王子様のロマン

運転手

1年生

4月 桜の彼


 この町には桜が多い。 

 以前に住んでいたところは桜はちらりとも舞っていなかった。

 この道を歩いていると、桜はまるで、そう、上から小麦粉かパン粉でもまぶされているかのように降ってくる。ぼんやり眺めていると、桜って意外と色素が無くって白っぽい。このままカラリと揚げられてしまいそう。

 ぐうっとお腹を鳴らしていると、小さな手がぐいっと私の腕を引っ張った。


「お姉ちゃん! いくらなんでもぼうっとしすぎ! 今日は入学式でしょ!」


 カタカタと背中のランドセルを鳴らしながらこちらを見上げてくるのは、妹の瀬見子せみこだった。


「セミ、町って揚げたらかき揚げみたいな味だと思う?」

「なに言ってんの? ちょっと浮かれすぎじゃない?」

「ただの思ったまま聞いてみただけなのに……」


 呆れた目をこちらに向けるセミは、桜よりもよっぽどきれいに染まった頬をしている。どうやら、緊張しているみたいだ。

 私は高校入学時期と引っ越しが丁度よく重なったけど、セミは4年生として新しい小学校に転入するもんね。

 ここは姉として、もう一つ肩の力が抜ける駄洒落を……。


「セミ、上履きを履くときは骨折に気をつけなさい。なんてったってーー」

「うわー、バキッと骨が折れるかもしれないからでしょ? ……はぁ。さっむ」

「な、なんですって……」


 すでにオチが見抜かれていたなんて。これじゃあ、駄洒落としての効果を発揮しないわ……。あ、でもため息をつくセミからは緊張が無くなったみたい。


「新しい学校で同じような寒いこと言わないようにね。友達ができなくなるんだから」


 世話が焼けるとばかりに肩をすくめたセミは、お姉さんぶった口振りで私に注意する。妹のくせに。

 分かれ道に来たところで、セミは両手できゅっとランドセルの肩掛けベルトを握った。


「じゃあ、私はこっちだから! お姉ちゃん、がんばってね!」


 手を振ってかと思うと、さっさと妹は行ってしまった。振り向きもしないで行ってしまった背中に一応手を振り返して、私も自分がこれから三年間通うことになる道へと足を進めた。

 新しく通うことになる洲城高等学校は、この道をまっすぐいって、町を二分する大きな川を渡り、さらに坂を登った先にある。家から歩けない距離ではないけれど少し遠いのだ。明日からは自転車通学するつもりだから、もっと楽になると思うけど。

 橋を渡ったところで、私と同じ制服の人がちらほらと現れはじめた。高校への最寄り駅は川のこちら側にあるので、彼らは電車通学の人達だろう。

 ……なんだか、高校が近づくにつれて私もセミみたいに緊張してきた。自己紹介、今日やるかな? なんて言えばいいんだろう。

 悶々と考えながら坂を登りきった時だった。視界が真っ白になった。といっても、気絶したわけでも、太陽が眩しかったわけでもない。


 桜だ。


 町全体に振りまぶされていた桜は、この坂の上のものであったらしい。

 思わず足を止めた私は桜吹雪の向こうーー淡い花びらに溶けるように立つ彼を見つけた。桜にまぎれるような白髪の男の子だった。視界を覆うほどの桜の中に立っていると、桜の一部のように見える。透けるような白髪に赤い瞳のその人は現実味がなく、異なった世界の風景を覗くような心地になる。

 風が一筋吹いて、振り向いた赤い瞳とぱちりと目が合った。時間が止まったように固まっていると、その人がこちらに歩いてきていた。

 え、あれ、もしかして怒られる? 見つめすぎちゃって、ごめんなさい?

 目の前にやってくると、彼はぺこりと腰を折って頭を下げた。


「はじめまして。私は練絹ねりぎぬ八十やそです」

「は、はじめまして」


 間近で見つめると、改めてやはりとても整った顔をしている。お店のショーウィンドウに飾られる人形のように、現実味の無い造りをしている。桜のように美しかった。

 じぃっとこちらを向けられる視線にどぎまぎしていると、ぱちぱちと瞬きをして不思議そうに彼は首を傾げた。


「申し訳ありません。初めてお会いした方には、挨拶して名乗り合うのが一般的だと思っていたのですが、私は間違っていたでしょうか」

「あ、名前、名前だね」


 ふざけている様子も無く真面目にうんうんと頷く彼は、こちらの返事を待つように見つめてくる。

 えっと、えっと、さっき坂を登ってくる途中で考えた自己紹介を……。


五津木いつつき歩子ほすこ、歩む子と書いて、ほすこです。中学ではボブ子って呼ばれてました」

「五津木さん、ですか。よろしくお願いいたします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 流れるような美しい動作で頭を下げたかと思うと、私が見惚れている間に彼は行ってしまった。

 先輩か、同級生なのかもわからない、不思議な人だった。


「なん、だったんだろう……」


 浮世離れした彼ーー練絹八十君に再会するのは、ほんの三十分後。

 彼が体育館の舞台の上で、新入生代表の挨拶をする時のことだった。




 ーー




 入学式を終えた教室では、女の子がきゃあきゃあと密かであからさまな声で騒いでいた。皆、見つめる先は同じ。

 私も同じ方向に目を向けると、そこにはつい少し前に校門で奇妙な自己紹介をしあった練絹君が美しい姿勢で座っていた。


「すごいねぇ。初日で学校一の有名人になっちゃったんじゃないのかな」


 話しかけてきたのは、さっき体育館で知り合った良ちゃん。始業式で隣に座っていた良ちゃんは、代表挨拶で練絹君が現れた瞬間から始業式が終わるまで開いた口が閉じていなかった。


「ファンクラブとかできそうよね」

「確かに。なんか、オーラが違うよね。私みたいな平凡なクラスメートだと近寄りづらいなぁ」


 遠慮がちに練絹君に視線を送る良ちゃんに、私は曖昧に笑って返した。

 確かに、窓際の席の練絹君はそこだけ絵画みたいに整っている。


「はーい、みなさん。席についてください」


 ガラッと教室の扉が開いて、先生が入ってきた。騒いでいた子達も慌てたように自分の席に戻っていく。

 教卓の前でにこにこ笑う先生は、全員が席についたことを確認すると柔らかな声で自己紹介を始めた。


「はじめまして。このクラスの担任になりました、伊藤忠良です。これから一年間、精一杯皆さんの力になりたいと思います。気軽に話しかけてくださいね。よろしくお願いします」


 垂れ気味の目尻を嬉しそうに細めて挨拶する伊藤先生は、道の端で人を見守るお地蔵様みたいだった。

 優しそうな先生でよかったなぁ。

 皆も先生に対して同じように安心する空気を感じたのか、先生に向かって何人かがよろしくーと明るく返事を返していた。さらに何人かは先生に質問を投げかけている。


「先生って、何の教科担当ですか?」

「あ、言うの忘れてたね。僕の担当教科は社会で、専門は地理です。いつか日本地図を作った伊能忠敬みたいに、自分で歩いて自分だけの地図を作るのが夢なんです」

「先生、結婚してる~?」

「えっと、はい。結婚してますよ。お料理上手で、甘い卵焼きがとても美味しい自慢の奥さんです」


 ぽぽぽっと顔を赤くしながらも奥さんの自慢をする先生に、クラスがざわざわと盛り上がる。よくよく見てみると、左手薬指には指輪が大切そうに収まっている。

 さらに質問をどんどん投げかける生徒達に、伊藤先生は慌てたようにストップをかける。


「ほら、僕への質問がここまで。次は皆さんに自己紹介をお願いします」


 えー、とみんながまだ質問したそうだったけど、伊藤先生はダメですよというように首を横に振る。

 出席番号一番の人から順に自己紹介をしていって、私の番も無難に終わらせた。

 最後の一人まで無事にーー練絹八十君の時はちょっと静まりかえったけどーー終わって、伊藤先生がぱちぱちと嬉しそうに拍手する。


「皆さんありがとうございました。それでは連絡事項をお知らせしますね。みなさん、嫌かもしれませんが明日は実力テストです。筆記用具を忘れないようにね」


 一斉に上がるクラス中のため息と落胆の声に、伊藤先生は慰めるように声の調子を上げる。


「でも、それが終わったら新入生向けの部活見学会がありますよ。面白い活動がたくさんあるから、楽しみにね。ちなみに僕が顧問をしているのは、園芸部です。興味がある人はぜひぜひ見学しに来てね。ーー今日の連絡事項はこれくらいかな。それじゃあみなさん、明日また会いましょうね。さようなら」


 先生の解散の合図で、皆が待ちきれなかったかのように立ち上がる。入学したばかりで、皆浮き足立って座ってなんかいられないのだ。


「ねぇ、ボブ子ちゃん、途中まで一緒に帰ろう」

「あ、うん」


 良ちゃんに声をかけられて席を立ったとき、廊下側から大きなざわめきが響いてきた。

 なんだろうと思いながら良ちゃんと一緒に廊下に出ると、皆が窓際に張り付いて外を眺めていた。


「すっげぇ、校門に黒塗りの長い車が停まってるぞ」

「やっべぇ。誰が乗ってるんだよ」

「そういや、隣のクラスに金持ちの社長の息子がいるって聞いたぜ」


 口々に好き勝手話す人達の話の通り、窓から見える校門前に黒くて車体の長い車が停まっていた。


「……あそこに停めてると邪魔じゃないかな」

「確かにそうですね」

「え、うわっ」


 思わずこぼれた一人言に答えたのは、いつのまにか後ろに立っていた練絹君だった。なぜか良ちゃんは、私から距離をとっている。


「あれは、うちの車なんです。あとで担当の方に、停める場所が不適切だと報告します」

「え、あ、うん。ありが、とう?」

「はい。それでは五津木さん、さようなら」

「うん、さようなら……」


 目の前でぺこりと下げられた桜と同じ透ける白髪を呆然と見ている間に、また練絹君は行ってしまった。

 いつのまにか周りは静まり返っており、辺りは桜の嵐が過ぎ去ったような有り様だ。


「ボ、ボブ子ちゃん、練絹君と、知り合いだったの?」

「う、ううん。今日、挨拶しただけの仲だけど……」

「びっくりしたねぇ」


 距離をとって避難していた良ちゃんが戻ってきて声をかけてくれたけど、私はまだ頭がぼうっとしていた。

 


 私の三年間ある高校生活は、桜みたいな彼から始まった。

 これは、恋の物語を語るだけのお話。


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