第6話 必要な一文、不要な一文があるって本当?
必要な一文、不要な一文があるって本当?
今回は私が書きたかったネタです。
小説を書くとき「この一文って要るのかな、要らないのかな」と思ったことはありませんか。
とくに「会話文だらけ」の文章を書いていると、ここでキャラクターの動きを適宜入れていったほうが単調にならないのでは、と考えてしまいます。
逆に「ここでキャラの動きを書いていくと、テンポが乱れて読みづらくなりそうだからな」と今度は「会話文」だけしか要らないのではと考えてしまうのです。
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「おのれ信長! 目に物見せてくれるわ!」
「お、お館様?」
「敵は本能で生きている!!」
「意気込みはわかりますが、それを言うなら『敵は本能寺にあり』では?」
「そう言わなかったか?」
「ダメだこりゃ」
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例文がくだらないのはいつものことです。
これは「会話だらけ」の文章ですが、テンポを考えるとこのままでもよいように思えます。
ですが、どうも今ひとつ場面が生き生きと描けていません。
そこでキャラクターの動きを入れてみます。
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「おのれ信長! 目に物見せてくれるわ!」
左手に持つ軍配を折れんばかりの力で握りしめる。
側の者があまりの激しさに気圧された。
「お、お館様?」
「敵は本能で生きている!!」
強い意気込みで反旗を翻すと決めた。もう後戻りはできない。前に進み続ける以外生存する可能性は皆無なのだ。
「意気込みはわかりますが、それを言うなら『敵は本能寺にあり!!』では?」
側の者を振り返って真顔で尋ねた。
「そう言わなかったか?」
「ダメだこりゃ」
皆が頭を抱えた。
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とまあこんな感じでキャラクターの動きを入れると、場面が描けてきます。
場面は描けるのですが、テンポが悪くなった感じは否めません。
そもそも今回のようなコメディーをやろうと思ったら、ボケとツッコミの部分はテンポよく繰り出すべきであり、場面を描くのも最低限でかまわないでしょう。
そういう意味では「会話だらけ」にも一利あるわけです。
一人称視点って周辺情報をどこまで書けばよいの?
一人称視点は主人公の中に入り込んで、感情を追体験する仕掛けとなっています。
つまり主人公には「自明の理」をあえて言葉(文字)にして書き出す必要がどれほどあるのでしょうか。
たとえば、今あなたは自分の部屋でくつろいでいます。
そのとき、あなたはどう考えるでしょうか。
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ふかふかのベッドの上で横になって、目の前にあるテレビをつけるべくベッドサイドのリモコンを手に取った。4K放送のチャンネルボタンを押して、大迫力のハリウッド映画『STAR WARS』を選局した。
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さて、あなたは毎日「ふかふかのベッドだぁ」と考えるでしょうか。「テレビが目の前にある」「ベッドサイドにリモコンがある」なんて意識するでしょうか。『STAR WARS』をわざわざ「ハリウッド映画」と言いますか。
これが「一人称視点」で起こるジレンマなのです。
読み手は知らないのだけど、主人公はすでに生活の一部なのだからあえて意識することなんてあるはずがない。
リアリティーを追及するなら、ここを意識してはまずいわけです。
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ベッドで横になって、リモコンを手に取った。大迫力の『STAR WARS』が放送される時間になったからだ。
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ここまで描写を減らしても、主人公としてはぴったり合うのです。
しかしこれだと読み手は場面を思い浮かべられませんよね。
どこになにがあるのか、さっぱりわかりませんから。
これが三人称視点であれば、ビデオカメラを見ながら実況しているようになります。だから結果として最初の例文のように書いても不思議はない、というよりむしろ当然なのです。
一人称視点とは、主人公の中に入り込んで物語を追体験してください、というものです。
つまり主人公が当然知っているものを、あえて書く必要などあるのでしょうか。
これと同じものが冒頭の「敵は本能で生きている!!」なのです。
もし一人称視点で書かれていたら、「会話文だらけ」になるのもうなずけます。
とくに変な動きをしている人物でもいないかぎり、誰かの動きを書く必要なんてありませんから。
逆にいえば「平素とは異なる変な動きをしている人がいたら、必ず書かなければならない」わけです。
それすら気にしない主人公では危機意識がなさすぎますからね。
たとえば王様が城内を歩いているときに、目下の者が皆膝を屈するとします。
これを毎回書くのは明らかに冗長です。
しかし後日「膝を屈さず立ち続ける者」が現れたら。
この場面を書く意義が生まれますよね。
他人の部屋を訪ねたのに
今度は一人称視点で他人の部屋を訪ねたと仮定します。
そのとき、
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ベッドで横になって、リモコンを手に取った。大迫力の『STAR WARS』が放送される時間になったからだ。
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なんて書いたらどうでしょう。
妙に馴れ馴れしいですし、空気の読めない人と思われかねません。
慣れ親しんだ自分の部屋ではなく、初めて入る他人の部屋です。
それこそ「どこにベッドがあって、テレビがそこにある。でキッチンはここでバスルームはどこだろう?」というのが気になりませんか?
一人称視点つまりひとりの主人公としての生き方を考えれば、そのあたりは確実に描写しないと「注意散漫な人」「妙に馴れ馴れしい人」でしかなくなります。
どういう色のカーテンで、誰のポスターが貼ってあって、間接照明なんて使っているんだ、なんていう情報は感想を覚えないはずがないのです。
このときの描写の基準も「主人公」にあります。
主人公の部屋は「主人公」にはすでに自明だから語る必要はない。
他人の部屋を初めて訪ねたのなら「主人公」は初めて見るものばかりです。
ここにこれがあるんだ。あそこにあれを置いているんだ。
わからないからこそ書かなければなりません。
書いたほうがよい情報と、書かないほうがよい情報との境界線は「視点保有者」にあります。
「視点保有者」にとって平素のことなら書く必要なし。
初めて目のあたりにするのなら書かずにおれない。
一人称視点であれば「主人公」にとって既知なのか未知なのか。
既知を書き連ねても「そんな情報、あんたは嫌というほど見ているだろう」と白けてしまいます。
逆に未知のものに触れているのに情報がほとんどない。「その情報、あんたはまったく知らないんだから、もっと知ろうとは思わないのか」と苛立ちが湧いてきます。
人間ですから、未知のものに接してもそれほど感動を覚えない方も中にはおります。
しかし大方は、未知のものは知らずにおれないのです。
主人公自身が知りたいと思っているのに、文章にして書いていなければ、「主人公は興味がなかった」のと同義です。
書かねばならぬ情報は視点保有者が知っています。
一人称視点なら主人公が知っているのです。
もっと主人公の声を聞いてみましょう。主人公が欲するものを理解しましょう。
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毎度の告知です。
本コラムでは、皆様からさまざまなご質問をお待ちしております。
私ひとりで思いつくネタの数なんてたかが知れていますからね。
小説を書くうえで疑問に思ったこと、不安に思ったこと、迷っていること。
そんなことがございましたら、ぜひコメントを残していただけたらと存じます。
私が「小説の書き方」コラムで蓄積した知識を、より実践的にお示しできたら、きっと皆様のお役に立てるでしょう。
皆様のご質問を心よりお待ちしております。
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