ナルさん

本編

 ナルさんは中途半端なクジャクだ。いつだって多くの色を身に纏って、求愛しているはずなのに、他人と馴れあうことを拒んでいる。

 あれだけ悩まされた強い日差しも忘れてしまうような、薄手のカーディガンが心地よい夜。外はすっかり光を失って、アスファルトを強く打ちつける雨の音だけが部屋に響いている。普段なら聞こえているはずの、隣人のテレビの音などもすべて飲み込まれていて、世界はこの部屋を残して滅んでしまったのかもしれない。

 それなのに呼び鈴が甲高く鳴いた。ドアの穴から覗くと、濡れそぼったクジャクがスマホのバックライトに照らされながら立っている。

「ナルさん」

 勢いよくドアを開くと、チェーンが非難の声を上げた。ナルさんは額にネオンみたいな色の前髪を貼りつけながら「やあ」と笑った。

「ずうっと濡れてると、さすがに寒いね」

 がちゃがちゃとチェーンを外す私を見ているのかもわからない、平坦な声色。ナルさんはタオルを受け取るとワンルームの壁際へ座りこみ、長く息を吐いた。酒の匂いはしない。

 色、戻したんですね。私が発すると「もうね、無理なんだよ、きっと」と磨かれた爪でそれをつまんでみせた。幾多のブリーチでちぎれかけている毛髪たちこそが、ナルさんの命綱だった。カラートリートメントで黒く染めていたからか、以前よりくすんでいる。

「傷つけるならさ、もっとていねいに、命を奪う覚悟を以て傷つけるべきだよ」

 じゃないと、自分のほうがよっぽど人を傷つけるのが上手だってわかってしまう。

 ナルさんはサークルの先輩だった。調和が盾にしながらのらくら生きて、知り合いの誰より器用に見えた。

 苦し紛れの卒業後、職が見つからずにいる。時おり私を飲みに連れ出し奢るわりには、なにで金を得ているのかはわからなかった。この夜はきっと、私がナルさんをかくまう日なのだ。

「先輩はどうして派手な色が好きなんですか?」

「見つけて、愛してほしいからだよ」

 ナルさんはかつて、サークルでたらふく飲ませられた私を、その肉付きの悪い体で背負ってくれた。薄明色のパーカーのフードに嘔吐しても、いやな顔せずに「いい夢が見れますように」と明けの明星に祈ってくれたナルさん。そのひとがふと降らせる雨を、のきれいな顎を光りながら伝う雫を、私は高価な宝石より優しくすくう。しぬまで。

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ナルさん @stern_works

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