ち着かないし……。いや、待て。何か言われたとしても「いや、普通に誰でも気づく」と反論すればいいのでは? さすがにこれだけ見つめられれば誰でも視線に気づくだろう。よし、これでいこう。

 

「……じっと見てきてどうした?」

「え? あ、いやその……頭に糸クズが付いてるから気になって」

「え?」

 

 思いがけない返しに戸惑う。が、とりあえずは糸クズを取らなければ。俺はサッと手で髪の毛を払う。これで取れただろう。

 

「……あー。取れてないよ」

 

 川瀬はそう言うと俺の頭に手を伸ばす。

 

「はい、これで取れたよ」

「あ、ありがとう……」

 

 ……俺は途端に恥ずかしくなる。川瀬が俺を見てたのは、ゴミが付いていたから。今回は本当にただの自意識過剰だった。

 

「あれ、どしたの? 顔赤くして。……あ。もしかして」


 川瀬はそこでニヤリとして言った。

 

「もしかして私が他の理由で谷口を見てたと思ってた?」

「…………っ」

 

 ……はい。全くその通りです。言い訳のしようもありません。

 

「あ、もしかして図星? へーほーふーん」

 

 いやらしいニヤケ顔で川瀬は俺の耳元で囁く。

 

「(もしかしたら本当は他の理由で見ていて、たまたまゴミに気づいただけかもよ)」

「……は?」

 

 俺は川瀬を見る。だが、彼女は何も言わずただ微笑む。……いつの間にか俺の隣人はとてつもない小悪魔になっていたらしい。



「……はぁ。やっと帰れる」


 帰りのホームルームが終わり、俺はため息を漏らす。今日は久しぶりの学校だし、ここぞとばかり川瀬はからかってくると身構えていたが、思ったほど絡んでくることは無かった。……しかしひとつひとつがドキリとさせられ、そのたびにメンタルがすり減った。


「……なるほど量より質、というわけか」


 また明日もこれが繰り返されると考えると頭を抱えたくなるが、とりあえず帰ってから考えるとしよう。決して思考放棄ではない。


「……そういやここで川瀬と話してたな」


 曲がり角で俺はいったん足を止める。辺りは民家だらけでこれといった目立つ場所ではない。しいて言うなら俺の家の方向はここから急な坂になっているということ。ちなみに俺はこれを魔の坂と呼んでいる。……こんな何でもない場所だが、少し前の川瀬との会話の記憶はっきりと脳裏に焼き付いている。あの日の川瀬はとても不安そうで泣きそうな表情をしていた。俺はその理由が分からずどうしたものかと思ったものだ。しかも、凜ちゃんのことが好きかとか訊いてくるもんだから余計に混乱した。かと思ったら自分のことをどう思ってるとか訊いてくる。……けどその質問には川瀬の不安そのものが現れているように感じた。だからこそ彼女の悪いところも良いところもそのまま素直に言った。それが正しいと感じたから。そのあと川瀬はすぐ元気になったことからあの言葉は間違いではなかったのだろう。……直後、すぐにからかってきたが。


「つーかやっぱり単にあいつにからかわれているだけじゃ……?」


 ……やっぱその可能性の方が高いよな。というか毎度のことなのでそろそろ学習しろ。俺。


「……はぁ。まあいいや。帰るか」


 そうひとり呟き再び帰路へと足を向ける。


「……ん?」


 足元に何か落ちているの気が付きそれを拾う。


「……生徒手帳?」


 見覚えのある顔写真が目に入る。これを落としたのは……。


「……どこ? この辺にあるはずなのに……」

 

 声が聞こえ、少し先に進む。そこには一人の少女がいた。彼女は地面を手で探っている。きっと落とし物を探しているのだろう。


「なぁ。もしかして探しているのってこれ?」

「え? ……あ。それってもしかして……」


 声をかけると彼女は驚いたように振り向く。……ああ、やっぱりこの生徒手帳の持ち主は彼女か。俺は彼女に近づき生徒手帳を渡す。


「はいどうぞ。……そこに落ちてたぞ。柴田しばた


 肩まである雪のように綺麗な銀髪。小柄ながらも抜群のプロポーション。眼鏡の奥にはくりっとした栗色の目。同じクラスの柴田智依しばたちえは驚いた表情で生徒手帳を受け取った。


「……あ、ありがとう……谷口君」


 とてもうれしそうに柴田は言った。


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