第4話 適度な距離感を生む三人称一元視点

適度な距離感を生む三人称一元視点


今回のご質問です。


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五郎猫さち様


質問:三人称一元視点に興味が湧いたので、そこの解説をお願いできればと思います。

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三人称一元視点とは

 三人称視点というものはご存知でしょうか。

 一人称は「俺」「私」、二人称は「あなた」「あいつ」、三人称は「彼」「彼女」「孝弘」「浩志」といったものですよね。

 つまり人物を呼ぶときに「名前をそのまま呼ぶか、彼・彼女と代名詞を使うか」すれば「三人称の作品」です。


 では「一元」とはなにか。

 ここに興味が向きますよね。


 「一元」とは主人公ひとりの心が覗ける「三人称視点の一形態」です。



 通常、主人公ひとりの心が覗ける視点は「一人称視点」で決まりです。

 しかし三人称で書いた主人公ひとりの心が覗ける作品は「三人称一元視点」と呼ばれます。


 つまり「孝弘はその歌声に惹き込まれた浩志と音楽ユニットを結成した。」のように、「歌声に惹き込まれた」のは孝弘の心の表現であり、そこを書いたのだから通常は一人称視点になるはずです。しかし人称を確認すると「三人称」で書いてある。

 つまり視点は「孝弘」から離れていないのに、語り口はすべて「三人称」で書く。

 これが「三人称一元視点」なのです。




三人称一元視点の利点

 なぜこんなまわりくどい表現をするのでしょうか。


 主人公の心の中を覗いているなら主人公の「一人称視点」でいいではないか。


 ですが、都合上「一人称視点」で断定しながら書くと物語を表現しきれない事態が発生することがままあります。


 今なら「異世界転生ファンタジー」で、主人公は異世界の命と名前を持っていますが、意識の中に転生前の記憶を持っています。

 この場合、単純に主人公の「一人称視点」で書こうとすると都合が悪いのです。


 転生前の記憶を使いたいときに、現世の主人公が毎回「昔の俺がこう言っている」ような表現になりかねません。

 そうではなく「三人称一元視点」にして、現世の主人公の名前を書いて三人称にしながら、心の中を覗けるので転生前の記憶が語れる場を提供する。



 「一人称視点」は主人公に入り込んで物語を味わうため、それを妨げる要素があると魅力が削られてしまいます。

 そこであえて主人公にワンクッション入れて「三人称一元視点」とすることで、読み手に主人公と適度な距離を持たせ、転生前の記憶にも話す機会を与えるのです。

 これを「一人称視点」で強引に突破する作品もあるのですが、あまりスマートなやり方とはいえません。

 本来なら「三人称一元視点」にして主人公と適度な距離を生み、転生前の記憶や人格が動くスペースを確保するのがセオリーです。


 また主人公が特殊な場合、たとえば主人公も知らない隠された秘密がある場合は、一人称視点だと隠された秘密は主人公が感じた途端に読み手に知らせなければなりません。

 しかし「三人称一元視点」なら、主人公とは一定の距離がありますから、たとえ主人公が隠された秘密を感じ取ったとしても、それをすぐに書いて読み手に知らせる必要がないのです。

 つまり「謎」の正体を読み手に開示するタイミングは、書き手が自由に選べます。


 例として「異世界転移ファンタジー」と「隠された秘密を持つ主人公」を出しましたが、書き手として主人公にすべてを語らせると物語の魅力が減衰してしまうと判断する場合は、どんな状況でも「三人称一元視点」を使えます。


 ただし「一人称視点」や「三人称視点」とは混ぜないでください。

 作品全体で「三人称一元視点」を貫けば、よいのです。




群像劇としての三人称一元視点

 三人称一元視点のもうひとつの特徴は、群像劇で主人公格が複数いても、それぞれの主人公の心の中を書ける点です。


 もちろん視点保有者は一元つまりひと場面でひとりに限られます。

 この原則が破られると「神の視点」となってしまうのです。


 主人公がその場にいなくても、他の人物を主人公にして一人称視点で物語を続けることはできなくもありません。

 ただ、そういうときは「三人称一元視点」にして、心の中を覗ける人物はひとりに限定するだけにとどめれば、群像劇が格段に書きやすくなります。


 吉川英治氏『三国志』では、基本的に劉備が主人公ですが、劉備と張飛が行方不明となり、関羽が劉備の妻と母を守るために曹操の配下になったとき、視点保有者は「関羽」になって物語が進んでいきます。主人公の劉備は曹操の敵役である袁紹のもとにいました。

 このとき、普通に考えれば主人公の劉備を追って袁紹の側から書くべきですが、吉川英治氏は「関羽の義」を示すために、あえてこのパートの主人公を配下の関羽にしたのです。

 これができるのも、群像劇に適した「三人称一元視点」だったからです。

 ここに至るまでも、董卓、王允、呂布、曹操と次々に視点保有者が切り替わりながら物語は進んでいきます。

 主人公格が何名いようと、それぞれに見せ場となるシーンを作り、その人物の「三人称一元視点」で描く。だから、どの人物も公平な主人公となり、群像劇が成立するのです。




一人称視点が最強なのは確実

 ここまで三人称一元視点の特徴を書きましたが、「小説賞・新人賞」では一人称視点が圧倒的に有利です。

 これは中編までの芥川龍之介賞やせいぜい前後編全2巻までを対象にした直木三十五賞では群像劇などやっていられないからです。

 もし100万字を費やしても大賞がとれるのならば、そういう賞では三人称一元視点の群像劇が強さを発揮します。

 それこそ「吉川英治文学新人賞」を狙うなら、三人称一元視点を操れなければ難しいでしょう。

 ですが、たいていの小説賞は10万字以上の単巻長編が求められますので、群像劇ではじゅうぶんに物語を描けないという欠点は拭えません。



 ですので、「小説賞・新人賞」に応募するための10万字以上の長編は「一人称視点」でしっかりと主人公に腰を据えた作品を書いてください。


 そして小説投稿サイトでの連載は「三人称一元視点」で主人公をさまざま入れ替えながら歴史を紡いでいく、というスタイルが合っているでしょう。

 そういった一大叙事詩は「三人称一元視点」との相性もよく、仮に小説賞を獲れたときにその小説投稿サイトで一大叙事詩が紡がれていたら、「これも書籍化できないか」を模索してくれるかもしれません。


 だから「三人称一元視点」で群像劇を書くのは、悪い選択ではありません。


 ただ、10万字の長編で群像劇を描ききれるとは思えませんが。

 視点保有者が増えれば増えるほど、ひとりに割ける文字数は減ってしまいますからね。

 そのぶん物語が薄くなるのは避けがたいのです。


 ですので「三人称一元視点」を使いたければ、ワンクッション入れる必要のある作品か超大作の連載を想定してください。





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毎度の告知です。


 本コラムでは、皆様からさまざまなご質問をお待ちしております。

 私ひとりで思いつくネタの数なんてたかが知れていますからね。

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