第58話 因縁は断つもの

 イルルカの参戦によって戦局は完全にひっくり返った。

 彼が三日月刀シミターを振るう、その度に魔物の首が刎ねる。

 騎士服サーコートをゴブリンの返り血で染めた彼の口角は、目に見えて吊り上がっている。

「なんだアレ……」

「知らなかったのか? ……『黒豹』イルルカ。元Bランクソロ冒険者。アイツはパーティーを組まなかったんじゃない。組めなかったんだ」

 イルルカは血を見るとどうしようもなく昂ぶる。その気性故に、冒険者時代はパーティーを組むことは少なかった。

 尤も、彼のあの速度についてこられる者がいなかったのも事実ではあるが。

 兎角、頼りになる助っ人を得てカッスルらは前線を押し上げる。

「……これくらい減らしておけば良いでしょうか。では──」

「お、おい! どこへ行く気だ⁉」

「いえ、もうここは私がいなくても大丈夫でしょう? でしたら私はあのオーガのお相手をしようと思いましてね」

 言うや否やイルルカはゴブリンの群れへ飛び込む。

 魔物の波に呑まれて彼の姿はすぐに見失ってしまったが、上がる血煙のおかげで彼の無事と居場所が容易に解った。

「あのヤロウ! 俺達の獲物を横取りするつもりかよ‼」

 ルドマンの叫びの意味を一瞬、カッスルは理解出来なかったが「そう言えば」と。確かに、ギルドに来たジャンが言っていたな。素材は討伐者のモノだと。

 この状況でそれを気にしている人間がどれくらいいるだろう。

 カッスルは苦笑する。

「ルドマン! ここはもう大丈夫だ! お前はあのオーガを!」

「応よ! あのオーガは俺達『南十字サザンクロス』の獲物だからな!」

 カッスルは勘違いに気付いた。ルドマンが言っていたのは素材の、報酬の有無ではなく、一ヶ月前のやり残しの事なのだと。

 そう考えれば、背中を押す声にも一際力が入った。

「頼んだルドマン!」

「任せろ! おらおら! 雑魚はどけぇ‼」

 リーダーからの信頼の言葉を受け、ルドマンは愛用の大剣バスターソードを振るう。彼の行く手を遮ろうとしたゴブリンらの胴体が泣き別れた。

 イルルカが凪の海を行くかの様に魔物の群れを進んだとすれば、ルドマンのソレは正に蹴散らすといった風だ。

 そうして彼がオーガの元へ辿り着くと、イルルカは既にオーガとの戦闘を始めていた。

 蝶のよう、蜂のよう。その戦い方はある少年を彷彿させた。

 ルドマンは大剣を構えてオーガへ斬り掛かる。

「待てやコラァ‼ ソイツは『南十字うち』の獲物だぞテメェ‼」


◇◇◇


「ちょっと、大丈夫リーラ?」

「え、えぇ。何とか……」

 ルドマンとイルルカがオーガの抑えに入ったことにより、ゴブリンの弾は止まった。

 今の今まで『聖盾セントシールド』を展開し続けたリーラの消耗は大きい。

 おかげで最初の一発以外に大きな被害も無い。

 ネリはリーラに魔力回復薬エーテルを差し出す。消耗したのは魔力よりも精神力──気力の方だが、気休め程度にはなろう。

「戦況は……?」

「──気に入らないわね」

「ネリ?」

 魔力回復薬エーテルに口を付けつつ、ネリに尋ねるリーラ。『聖盾セントシールド』の維持がやっとで、状況の把握にまで気が回らなかった。

 だが返答は何とも的を得ず。

 リーラは意味を探るべく、女魔法使いが睨みをきかせる視線の先を追う。

 そこにはオーガと対峙するルドマンと、イルルカの姿があった。

「あんの優女よ! 横から入ってきてなに良いところだけ掻っ攫おうとしてるワケ⁉ 大体、あのオーガは一月前からアタシ達の獲物よ、そうでしょリーラ‼」

 ムキーと地団駄を踏むネリに「よくそんな元気があるなぁ……」と思ったリーラだが、口には出さず、代わりに微笑みを返した。

「ふふ、そうですね。しかしこうなってしまっては、ルドマンに託すほか──」

「なーに言ってんのよ! 私は指を咥えて待つつもりなんかないからね‼」

 そう気勢を吐くネリであったが、現実問題として現場からここまで離れている自分たちに何が出来るのだろうか?

