第1話 片目の男

 王都ナディールの街並みは、六角形に形作られた城壁に沿って整備されている。

 中央の小高い丘に聳えるのは、王宮とディルトルム大聖堂。

 大聖堂の搭の先端には、光の聖女、ディエナを模した金色の彫像が、都の安寧を祈っている。

 真っ直ぐに進めないように迷路と化した道筋は、初めての訪問者を冷たく拒むが、見知ったものにはわかりやすい、理想的な配列をなしていた。


 そんな『光の都』にも、影はできる。


 表通りから数歩入れば、貧しさと暴力が色濃く見えるエリアがあった。

 なけなしの金で今日を締めくくる人々が集う酒場。色街。怪し気な店。


 ここは、そんなほの暗い一角よりは、大分明るい通りの居酒屋バール

 ギシリと音をたてて建付けの悪い木の扉を押し開ければ、中の喧騒が訪問者の鼓膜を揺さぶる。

 ガナリながら酒を飲む赤ら顔の男たちの横では、今のうちにと嬉しそうに肉に貪りつく若い衆。好みの男性をちらちらと盗み見ながら、誘うように微笑む女性たち。

 宵の口の店内は、腹を満たし、疲れを癒す人々で溢れていた。


 扉を開けた旅人らしき男は、そのままふらりとカウンター席へ座った。

 煤けた茶色い上衣には旅の過酷さが滲み、左肩に掛けた荷物はかなり大きく重そうだ。中から楽器の玄のようなものがチラリと見えていることから、吟遊詩人のようにも見えるが、ちょっと視線を下に向ければ腰に大ぶりの剣を下げている。

 まことにちぐはぐないでたちに、店の主人は一瞬戸惑ったが、一番彼を困惑させていたのはその面立ちだった。


 アッシュグレーの瞳と黒い短髪。色白で筋の通った鼻筋に真一文字に引かれた薄紅色の口元。美しい顔立ちに似合わぬ筋肉質な体は、鍛錬を怠っていない瞬発力を感じさせる。これは店内の女性陣が放っておかないだろうなと思いつつも、それを全て無に帰するほどの異様な雰囲気を放っている眼帯に、意識が吸い寄せられた。


 真っ赤な布で隠された左眼。


 その下にある物を知りたいような、知りたくないような気持ちになりながらも、店主は彼の顔から眼を離すことができずに顔を引きつらせていた。


「……ロッカジュールを」

 そう言いながら差し出された十ルピ銀貨に、ようやく営業スマイルを取り戻す。


「ストレートにしますか? それともローゼ水で割りますか?」

「そのままで。後、何か腹に溜まるものを」

「ボルワナスープはいかがでしょう? シープリーの肉をトマテッィラで味つけしたボリュームたっぷりのスープですよ」

「ああ、それでいい」 


 店主は置かれた金をさっさとしまうと、急いで注文の準備を始めた。


 男は長い足を窮屈そうに縮めてカウンターの下へ納めると、早々に置かれたロッカジュールを一気に煽った。


 横の小男が驚いたように視線を向ける。


「兄さん、ロッカジュールをそのまま飲めるなんて、凄いな。それ相当度数が高いぜ。喉が焼けるようになるから、普通の奴らじゃ無理だ」

「……」

 男はチラリと目だけで隣の男を確認すると、何も言わず酒を嚥下した。


「ヒュー」

 小男は軽く口笛を吹いて呆れると、そのまま愚痴を話し始めた。爪にこびり付いた黒い泥が、彼が日雇の外仕事で生きながらえていることを物語っている。

「全く、最近はどこもかしこも不景気でよ。俺も全然定職に付けねえよ。なーにが聖女の加護だ。俺たちのような貧しい奴にこそ必要なのに、ちっとも降ってきやしない。いっそのこと……」

 その時、片目の男がいきなりガタリと立ち上がって剣を抜くと、小男に向かって無言で一薙ぎした。


「ひ、ひえー」

 小男は悲鳴を上げて後ろにのけ反る。

「いきなり何しやがる!」

 そう言ったものの、剣は目の前を霞めただけでケガをした様子はない。それどころか、軽く頭を振ると、目が覚めたような不思議な顔つきになった。

「あれ? 俺、何話していたんだ?」

 そうして、何事も無かったかのように目の前の器へと向き直ったのだった。


 何事もなく終わるかと思いきや、この一振りに驚いた恐怖の感情は、周りの客の方に伝染していった。

 キャーと女性客から悲鳴があがる。

 「お客さん!」

 慌てたような店長の声。周囲の腕自慢達が殺気だって席をけった。


 片目の男は表情も変えずに、腰の鞘に剣を戻した。


 そして何食わぬ顔で二杯目のロッカジュールのグラスに手を伸ばした時、グイっとその手を掴んだ男がいた。


「おい、にいちゃんよ。王都の酒場で舐めたことしやがって」

 ガタイの良い男が掴んだ手首を、ひらりと捻っていとも簡単に外した男は、無言でグラスに手を戻す。激高した相手は、「このやろう!」と言って殴りかかろうと振りかぶった。


 だがその手は、白い軍服に身を包んだ長身の男に抑えられた。


「この先は我々の領分だ。君はもういいよ」

「へ、へい。聖光セントルクス騎士団の旦那。頼みやした」


 ちょっと罰が悪そうに去った男。

 入れ替わりに現れた聖光騎士団と呼ばれた男は、鋭い眼光のままに静かに片目の男に声をかけた。

「ちょっと、外で話そうか」

「……」

「逆らわずに来てもらえるとありがたい」

 そう言って、四方へ闘気を飛ばしている。いつの間にか彼を包囲する軍服の男たち。

 片目の男のほうは視界が半分にも関わらず、背後からの気配を余すことなく把握しているようだ。


「……これ食ってからでもいいかな。腹が減り過ぎて機嫌が悪いんだ」

 片目の男はそう言うと、ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら、出されたばかりのボルワナスープを口に運んだ。

「隊長、そんな奴の言うことを聞いてやるんですか?」

 白軍服の男たちの中には不満を漏らす者もいたが、隊長と呼ばれた真横に立つ男は、じーっと彼を見定めるように、冷静に見つめている。


「よし。待っているから慌てずとも良いぞ」

 少し声を和らげてそう告げると、周囲の隊員へ下るように合図を送った。



 一方の片目の男。

 囲まれたままでも動じることなく、マイペースにゆっくりとボルワナスープを飲み干して、ようやく落ち着いた顔になった。

「おやじ、美味かったぜ」


 顔をひきつらせたままの店主へ一言告げると、さっと腰を上げた。

「で、どこへ顔を貸せと?」

「こっちだ」


 隊長と呼ばれた銀髪の男はニヤッと笑うと、無防備に背を向けた。その姿に白軍服の隊員たちが一気に緊張の色を濃くする。

 だが、片目の男も力の抜けた様子で、素直に後ろをついて出て行った。


 店の中に一気に安堵の表情が広がる。


 片目の男が何者なのか、そんなことはもう考えるのも無駄とばかりに、さっさと日常に戻っていった。

 だから、誰一人として不思議に思ってもいなかった。

 事の発端となった小男が、何事も無かったかのように笑いながら、楽しく食事をしている姿を。

 


 

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