第11話
尹盛の家に入ると、足元に鞠が転がってきた。
「散らかっていてすみません。片付けても片付けても追いつかなくて」
尹盛の奥方が鞠を拾いあげて申し訳なさそうな顔をする。
透き通るような白い肌。黒目の大きな瞳と漆黒の長い髪――。
若くてきれいな人だ。そしてお腹が……
「二人目ですよ」
尹盛が僕の目線に気付き説明した。
「弟ですよ」
太郎が尹盛の口調を真似、奥方のお腹に手をあてる。
「えっ。もう分かるの?」
驚いて尹盛に聞くと、彼は笑って首を左右に振った。
「まさか。太郎が言ってるだけですよ」
「あら、太郎。妹かも知れないわよ」
「やだ。弟がいいもーん」
太郎は口を尖らせて玩具を手に取って走り去る。
「まあ」
尹盛と奥方は顔を見合わせて微笑み合った。
僕もつられて笑顔になる。
「若君はこちらでお休みください」
尹盛は僕を几帳や壁代で囲まれた褥に案内してくれた。
僕のために用意してくれたようだけど……
「あの、尹盛や奥方や太郎はどこで寝るの?」
「私達は邸の北側に褥がありますが……どうされました?」
「い、いや、僕が泊まることで結局迷惑かけてるんじゃないかって思って」
尹盛は肩で大きく呼吸をしてから、僕の真正面に座った。
「これらは両親が宿泊する時にも使用しているものですよ」
「あ、そうなんだ。僕のために新しく揃えたわけじゃないのなら良かった」
「……若君。あなたは今おいくつでしたか?」
「え? 十二歳だけど……」
「年が明けたら十三歳ですね。まだ元服前の子供でしょう。一方私は三十路を迎えた大人です」
「う、うん」
「忠恕の心得も立派ですが、子供が大人に気を遣いすぎるんじゃありません。私の世話になるのが負担ですか?」
「負担ではないけれど……」
尹盛は少しため息をついてから口を開いた。
「若君。子供というのは世の宝なのですよ」
「世の?」
「ええ。宝であり、希望なのです。あなたが高貴なお方のお子だから私たちがお世話をしているわけではありませんよ。もちろん、姉が実の子のように大事にしているからというもありますが……」
尹盛の話をガシャガシャーンという大きな音が遮った。
家の外で何かが倒れたような物音だ。
「きっと狸ですよ。つい先日も迷い込んできたんです。ちょっと表をみてきますが、若君は気にせずお休みください」
そう言って尹盛はすぐにその場を去った。
狸……?
夜行性の動物でも物にぶつかることがあるのかな。
シンと静かな夜。
しかし、耳をすますと遠くから話し声が聞こえてきた。
尹盛と……女の子の声……?
気になって僕も家の外の様子を見に行くことにした。
「若君」
「顕成!」
尹盛と――月姫が同時に僕の方を向いた。
「月姫。何で君がここに?」
「顕成が帰らずに泊まってるって聞いてさ、居ても立っても居られず来ちゃった」
「来ちゃったって……どうして」
手にしていた松明を高く上げて周囲を見回すが、誰もいない。
しかも今日に限って男装もせず、普段通りの格好だった。
京に比べて治安は悪くないとは言え、夜中に女の子が……しかも貴族の姫君が供もつけずに一人で外に飛び出すなんて、なんて無謀なんだ。
呆れて声にならない。
「伊勢守の姫様。取り合えず中にお入りください」
尹盛も呆れているのか、笑顔を引きつらせていた。
「ありがとう」
月姫は僕たちの感情に気付きもせず、にっこりと笑ってすっと中に入る。
僕が始めに案内された間に、月姫と僕の二人で入った。
尹盛は灯台をいくつか持ってきて部屋を明るくしてから、
「お話が済みましたら近くに控えてる下男にお声がけください。国司館までお送りしますので」
と残してどこかへ行ってしまった。
月姫はキョロキョロと部屋中を見回し、落ちていた竹馬を手にとる。
「わあ、これ懐かしい! 小さい頃よくやったわ」
「……」
「お医師の子は男の子なの?」
僕は黙って頷いた。
「へえ、いくつ? 会ってみたい」
「二歳位。……もう寝てるよ」
小さい声で答えると、月姫はやっと僕の顔を見た。
「何か怒ってる?」
「怒ってるわけじゃないけど、月姫、何やってるのさ」
「ここに来たこと? 尹盛もびっくりした顔をしてたわね」
「それはそうだよ。亥の刻だよ。子供が、しかも女の子が出歩く時間じゃない」
「そう? お祭りの時はもっと遅くまで外に出るわよ」
「君一人で?」
ぎょっとして問うと、月姫はにっこり笑う。
「一人は今日が初めて。たいてい藤助がついてくるわね」
「今日はどうして?」
「だって、顕成が講義の後、帰らないなんて珍しいじゃない」
「時々ここに泊まる事にしたんだよ。月姫には話してなかったけど……誰かに聞いたの?」
「ついさっき女房に聞いたのよ」
「だからと言ってどうしてこんな時間に……。朝じゃ駄目だったの?」
「すぐ帰っちゃうんじゃないかと思って」
「来週の講義までここにいるのに。何か急ぎの用事でも?」
「ううん、別に何も」
「じゃあ何故」
「会いたかったからだよ」
「え?」
どきんとして月姫の目を見る。
澄んだ何も含みのない瞳で僕を見返す。
「急ぎの様ではないけどさ、顕成に前、物の怪なんかいないって話したじゃない? 証明するのにいい機会だと思って」
今度は違う意味で胸が鳴る。
「ま、前って……まさか、二年前の話?」
「覚えてた? じゃ、早速行こっか」
月姫は立ち上がって僕の手をとる。
「は? 行くって何処へ? まさかあの山寺?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます