第19話

「美味しいです……!」

差し出された焼き菓子を一口食べて、私は思わず声を上げた。

サクサクとした生地の中には甘酸っぱいジャムが入っていて、木の実が入った生地との組み合わせが最高だ。

「そうでしょう」

得意げな笑顔で前公爵夫人は頷いた。

「うちのシェフに代々伝わるお菓子で、キャロライナが来る時はいつも用意していたの」


今日は公爵様のお屋敷にお呼ばれをした。

お屋敷は王宮のように広く立派で、迷路のような庭園を案内されその中央にある四阿でお茶をいただくことになったのだ。

「そうそう。モットレイ伯爵夫人に劇場でのことをお話ししたのよ。『自分の息子より若いお嬢さんに手を出そうとするなんて』ってカンカンでね。早速爵位譲位の申請をするって言っていたわ」

「……そうですか」

「多分王都には戻ってこれないでしょうね。自由になるお金もないでしょうから、もう愛人にしたいなんて言ってこないはずよ」

「ありがとうございます」

夫人に助けられた形になってしまったわ。

「ふふ、お礼なんていいのよ。キャロライナの姪に手を出そうなんて許せないもの」

「……伯母と仲が良かったのですね」


「そうね……どちらかというとライバルかしら」

「ライバル?」

「二人とも宝石が好きだから、良くオークションで競い合ったわ」

懐かしそうな顔で夫人はそう答えた。

「そうでしたか」

「あの『天使の涙』も一度キャロライナにオークションで負けたの。だからまたオークションに出た時は私が落とさなくちゃと思って。……でも本当は今でもキャロライナに持っていて欲しかったわ」

「……そうなんですね」


「母上」

しんみりした気持ちになっていると、公爵様がやってきた。

「そろそろステラ嬢をお借りしても?」

「あら、もうそんな時間なの」

「メイド達がピリピリしていますよ」

「残念ね」

夫人は立ち上がった。

「これから王宮へ行かないとならないのよ。ステラさん、また今度ゆっくりおしゃべりしましょうね」

「はい。今日はありがとうございました」

「私も懐かしかったわ」

軽く手を振りながら夫人は屋敷へと戻っていった。


「それではステラ嬢、離れへ行きましょうか」

夫人を見送ると、公爵様は私を見た。

「離れですか?」

「執筆用の仕事場にしているんです」

アダム・アンカーソンの仕事場……! 入ってもいいの?!


案内された離れは、思ったよりも小さく素朴な造りだった。

「ここは元々使用人の住居として作られたものを、父が趣味の部屋として改造したんです」

「ご趣味とは?」

「父は植物学者になりたかったらしくて、様々な植物を育てていたんです。昔は温室もありました」

中へ入ると、エントランスには様々なものが置かれていた。一際目を引くのは見たことのない大きな動物の剥製……もしかしてこれがオークションで落札したもの? ということは……。

「……もしかして、ミイラもここにあるのでしょうか」

「見たいですか?」

「いえっ」

慌てて首を振ると公爵様は小さく笑った。だってミイラって、要は死体でしょう?!

「ここにあるのは全て執筆の取材用に集めたものです。ミイラは母が嫌がるので博物館に寄贈し、ここにはありません」

「……そうだったんですね」

ちょっとホッとした。


二階は大きな書庫があった。

壁一面が本棚になっていて、それでも入りきらない本が大きな机の上に積み上げられている。

「これ、全部読んだのですか?」

「いいえまさか。いつどんな本が必要になるか分からないので集めているんです」

すごい、さすがだわ。これだけの準備をするからあんな素敵な小説が書けるのね。


「この本には世界中の呪いにまつわる話が載っていて、その中に『ブルーダイヤの指輪』もあります」

公爵様は一冊の本を手に取った。

「……伯父が所有していたとされるものですか?」

「ええ。最後にその姿を見せたのは三十年前で、その後行方不明とこの本には書かれてあります」

しおりを挟んであるページを開くと、ある箇所を指し示した。

「それで、この指輪には所有者が不幸に見舞われるという言い伝えがありますよね。けれど全ての所有者が不幸だったわけではありません。むしろ出世をしたり富を得た者もいる。その幸福になった所有者にはある共通点があったと書かれています」

「共通点ですか? それは一体……」

「聖職者やそれに関わる仕事の者です。元々このブルーダイヤは神像を飾るものだったというのが関係あるのかもしれません」

そう言うと公爵様は本を閉じた。

「キースリー伯爵は幼い娘を亡くし、自身も急逝。夫人も母と同じ歳ですが既に亡くなっています。確かに不幸といえますが……ステラ嬢はいかがでしょう?」

私?

「もしあの屋敷に指輪があるならば、今の所有者はステラ嬢ですよね」

「……確かに……私も両親や色々なものを失くしましたが。あの屋敷に住むようになってからは、むしろ幸せになったと思います」

修道院へ入るつもりだったのが、レイモンドと出会い、彼と婚約することができた。彼のご両親もいい方だ。とても恵まれているだろう。

「そうですか。それはつまり、もう呪いの指輪は屋敷にはないか、あるいはその保管場所が良いのでしょう」

「保管場所?」

「例えば礼拝に使う場所や、他の神像などと一緒に祀られている可能性です」

公爵様は屋敷の見取り図を広げた。


「この図面と日記を比較していて、気づいたことがあります」

「それは……?」

「この屋敷にあるはずの部屋がないんです」

日記を広げてパラパラとめくる。

「バーンズ侯爵の愛人というのは他国の人でした。その彼女が毎日信仰する神に祈りを捧げていたと書かれています」

それは読んだ記憶があるわ。

「その愛人が信仰する宗教では、祈る時は必ず専用の部屋で行わないとならないんです」

「お祈り専用の部屋……?」

「ええ、この見取り図にはその部屋がないんです」

「……潰したか、別の用途に使っているということは?」

「もしくは隠し部屋として隠されているかですね」

「そうなんですか……」

「先日見せて頂いた二つの隠し部屋は、どちらも祈りの部屋には相応しくありません。つまり少なくともあと一つ、隠し部屋がある可能性があります」


「……すごい! 本物の探偵みたいです!」

さすが推理小説家の公爵様。目の前で繰り広げられた、小説に登場するような推理に興奮してしまう。

「ありがとうございます、ですがまだ推理の段階ですから。合っているか確認しないと」

「あ……そうですね」

「その祈りの部屋に使われるのは、南側に小さな窓を作り、正午になるとそこから光が入る場所です。つまり屋敷の南面にあります」

「南……」

「それで、毎日使うとなると、おそらく愛人の寝室に接しているでしょう」

「……私が使っている部屋でしょうか」

客室以外の寝室は二つ。主寝室はレイモンドの部屋になっていて、それより少し小さい方の部屋は私が使っている。

「いや、おそらくあの仕掛けがあったマントルピースの部屋でしょう」

「……あの客室ですか?」

「あのマントルピースに描かれていた模様。あれは愛人の故郷の伝統柄でした」

見取り図を指しながら公爵様はそう言った。



「公爵様は……本当にすごいですね」

思わずため息がもれた。

「図面や日記を読んで推理したり、異国の伝統柄や宗教のことを知っていたり。すごいです」

「……小説家ですからね、さまざまな知識を持つのは当然ですよ」

「それでもすごいです!」

「ありがとうございます」

公爵様なのに、小説家で、さらに物腰も低くて親切で。本当にすごい方だなあ。


「……ところでステラ嬢は、今幸せなんですよね」

「はい」

「それは、あの婚約者のおかげでしょうか?」

「レイモンドのおかげ……」

少し首を捻って考える。

「だと思います」

「彼は貴族ではありませんが」

「私は貴族とか平民とか、そういうのはどうでもいいんです。身分は違っても同じ人間ですし」

「……そうですね」

「彼と一緒に出かけて美味しいものを食べて、同じ本が好きで、色々な話をして。婚約してからは将来の話をするようになって、そういう時間が幸せなんだなあって思うんです」

アンドリューと婚約していた時には感じなかった気持ちだ。

それに……レイモンドと一緒にいると落ち着くとともにドキドキすることもある。多分、これが『恋』という気持ちなのだろう。


「ああ、ステラ嬢はそういう所に幸せを感じるのですね」

「はい」

幸せの感じ方は人それぞれだけれど。私は今、とても幸せで恵まれていると思う。

「そういう相手と出会えて、羨ましいですね」

「公爵様もきっと出会えます」

だってとても素晴らしい方だもの。


「……ありがとう」

そう応えた公爵様の笑顔は、どこか少し寂しげだった。

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