臥し待ち月の頼光
斎藤流軌
序
第1話
昔々あるところに、永年を生きる森があった。
森の木々はみな、太古を生まれとした。いずれの木の幅も大河のように広く、どんなに上を見上げてもその天辺をとらえることができない。
幹は苦悶の叫びをあげるようにうねり曲がり、他の木々とからみあっている。つながりあう末枝はもはや網のようになって、空をおおい、森を外界から閉ざしていた。
地をのたうつ隆々とした根は、土の下の奥底でつながりあっている。森全体が、一つの巨大な大樹なのであった。
根の合間を流れる水は光を映さず、その水を生きものが飲めば、たちまちその命を奪ってしまう。そのため大樹のほかに、生きるものはなかった。
あるのはただ、呼吸すら奪うような闇ばかり。
そのなかで、童の泣く声がひとつ、心ぼそく響いた。
たったひとり、女の童が木の根の上へ座りこんでいた。その青白い肌と朱の帯が、闇の中に異質に浮かび上がっている。
この小さな闖入者をとがめ、森中にさらすように、木の根が童の体を高々と押し上げていた。
童の背後には、大岩が鎮座している。大岩のまわりには、幾本もの縄で編まれた、巨大な注連縄がかかっている。いつ誰がかけたものとも知れない。その一端が腐り落ちて、注連縄は大岩の肩にかかるような格好になっていた。
童はかぼそい泣き声を漏らしている。すると、木々の葉が不機嫌にざわめいた。
驚いた童は泣き声をのみこんで、あたりに目をやる。けれど鳥の姿もなく、猿がいるでもない。風ひとつさえない。
けれど、木々の合間から童を見張っているものは何であろう。
一つ二つではない。目でも耳でもとらえることのできないものが、そこかしこで息をひそめている。
童は知らず、手をあわせた。けれど何に祈ったらいいのか、わからない。
童を庇護してくれるものは、何もない。ちっぽけな魂ひとつ、裸で森のなかに捨ておかれていた。
それでも必死によすがを求めれば、記憶のどこからかよみがえる声があった。
――いらない子、
大人の口がそう動いた。
と思うと、また別の口が、
――おまえは神さまの子になるのだよ。
と告げる。
大人の言葉を飲み込めず、呆然とする童のうえで、言葉があちらこちらへ飛び交う。
――何の役にも立たない子だよ。おまえのせいで、皆がどれだけ迷惑してるか……。
――これは皆の役に立つことだよ。神さまが、皆を守ってくださるんだ。
交互に、そしてまぜこぜに大人たちの言葉が襲ってくる。
――あの神さまはおそろしい。お怒りにふれたら、皆殺されてしまう。
――おまえは神さまのところに行くんだ。もう何もおそろしいことも、苦しいこともないのだよ。
そして童の体は、勝手に〝神さま〟の前へと連れていかれる。
いやだいやだと、童は小さな唇を動かした。けれどその声に耳を貸す者はない。
ただひたすら、苦難を与えるために童を生み落とし、さいなむ世界があるきり。
それでも童は、唇にかすかな祈りを浮かべた。
「かえりたい」
あてのない言の葉が、闇のなかにのみこまれそうになったそのとき、
「おや、こんなところでどうしたんだい」
と、声がした。
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