第50話 業火と抱擁?問題 


「どうしてここに……?」

 サブライムの横には、エピタフがいた。彼はおれを抱きしめているサブライムを守るように黄金色の魔法の壁を展開していた。

「遅くなりました。凛空」

「どうして? どうして、おれがここにいるって……」

 サブライムは口元を緩める。

「リガードの指輪には彼の魔力が込められている。エピタフは、それを追跡することができるのだ。だからお前の居場所がわかった」

(だからあの時、エピタフはこの指輪をおれにしておくように言ったんだ)

 ほっとしたのも束の間。はっとして周囲に視線を配る。カースは祭壇の上に浮遊している神々しい光を仰ぎ見ていた。

 しかしその光に触れたものは、その形を失っていく。エピタフが守ってくれているのはそのためだった。

 カースの外套は、神々しい光に触れ、煙を上げていた。彼はサブライムたちの存在など、気にも留めないかのように、その光を一心不乱に見上げていた。

「遅かったな。お前たち。無事に魂が分離した」

 カースは両手を広げ、その光に向かって歓喜の声を上げた。

「音……! 会いたかったぞ。お前に会いたかった! さあ。あの黒猫を器として、再びおれの目の前に姿を見せてくれ! そんなところにいるな。せっかく魂を分離してやったのだ。早く、早く——あの器に戻れ! そうすれば、お前はこの世界で自由の身になるのだぞ」

「凛空は渡さないぞ。カース。残念ながら、歌姫の器はここにはない!」

 サブライムはおれを抱きしめた。

「器がなければ、歌姫はただの実態のない亡霊です」

 エピタフもそう言い返す。

「お前たちになにがわかる。邪魔をするな!」

 カースは忌々しいとばかりに叫ぶと、懐から藤色の光を纏った剣を取り出した。そしてすぐにエピタフに切りかかってきた。しかし黄金色の防御壁は堅い。カースの剣は何度も跳ね返された。

「太陽の塔の時のようには行きませんよ。カース」

「クソ……っ。お前たちは、お前たち人間は——! 何故だ! 何故……おれたちを——放っておいてくれないのだ——」

 悲痛な叫びだった。胸が張り裂けそうなくらいの、悲しい叫び。おれの心は悲しみ、絶望、憎しみが渦巻く。

 ——カース

 ふと音の声が響き渡った。漆黒の耳を持つ猫族だった。ぼんやりとした光の中に浮かぶ歌姫の残像は、太陽の塔で見たその姿とは少し違って見えた。

 カースは剣を床に取り落とすと、懇願するような声色で音に問いかけた。

「音。器に戻れ。お前ならできるはずだ。あんな子兎の防御壁など、物ともしないだろう?」

 音はそれには答えない。彼はただなにも言わずに、そのほっそりとした腕を伸ばし、カースを抱き留めた。

 光はそのまま彼と融合していく。音からの抱擁に、歓喜に満ちた表情を浮かべたのは一瞬だ。

 カースのからだから煙が立ち上がった。この光は触れたものを焼き尽くす光なのだ。彼はしだいに苦悶の表情を浮かべた。

「うう……うおおおお……っ、な、なんだこれは! 音! 一体、なにを!?」

 ——ああ、傷つき迷子になっていた可哀そうな子 私は貴方を迎えに来たのです さあ もうそんな思いをする必要はありません 私と伴に 永久とこしえの安寧を手に入れるのです

「い、嫌だ! おれには、まだ……やることが!」

 ——復讐の心に支配されてはいけません 私はこの時を待っていました 二人きりになれる時を

 音の光が更に強くなる。カースのからだから炎が立ち上がるが、それも一瞬の出来事だった。

 あまりにも強い光で彼のからだは、あっという間にかき消される。それは安寧の時とは言い難い。まるで地獄の業火に焼かれるかのような断末魔——。

「うおおおお」

 光がすっかりとカースを包み込み、一層その輝きを増した瞬間。おれもその光に包み込まれてしまった。隣にいたサブライムやエピタフの姿がない。ただ目の前には、おれと同じような黒猫の獣人が立っていた。

「音。貴方はカースと伴に行ってしまうの? まだ戦いは終わっていないんだよ。ねえ、一体誰がこの世界を救うの?」

 ——それはもうわかっていることではないのですか 凛空

「おれは……。おれは駄目だよ。貴方の魂はおれの中にはもうない。おれはただの猫族の黒猫だよ」

 ——いいえ 私は貴方の中で眠っていました ただそれだけのこと 今までのことは全て 貴方自身の力が引き起こしたことなのです これで安心してカースを連れていけます

「音……」

 ——新たな歌姫として 貴方の成すべきことをなさい

 音の姿は段々と薄れていく。

「ま、待って! そんな。駄目だよ。おれでは貴方のようにはできないよ!」

 ——凛空 自分を信じて 大丈夫です 貴方は一人ではありません

 目の前の光が再び強くなった瞬間。それはあっという間に無に帰する。そこにカースも音もいなかった。石棺に寝かされていた音の遺骸も、まるで光にかき消されたように消えていたのだった。

 なんとも呆気ない最期だった。光が消えた神殿は、何事もなかったかのように、仄かに青白く光っていた。

 肩に触れた温もりに顔を上げると、そこにはサブライムがいた。

「凛空。大丈夫か」

 その声は恋しい声——。

「サブライム……っ」

 なんだか涙があふれた。

「終わった。カースは滅した。歌姫が彼を抱いて消滅した——」

 彼の温もりにほっとした瞬間、張り詰めていた糸が切れたみたいになった。怖かったのだ。本当は怖かった。

「お帰り。凛空」

 しかし、そんな悠長にしていられる場合ではなかったようだ。エピタフの気配が緊張に変わったからだ。

 顔を上げるとエピタフはある人物と対峙していた。太陽の塔にいた聖職者——いや、兎族を追放されカースに加担していた男、ラリだった。彼はカースの消えた祭壇を見つめて侮蔑したように笑った。

「まったくもって肩透かしだった。カースとは愚かなる過去の遺物だったようだ。個人の感情だけで突き動かされる者ほど愚かしいものはない。私の理想とはかけ離れた存在であったこと、大変残念だ。私は、人生の大半をカースに費やしたというのに」

 ラリは肩を竦めた。エピタフはラリをじっと睨みつけていた。

「お前が、カースを蘇らせたのか」

 エピタフはラリを睨みつけたまま、彼の目の前までゆっくりと歩いていく。

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