甘苦

 ーコンコン


 扉を叩く音がする。

 青年は首を傾げた。 

 リンならいつも突然扉を開けるのに。


 「はあい?」

 青年が扉を開けると、案の定そこにはリンが立っている。

 リンは俯きがちで、あからさまにムスッとしている。

 ズカズカと部屋に入り込むと、フルートを取り出した。

 「僕、今日ね、学校でフルートの授業があったんだ。」

 「そ、そうなんだ?」

 「うん!お兄さんの為に、吹いてあげる!」

 言って、息を吹き込むが、フスーッとしか音が出ない。

 「…。」

 「も、もう一回!リン君!もう一回聞きたいな!」

 「…分かった。」

 もう一度息を吹き込むが、調子外れの甲高い音が出る。

 「…また、今度にする!ちゃんと今度はお兄さんの為に演奏してあげるからね!」

 「う、うん。楽しみにしてるね。」

 もう、フルートは放り出し、ポケットをゴソゴソ探り始めた。

 「キャンディ食べようっと。」

 目まぐるしくて、青年はリンに翻弄されていた。

 「えっと…リン君、キャンディ好き?」

 「うん!好き!」

 リンの口からコロコロと音がする。

 大きなキャンディを転がす度、リンの頬が小動物の様に膨らむ。

 足をブラブラさせて、キャンディを頬張る様子を微笑ましく見ていた。

 「美味しいよ。お兄さんも食べる?」

 そう言うと、リンが目の前まで顔を近づけて来て、ペロリと舌の上に乗せた青いキャンディを見せてきた。

 リンは少女の様な可愛いらしい面立ちをしている。

 白く子供らしいふっくらした頬、くりくりとした大きな瞳、赤い唇。その唇から、赤い舌を出して、舌に乗っているキャンディを舐めろと…

 「い、いや!いいよ!」

 危うく、子供相手におかしな気持ちになる所だった…


 「いらないの?美味しいのに…」

 リンは不満そうにまたコロコロし始めた。

 キャンディが小さくなったのか、ガリガリと噛み砕く音がして、またポケットを探りだす。

 「まだ、他のもあるんだよ。赤と黄色と緑と…」

 テーブルの上に、色とりどりのキャンディを並べて、一つ一つ丁寧に説明してみせる。

 青年は何だかそれ所ではなかったが、必死に笑顔を貼り付けて、相槌を打った。

 「キャンディ綺麗でしょ?キラキラ光って、向こうが透けて見えるよ。」 

 「…そうだね。綺麗だね。」

 「綺麗なものは何でも好き!だから、お兄さんの事も好きだよ。」

 「…!」

 青年は苦しげに唇を噛み締め、拳を握りしめた。

 「違うよ。俺は綺麗じゃない。綺麗なのはリン君だ。君の心が綺麗だから、そう見えるだけだよ。だけど、俺はリン君に綺麗だと思われたいと思ってる。汚い所を君に見られたくないんだ。」

 リンはキャンディをコロコロさせてから、言い放った。

 「なら、僕がお兄さんをお嫁さんにしてあげる。」

 相変わらずリンは足をブラブラさせて、ニコニコしている。

 「忘れてた…リン君は子供だった。こんな話分からないよね。俺が悪かった…」

 「子供じゃないよ!子供だけどちゃんと分かってる!お兄さんの方が自分の事が分かってないんだ!」

 「…知らない方がいい事だってある。子供の君には分からない…」

 「また、子供って!パパとママみたい!」

 「ご両親と何かあったの?」

 「何もないよ!何も無いから、嫌なんだ!家はいつも清潔だし、ごはんは毎日違うメニューをママが作ってくれる。布団はいつもフカフカだし、持ち物はいつも新品で、僕は自慢の子供だ!学校だって!」

 不満なんてある訳ない。

 それなのに。

 「本当の僕は何処にも居ない。」

 青年は痛ましい目でリンを見詰めた。

 「僕を只の、利かん気な子供と思ってる?」

 「そんなことは…」

 「狡いよね、大人って。」

 また、リンはキャンディをコロコロして、足をブラブラさせた。

 「僕、ここに住もうかなあ。お兄さん、僕と二人で暮らそうよ。」

 「駄目だよ、リン君。」

 「どうして?」

 「子供は学校で学ばないと。温かい家庭だって大切だ。」

 「ふん!大人は同じ事しか言わない。つまんない。」

 「君くらいの年での経験は大切なんだ。間違ってもこんな所で俺と…」

 苦しげな顔をして言い淀む。

 「僕はお兄さんと二人きりでいい!お兄さんが居ればいい!学校も家も要らない!」

 「そんなの絶対駄目だ!」

 青年の剣幕にリンの身体が跳ねる。

 「今しか出来ない経験をするんだ。リン君の将来の為なんだよ。」

 「将来の為に今を犠牲にするの?」

 「そうじゃないよ。いずれ分かる時が来る。」

 リンの頬を涙が伝った。

 「嫌だ。分からないよ。僕はお兄さんと過ごす事の方が大事に思える。」

 「…分かった。じゃあ、こうしよう。10年経って、リン君がまだ俺を思ってくれるなら、一緒に暮らそう?」

 「10年も?」

 「その間沢山経験して、同じ気持ちだったら、もう一度会いに来て欲しい。」

 「絶対?」

 「ああ、絶対だ。約束する。」

 「分かった。」

 リンは涙を拭って、強い瞳で青年をひたと見詰めた。

 「約束だよ。10年経ったら迎えに来るから、絶対待っててね。」

 「勿論。楽しみにしてる。」

 「楽しみにしてて!すっごくいい男になって、惚れさせるからね!」

 「そうだね。きっといい男になるだろうな。」

 「じゃあ、10年後に会おうね!また、会う日まで!バイバイ、お兄さん!」

 「うん。バイバイ、リン君。」

 バタンと勢いよく扉が閉まる。

 青年の頬を涙が伝う。

 こんな身体でも涙が出るのか、なんて関心する。

 繋ぎ止めておきたかった。

 自分から突き放してしまった。

 

 「リン君…」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る