第三章 太陽の塔と別れ
第16話 太陽の塔?問題
「凛空。眠れたか。エピタフに意地悪されたんじゃないだろうな?」
開口一番にサブライムはそう言った。エピタフは「そんなことするわけないじゃないですか」と言い捨てた。
サブライムの執務室は日当たりのよい、中庭に面した広い部屋だった。右側の茜色の壁一面には、この国の地図が貼り出されていて、反対側の壁には天井まで届くような本棚が据えつけられていた。
彼の座っている席の隣には、書類に埋もれているピスが座っていた。彼は王の補佐だ。こうして、サブライムの隣にいて手伝っているのだろう。
「凛空」
サブライムは手招きをする。おれはなんだか気恥ずかしい気持ちになった。一晩離れただけで少し遠い存在に感じられたからだ。 おずおずとそばに寄ると、サブライムの長い腕が伸びてきて、おれの頭を撫でた。
「凛空のこの耳。撫でると気持ちいいんだ」
「ひいい」
耳の付け根を撫でられると、からだがブルブルって震えてしまう。
「嫌か?」
「い、嫌じゃない……」
(むしろ、撫でて欲しい……)
「そうか」
サブライムの長い指が、そこを刺激する度に、からだの中が熱くなる。
「猫で遊ぶのは今日のノルマが終ってからにしてもらいたい」
ピスは銀縁眼鏡を指で押し上げてから、ため息を吐いた。
「みんなが揃ったので、大事な相談をしましょうか」
ピスはサブライムとおれ、それからエピタフを椅子に座らせた。
「歌姫を確保したのです。早々に明日、凛空を太陽の塔に連れて行きたいと考えます」
彼はそう言った。
(太陽の塔ってなんだ?)
全く話の見えないおれは目を瞬かせてみるが、サブライムとエピタフは緊張した面持ちになった。
「確かに、それが一番の目的ですが……」
「早急すぎるのではないか?」
サブライムは難色を示した。しかしピスは眼鏡をずり上げてから、首を横に振った。
「カースが黙っているはずがありません。——ラリよ。入りなさい」
ピスの声を合図に執務室の扉が開いて、一人の男が姿を現した。年配の小柄な男だった。
彼は生成色の布で目隠しをしていた。露わになっている頬にもいくつもの古傷が見て取れる。腰よりも長い白髪は、一つに編まれていて、手には身長よりも長い白杖が握られていた。
「太陽の守り人——ラリだな」
サブライムは眉間に皺を寄せ、ラリを見据えていた。彼に対して、あまりいい感情を持ち合わせていないのではないかと思った。
「はい、王様」
彼は目隠しをされているというのに、サブライムに向かって、頭を深々と下げた。まるで見えているかの如く振る舞う彼の仕草は、不思議でならなかった。
「上申したいことがあるようです」
「遠慮はいらない。話せ」
サブライムの促しに、ラリと呼ばれた男は「それでは」と頭を上げてから口を開いた。
「歌姫を蘇らせる場所は太陽の塔をおいて他にはありませぬ。私はこの時を心待ちにしておりました。すでに太陽の塔では、歌姫を蘇らせる儀式の準備を整えておりますゆえ——どうぞ、その者を連れ、太陽の塔へご足路いただきたく」
「随分と根回しが早いな。ピス」
サブライムはピスを見た。彼はじっとサブライムを見返している。
「リガードの犠牲を無駄にはいたしません」
彼はそう言い切った。エピタフも頷く。
「王よ。私もピスの意見に賛成です。歌姫を確保したのです。なにも遊ばせておく必要はない。早々に覚醒させ、カースを封印するのです。過去を生きていたカースと、我々とでは、圧倒的に我々のほうが不利です。一刻も早く歌姫を蘇らせるのが得策です」
ラリは両手を広げた。
「古文書は複数存在するというが、どれもこれも信憑性には欠けます。やはり王宮で厳重に管理された古文書こそが真実。しかし、残念なことに王宮の古文書には、歌姫覚醒の儀について書かれている部分が欠落しております。我々は太陽の塔を守る一族として、カースですら知りえぬ歌姫覚醒の儀式を口承で守ってきたのです」
おれは四人のやり取りを黙って見つめていた。おれの処遇について話し合われているというのに、おれの意見がそこには必要がないということに、いささか不満を覚えた。
しかし、だからといって、なにを発言したらいいのかわからない。黙っているしかないのだ。
「——そのために我々一族は、カースに……」
(カースに?)
ふとサブライムと視線が合うと、彼が説明してくれた。
「お前が生まれる少し前。カースが太陽の塔を襲撃した。その際、ラリの一族は皆殺しにされたのだ。ラリは目を潰され、体中に傷を負いながらも一命をとりとめたのだ」
「私は——」
ラリはおれに顔を向けた。なんだかどっきりとした。
「あの者が憎い。カースこそ、この世の災厄なる存在。封印するだけでは事足りません。今度こそ、滅する。——そうですよね? エピタフ様」
エピタフは「そうですね」と頷いた。ラリは生成色の布から覗く口角をにやりと上げた。その笑みは、どこか気味が悪くて、おれは好きになれなかった。
「さあ、王よ。善は急げと申します。どうぞ、ご決断を」
ラリの問いかけに、サブライムは黙り込んでしまった。彼が歌姫覚醒の儀式を渋る理由がわからない。おれはじっと彼の横顔を見つめていたが、ふと視線が合うと、サブライムは「ぷ」と吹き出した。
「へ?」
「そんな顔をするな。耳が垂れている」
「そんな顔!?」
どんな顔をしていたのだろうか。彼はおれの頭を撫でてから、太陽の塔の説明をしてくれた。
「太陽の塔とは、昔から神が祭られている塔だ。箱舟で生き残った者たちが、神との取引をする場所として建てたと言われているが、真意のほどは定かではない。だがしかし、我々はその塔を神聖なる場所として大切に保存してきたのだ」
「じゃあ、そこに行って早く歌姫を覚醒させよう」
「うん」と頷くおれとは反対に、サブライムやピス、エピタフまでもが不安気な表情を浮かべた。
「な、なに? なにか問題でもあるの?」
おれの疑問に答えたのはサブライムだった。
「歌姫が覚醒するということは、お前のからだの中に、お前と歌姫、二つの魂が存在するということになる」
(どういうこと!?)
それに続いてエピタフが口を開く。
「歌姫には器が必要なのです。そしてその器が貴方です。凛空。今は貴方の魂が表に出て、歌姫の魂は眠りについている状態です。しかし歌姫が覚醒するということは、今度は貴方の魂が眠らされるかも知れないのです」
「え! ちょ、ちょっと待って。ってことは——」
今、おれの中で眠っている歌姫がおれに成り代わって、おれは眠らされちゃうってこと?
「お、おれがおれではなくなってしまうってこと!?」
血の気が失せるとはこのことだ。どきっとして心臓が止まりそうになる。しかしサブライムの手はしっかりとおれの手を握り締めてくれていた。
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