第19話


 過去を振り返り、猫娘はゆっくりと瞬きをした。静寂の中、猫娘はカラクリを見る。

 そして、真っ直ぐにカラクリを見つめ、

「――私、あなたのことを知っている気がします」

「ああ、奇遇だな。俺もだ」

 猫娘の唐突な告白に、カラクリはまるで予感していたように笑い、頷いた。

「先輩、ですよね?」

「香りだろ?」

 二人の予感は当たっていた。カラクリは、ギュッと形のいい唇を引き結ぶ。それは、仁平が照れたときによくする癖だった。今さら、なぜ今まで気が付かなかったのかと自分が情けなくなる。

「……気付いていたんですか?」

「いや、なんとなく雰囲気が似てるなと思っていたけど、いるはずないと思ってたから……でも、それぞれこの船に乗り込んだ時代が違うことが分かって、もしかしたらと思った」

 香りは、カラクリがこの船に乗った理由を思い出す。

「……あの、先輩」

「なぁ」

 二人の視線が絡み、言葉が被る。カラクリは美しい顔を切なげに揺らし、猫娘に一歩歩み寄る。猫娘はカラクリの表情に口を閉ざし、静かに見返した。

「抱き締めていいか?」

「……え?」

 ドキリと胸が鳴って、猫娘は反射的に身構える。

「違うんだ。その……香りが生きてること、この手で確かめさせてくれ」

 カラクリの今にも泣き出しそうなその顔に、猫娘は目を逸らすことができないまま、無意識のうちに返事をしていた。

「……は、い……」

 猫娘が答えると、カラクリは猫娘に抱きついた。今の体では、人形であるカラクリよりも猫娘の方が大きい。

「香り……良かった。本当に生きてるんだな……」

 カラクリは何度も猫娘の本当の名前を呼ぶ。猫娘はカラクリの体温を感じながら、聞きたかったことを訊ねた。

「……先輩。私は本当に死んだんですか?」

 カラクリはゆっくりと猫娘から体を離す。

「……そうだ。電車に撥ねられて、香りは亡くなった。それも、黒中凪砂の刑が執行されたという報道があったその直後のことだ」

「……そ、うですか……」

 猫娘は黙り込む。

「……助けられなくて、ごめん」

 沈んだ顔のカラクリに、猫娘は強く首を振った。

「先輩のせいじゃないですよ。それに、私は今こうしてここにいます」

「……そうだな」

「それより先輩は、いつこの船に?」

 カラクリはガラス玉の大きな瞳をうるませ、

「犯人は不良グループなんじゃないかと思って、俺は香りに絡んだ少年たちを追ってたんだ。そうしたら、そいつらの中の一人が拳銃を所持していてな。一緒にいた新人の警官がパニックになって発砲したんだ。俺は咄嗟に拳銃を持っていた少年を庇って……」

 猫娘はカラクリの話に目を見開く。

「まさか……撃たれたんですか!?」

「ああ。それで、生死の境を彷徨っている時にあの羽男が現れて、気付いたらこの船にいたってわけだよ」

 カラクリは自嘲気味に笑い、肩を竦めた。

「先輩……私のせいで……ごめんなさい」

 猫娘の耳がしょぼんと垂れる。そんな猫娘の頭に、カラクリは背伸びをして手を乗せた。

「お前のせいじゃない。むしろ、謝るのは俺の方だ。俺は目の前でお前を死なせてしまった。死んでも死にきれなかったんだよ。ごめんな、香り。死なせてごめん」

 カラクリの言葉に、猫娘の涙腺も緩んでいく。

「……どうして」

「ん?」

「なんで先輩は、ここまでして私のことを……私は誰のことも救えなかったのに。私にはそんな価値なんてないのに……」

 猫娘は嫌悪感でどうにかなりそうだった。

「こんな船にまで、先輩を巻き込んでしまって」

 猫娘は頭を垂れた。学生のころから変わらない仁平の優しさに、あらためて救われる思いだった。

「勝手にやったことだよ。俺がただお前と離れることができなくてやったことだから」

 猫娘の頬を、カラクリが手で確かめるようになぞる。

カラクリの陶器の手は冷たいのに、猫娘にはどうしようもなく温かく感じられた。

 猫娘が目を瞑ると、その縁から透明の雫が一粒流れた。

「俺は、どうしても忘れられないんだよ。どうしてもお前を諦められないんだ」

「……先輩。私、先輩がいなかったらここまで生きてこれませんでした。今私がここにいるのも、全部先輩のおかげです」

 猫娘が微笑むと、カラクリはホッとしたように表情を緩めた。

「なぁ……部屋で、お茶でもしないか。あ、俺の部屋が嫌だったら、レストランホールとかでも」

「いえ、お邪魔します。先輩のお茶は美味しかったですから、いつも」

 二人は、カラクリの部屋に移動した。カラクリがお茶を淹れ、猫娘に差し出す。

「ありがとうございます。いい香り……」

「お前、作るのはダメなのに、食べたり飲むのは好きだよな」

「ふふ、好きです。お酒も、甘いものも」

 猫娘はうっとりと舌で唇を舐める。妖艶なその仕草を、カラクリは食い入るように見つめた。

「ったく……変わってねえなぁ」

 相変わらず生活感のない猫娘に、カラクリはどうしようもなく嬉しくなる。

「本当に生きてるんだな……」

「ん?」

 猫娘は丸い両手でティーカップを包み、息をふきかけながらカラクリを見た。カラクリは堪えきれずにクスリと笑う。

「先輩だって変わってません。先輩は好きなものが意外と女の子っぽいんですよね。ケーキとか紅茶とか」

 猫娘は目を細めてカラクリを見る。

「そうだな。でもそれは、お前が好きだったから俺も好きになったんだよ」

「え……そうなんですか?」

「そうだ。本だって本当はそんなに好きじゃなかった。でも、図書室にいけばお前に会えるから、いつも読まない本を借りにいってた。……高校に入ってからはお前がずっと好きだった本だけ読んでた」

「ふふっ……懐かしいです」

 カラクリは目を伏せ、感慨にふける。

 しかし、すぐに顔を引き締めた。

「それはそうと、香りは亡くなる一ヶ月前にこの船に乗ったってことだよな?」

 カラクリの声のトーンが明らかに変わり、猫娘も表情を引き締めて頷いた。

「はい。黒中さんの死刑判決が出て少しした頃です。夜中に突然、団長が現れて」

 カラクリはティーカップを置いて深いため息をつく。

「お前、あんな不気味な男の言うこと信じたのか? こんな船に乗ってまで……危ないだろうが、まったく」

「すみません……」

「……そんなに、彼を助けたいのか?」

 カラクリは呆れたように猫娘を見た。猫娘はしょぼんと耳を垂れさせた。

「……どうしても真実が知りたくて……冷静に考える前にもう、船にいたんです。……事件を起こしたのが本当に彼ならその理由を聞きたいし、もし冤罪なら絶対に私が助けなくちゃ」

「……どうしてそこまで」

 カラクリは切なげに猫娘を見上げている。

「だって、私の知っている黒中さんは――だったから」

 猫娘の呟きは、突如吹いた突風に揺れる窓の音に掻き消された。

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