第17話
「あと一件か……」
休憩室で時計を見つめてレイモンドはため息をついた。
「何だ、飽きたのか」
「一日三件の会合は誰でも辛いだろう」
「お前なら四件でも五件でも嬉々としてこなすだろ」
親友であり同業者でもあるアラン・タルコットはそう言って笑みを浮かべた。
「この後の宴会には行くのか?」
「いや、帰る」
「最近付き合いが悪くなったって評判だぞお前。まあ、あんな美人の婚約者ができればそりゃ仕事どころじゃないよな」
「……仕事はきちんとやっているが」
「そうか? 今日は仕事どころではなさそうだが」
「――彼女のところに客が来ている」
「客くらい来るだろう」
「相手が悪すぎるんだ」
「貴族か」
「……アシュフィールド公爵だ」
「あの数寄者公爵?」
「ああ」
レイモンドはため息をついた。
「何をしに?」
「屋敷に興味があるそうだが……それだけじゃなくて彼女自身にも興味を持っている」
「……それはお前がそう思っているだけなんじゃ」
「いや。使用人たちも感じている」
外見こそ清純な美しさを持っているが、中身は傲慢で裏表のある貴族令嬢が多い中で、ステラは見目だけでなく中身も素直で可愛らしい。特に無防備な笑顔は見る者を惹きつける。それでいて、自分や周囲の状況を冷静に判断できる賢さもある。
そういうステラにレイモンドは惹かれたのだが、それはきっとアシュフィールド公爵も同じなのだろう。――彼がステラと会話を重ねるうちに、その瞳に様々な感情が混ざっていくのをレイモンドは感じていた。
「あー、それは厄介だな」
アランは息を吐いた。
「いくらお前の婚約者とはいえ、相手は公爵だ」
「……ああ」
王族でもある筆頭貴族。彼が本気でステラを望めば、貴族でもない、一介の商人に過ぎないレイモンドは逆らえるはずもない。
「そうか。――お前と婚約者って、どういう関係なんだ?」
「え?」
「お前は惚れてるけど、向こうは?」
「……それなりに好意は抱いてもらってると思う」
自惚れではなく、ずっとステラの側にいて彼女を一番理解しているコニーにも確認した。
けれど、まだ好意止まりで……恋と呼ぶには淡い心だ。
「じゃあ、お前にできるのは彼女の心を捕まえることだな」
「ステラの心を……」
「彼女がお前に惚れて、離れたくないと思わせないと。貴族には勝てないぞ」
「……そうだな」
親友の助言にレイモンドは頷いた。
*****
「エドモント、お帰りなさい」
「ただいま。はいお土産」
「あ……紅茶とジャム!」
「今日の会合はあのホテルだったんだ」
「ありがとう!」
また食べたいと思っていたのよね。前にレイモンド連れて行ってもらったホテルのジャムを。
夜遅くなってエドモントは屋敷に来た。彼は今、王都にある実家で暮らしているが、既にこの屋敷に彼の部屋は用意してあり、休みの前日などは泊まっていくのだ。
「それで、公爵の取材はどうだった?」
「客間のマントルピースに秘密の空間があったの」
「マントルピース?」
「公爵様が気付いてね、それでこれが出てきたの」
短剣を手渡すと、レイモンドはそれを眺めた。
「スタールビーか……これだけ大きなものは珍しい」
「どうして短剣に宝石が嵌めてあるのかしら」
使いにくくないのかしら。
「時々店でも扱うよ、旅立つ相手への贈り物が多いかな。護身用になるし、いざという時は宝石を売れる」
「なるほど」
一石二鳥なのね。
「これは随分長い間放置されていたみたいだね、刃の部分はすっかり錆びてしまっているから」
「使えないの?」
「研ぎに出してみないと分からないな。ダメだったらこのルビーだけ取り出してアクセサリーにしてもいいし」
「そうね」
「ところでステラは、芝居は好き?」
エドモントは短剣を私に返しながら尋ねた。
「お芝居? ええ」
「今度観にいこうと思っているんだけど」
「本当? 嬉しいわ」
「良かった。じゃあチケットを手配しておくよ」
「ありがとう」
お芝居なんていつぶりかしら。お母様が好きだったのよね……そう、久しぶりに行こうと約束していたお芝居は……。
「ステラ?」
レイモンドが顔を覗き込んできた。
「どうしたの」
「あ……思い出して」
「何を?」
「……お母様と一緒に行こうと約束していたお芝居があったんだけど、その前に事故にあって……」
じわり、と目頭が熱くなった。
「……そうだったんだ」
そう言うとレイモンドは私を抱きよせた。
「ごめんね、思い出させて」
いいえ、と言おうとしたけれど。
胸に込み上げてきたものに言葉が飲み込まれてしまって、ただレイモンドの胸に顔を埋めることしかできなかった。
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