イデアノート
会多真透
第1話
昼下がりの教室。
いちばんうしろの窓際の席。
頬をやさしく撫でる午後の陽気に、うつら、うつら。夢とウツツの境界線上で頼りなく舟を漕ぐ僕の前には、学年でも飛び抜けてガタイのいい
立っているとは言っても、もちろん小山内くんはこちらに背を向け座っている。だけどそれにしたって視界をあらかた奪われるほどに、彼の体は縦にも横にも大きいのだ。
反対に教壇に立つ担任の
ゆらり、ゆらり。
寄せては返すまどろみに、僕はこの身をゆだねることにした。
ダンッ。
そのとき乱暴になにかを叩きつける音がした。
「だれですか、あなた」
飯野ちゃんはいつもの温和な物腰とは打って変わって、相手のしでかした過ちを頭ごなしに咎めるような口調で言い放った。初めて耳にする彼女の教師然とした凛々しい声色に、僕はたちまち目が冴えた。その声の行く先をおもむろに見やる。
教室のうしろの出入口にはガイ・フォークスの白いマスクを被った、見るからに場違いな全身黒ずくめの不審者がひとり佇んでいた。
「静かにしろ。大人しくしてりゃあケガせず済む」
ドスを利かせたくぐもった男の声、天高く突き上げた右手にはピストルが握られていた。
僕はまだこの目で一度も実物を拝んだことはないけれど、はたしてアレは本物のピストルなんだろうか。警察官がピストルを奪われた、なんて話もどこかで聞いたような記憶があるから、一概にアレがニセモノとは断言できない。だけどなんだか、妙に、ちゃちく見える。男の体つきのせいだろうか。
その体格たるや小山内くんといい勝負だ。彼が柔道部であるように、男にもまたなにかしら武道の心得があったとしても不思議じゃない。それなのに男はその腕っぷしではなく手にした武器に物を言わせた。
「キャアアアアアア」
入学からわずかひと月足らずでクラスの女王へと上り詰めた今西さんが、渾身の金切り声を上げた。人は見かけによらない。普段の傲岸不遜の態度はどこへやら。その甲高い悲鳴にだれもかれもがすくみ上がった。あの小山内くんでさえ。
「黙らねえか、バカヤロウが」
「イヤアアアアアア」
口汚く怒鳴り散らされ、突如地上へ舞い降りた可憐な少女はその身を縮こまらせた。今西さんは容姿端麗だった。
「黙れってのが聞こえねえのか」
「お母様アアアアアア」
「うるせいっ」
さっきからこの男はどうしてこうもがなり立てているのだろう。まるで自らの存在を世間に知らしめているみたいだ。ただでさえ今は授業中で校舎内は静まり返っているというのに、こんな下手な立ち回りをしていたんじゃあ先が思いやられる。じき騒ぎを聞きつけた隣のクラスの教師がここへやって来るだろうし、そうなれば通報、あえなく御用となりかねない。よほど切羽詰まっているのか、あるいは単純に頭が足りていないのか。少なくとも男のここまでの言動に、確信犯と呼ぶにふさわしい信条は見受けられない。
大体、この男の要求はなんだ。こんな場所に目ぼしい金品なんてひとつもないだろうに。もしかすると男はすでに警察に追われる身で、なりふり構っていられず、たまたま目についたこの高校へと忍び込んだのかもしれない。
男は出入口のそばにいた今西さんにずいと詰め寄り、その額へピストルを突きつけた。やいのやいのと騒ぎ立てるよりずっとスマートなやり方だ。花も恥じらう乙女の顔が恐怖に歪む。戦慄する彼女はどことなく奥ゆかしくすらある。ホラー映画に見目麗しい俳優たちが抜擢されるのは、つまりこういった理由からなのだろう。
「手間かけさせやがって」
まったくだ。あまつさえ女の子ひとりにあたふたと手を焼く始末で、見苦しいったらありゃしない。このまま捨て置けば彼女はおろか、文字どおり流れ弾がこちらに飛んでこないとも限らない。
「その子に手を出さないで」
「だから言ってるだろ。大人しくしてりゃケガせず済むんだよ。近ごろの若いヤツらは人の話をちょっとも聞きゃしねえ」
「人質になら私がなります」
「おうおう、勇ましい先生なこって。生徒の身代わりなるたあ、泣かせるじゃねえか」
男が飯野ちゃんに気を取られている隙に僕はすっくと立ちあがり、うしろ手に掴んだイス持ち上げた。
「おい」
僕の呼びかけに男が振り返る。そしてハンマー投げのごとく反時計回りに上半身を回転させ、僕は男目がけてそのイスを放り投げた。跳ね上がったイスが左側頭部に直撃した男は大きくのけぞり、たまらず床の上に伸びた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます