宝物

@yokonoyama

第1話

 日曜日。

 リビングで、父親が真新しいランドセルを背負った娘に、スマートフォンを向けていた。ランドセルが写るように、動画を撮っている。ソファーには、母親がいる。そのとなりに、40センチぐらいの茶色いクマのぬいぐるみが座らされていた。黒いビー玉のような瞳が、ランドセルを背負った女の子を見つめている。


 ケイちゃん、その赤いランドセル、よく似合っているわよ。

 もう、5年も前になるのね。今でも、はっきり思い出せるわ。ケイちゃんが、おもちゃ売り場にきてくれたときのことを。わたしの腕をつかんでくれたとき、うれしかった。長い間、すみっこに置かれて忘れられていたけど、いつか、誰かが連れだしてくれると思っていたの。もちろん、これまでにもチャンスはあったわ。けれども、結局、お店から出られなかった。

 これまでのよくないよくない思い出が、わたしの表情にあらわれていたのかしらね。ケイちゃんのお父さんもお母さんも、わたしの印象がよくなかったみたい。棚に返していこうとしたのよ。だけど、ケイちゃんが、がんばってくれたのよね。小さな手でわたしを指して、うー、うーって。あれがいいって、言ってくれたんでしょう?

 一歳の誕生日だったのよね。はじめて、強く、自分の意思を示したのは。それが、わたしを選ぶということだったなんて、感激よ。といっても、おうちについてからケイちゃんは、毎日のようにわたしの耳や脚を持って引きずるから、どうなることかと思ったけど。おまけに、ふかふかのわたしの顔は、すぐにケイちゃんのよだれで汚れちゃったし。ううん、そんなことはいいのよ。ケイちゃんのおふとんで、一緒に寝られたんですもの。寝顔を見ながら、早く、わたしを抱っこしてくれないかしら、と考えたりもしたのよ。

 しっかり抱きしめてくれたのは、二歳のときだったわね。予防接種を怖がって。だから、わたし、一生懸命、応援したのよ。痛くても、ケイちゃんなら辛抱できるって。そう、心の中で話しかけていたの。わたしがしゃべったら、たぶん、大騒ぎになっちゃうでしょ? 泣かなくて、えらかったね。でも、まさか、そのあとケイちゃんが、わたしの腕をお医者さまに出すとは思わなかったわ。うんうん、わかっているわよ。わたしが病気にならないようにしてくれたのね。ありがとう。だけど、注射なんかしなくても大丈夫なの。本当よ。これまでの間に、わたしの具合が悪くなったのを、見たことないでしょう?

 そして、ケイちゃんは、三歳から幼稚園に行くようになったのよね。え、わたし? クマのわたしが幼稚園に行ったことがあるか聞いているの? そうね、幼稚園って言っていいのか迷うところだけど、でも、それなりに勉強したわよ。そうじゃないと、ケイちゃんとお話しできないものね。

 なんだっけ? あ、幼稚園。ケイちゃんは心細いから泣いてばかりだった。それで、わたしを連れていくって言い出したのよね。ごめんなさい。本当はついて行きたかったのよ。でもね、わたしは入園してないし、先生がうちに帰りなさいって言うと思うの。ケイちゃんのカバンに隠れて行ったとしても、そこは幼稚園よ。何が起きるかわからない。たぶん、ほかの園児に見つかってしまうわ。そんなことになったら、どうなるか。だって、わたし、こんなにかわいいのよ。きっと、女の子たちは取り合いのケンカを始めるわ。それだけじゃない。もし、相手が乱暴な男の子だったら、振り回されちゃう。砂場に放り投げられるかもしれない。すっかり汚れてしまったら、ケイちゃんのお母さんに嫌がられて捨てられちゃうわ。そうしたら、ケイちゃんに会えなくなっちゃう。

 だから、おうちで待っていたのよ。毎日、ケイちゃんはひとりじゃないよ、って祈っていたの。ケイちゃんが帰ってきて、その日のできごとを話してくれるの、楽しみにしていたのよ。

何ヶ月もかかったけど、お友だちの名前を笑顔で言ってくれるようになったときは、ほっとしたわ。でも同時に、わたしのことは忘れてしまうのかしら、って思ったりもしたのよ。そんなとき、幼稚園で気にいっているお遊びに誘ってくれたわよね。よりによって、粘土。汚れちゃうから、仕方なく断ったけど、折り紙はがんばったでしょう?

 わたし、とてもかわいがってもらったわ。いつも抱っこしてもらえたし、なでてもらえた。それはうれしいことなのに、どんどん汚れてきちゃったの。ケイちゃんの涙が、染みこんだこともあったしね。

 四歳のときだったかしら。わたしが洗濯機に入れられそうになったときは。ケイちゃんはお風呂に入れていいね、と、うらやましがったのがよくなかったのよね。危うく水びたしになって、やわらかな毛並みが台無しになるところだったわ。それどころか、色落ちや型崩れしたかもしれない。わたしがわたしじゃなくなったら、ケイちゃんがびっくりしちゃうでしょう? そうならなくて、よかった。

 だけど、その一年後、わたしの腕が取れかかったのよね。あんなに慌てたケイちゃんを見たのは初めてよ。わたしの体も、くたびれたものよね。ケイちゃんは、寿命ってなに? って、お父さんとお母さんに聞いていたものね。おかげで、どうにか繕ってもらえたのよ。もう少し、きれいに縫ってほしかったけど、お母さんは、お裁縫が得意じゃないもの。ぜいたく言えないわ。

 近ごろは自分でも、ぼろぼろになったなって思うのよ。でもね、それがいいこと、素晴らしいことだと思えるの。どこかに飾られて、ほこりをかぶるだけじゃ、つまらないもの。

 ケイちゃんと出会えて幸せだった。これだけは、ちゃんと言っておかないとね。こんな姿じゃ、いつさよならになってもおかしくないから。

 いいの。そのランドセルに比べたら、見劣りするのはわかっているもの。それでも、楽しそうなケイちゃんのそばにいられてうれしいわ。

 わたし、お話ししすぎたみたい。なんだか、疲れちゃった。


 あら。ケイちゃん、抱っこしてくれるの? 

 写真? だけど、わたしを抱えて正面を向いたら、ランドセルが写らないわよ。いいの? ほんとに、いいの?

 それじゃ、はい、チーズ。



                    (了)

 




















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