 疑問に思うリーラを余所に、ネリは何本もの魔力回復薬エーテルを一気飲みし始めたではないか。

「ちょっ⁉ ネリ、何を⁉」

「うぇーっぷ……。うっ、出そう……」

「当たり前です! そんな量の魔力回復薬エーテルを飲んだら魔力酔いを起こしますよ⁉ ペッしなさいペッ!」

 長杖によろめきながら縋り付くその姿は花も恥じらう乙女がする格好ではない。

 苦しさに眉を潜め、足元はプルプルと震えるネリは老婆を連想させた。

「第一、そんなに飲んで何を──」

 言ってリーラは思い当たる節があった。

 ネリがニヤリと笑う。

「ねぇリーラ。ちょっと見晴らしのいいとこまで連れてってくんない?」


◇◇◇


「お、らあぁぁぁッ‼」

 振るわれるオーガの拳を、躱すでもなく受けるでもなく、ルドマンは大剣を叩きつけて弾き返した。

 オーガの拳に深々、斬撃が刻まれる。

 だが──。

(ちぃッ! コイツ本当にただのオーガか⁉)

 ルドマンが付けた傷は忽ち癒えてゆく。

 確かに、巨人の亜人種は強力な生命力を有しているいるが、このような異常な再生力を持っているなど聞いたことがない。

 そう感じたのはルドマンだけではない。

「……妙ですね」

 若干狂気の鳴りを潜め、イルルカも同様の結論に達したようだ。

 イルルカはその卓越したスピードによって攻撃を躱し、圧倒的な手数で相手を圧倒するという戦い方スタイルである。

 オーガの全身に無数の切り傷を付けたものの、失血死するよりも早く傷が癒えてしまう。彼にとってこの、異常に回復力の高いオーガは中々に相性の悪い相手であった。

 ──なればこそ、一刀で致命傷を与える必要がある。

 ガインと、ルドマンの大剣とオーガの拳が正面から衝突する。

 その動きの止まった瞬間。

「失礼」

「ぬあ⁉」

 イルルカはオーガの腕を駆け上がり。

「──ふッ」

「ああぁぁぁぁっ⁉」

 三日月刀シミターが翻りオーガの首を刎ね飛ばした。

 くるくると、宙を舞うオーガの首を見てルドマンが悲痛な声を上げた。

「テメェ、横狩りはマナー違反だろ!」

「? 横狩りも何も、このオーガは今日発生したばかりで──あぁ。公爵様や婿殿から魔物を率いる変異種のオーガの話を聞いていましたが、あれがそうだったのですか」

 胸ぐらを掴む勢いで食い掛かってくるルドマンに、イルルカは冷めた視線を向ける。彼が真の意味で敬意を払うのは強者だけである。

 その点『南十字サザンクロス』は、イルルカにとって「公爵様と婿殿が何故か懇意にしている冒険者」という認識でしかなった。

 それ故に一月前の出来事など、強い変異種のオーガがいた、という点しか覚えていなかったのだが。ようやくその場に『南十字サザンクロス』がいたことを思い出した。

 しかし──。

「今は領都の未曾有の危機。誰それの獲物だといって悪戯に被害が拡大するのを見ているわけにはいかないでしょう?」

「う、ぐっ。それも、そうだがよ……」

 元冒険者のイルルカであれば、目をつけていた獲物を横取りされる悔しさは分かる。分かるが自分が頭を下げるかどうかは別である。

 さも正論をケロリと吐くと、ルドマンはあっと言う間に気勢を失い、渋々と引き下がる。

 そんな彼らの視界が、翳った。

「?」

「なんだぁ……?」

 見上げれば頭部を失ったオーガの肉体がよろめいているではないか。

 その、首を失った肉体は倒れるどころか──。

「おいおいおい! マジかよ⁉」

 ミチミチと。首なしオーガの全身の筋肉が膨張し、首から出ていた噴水の如き流血が止まる。首なしオーガは両の拳を振り上げ、あろうことか叩きつけてきたではないか!

「っ」

「ふんっ‼」

 イルルカは咄嗟に回避し、ルドマンはソレを正面から受け止める。

 その威力に石畳が陥没する。

「おいおい、どうなってんだよコイツぁ⁉」

 ルドマンの戸惑いも尤もである。

 イルルカとて、ほんの一瞬驚きで反応が遅れてしまった。

 しかしやる事は最初から決まっている。

「簡単なことでしょう? 死ぬまで斬り刻めば良いのです」

 そう言うイルルカの口元はどこか愉しげで。

 あまりにもあんまりな回答にルドマンも言葉を失った。

 

◇◇◇


「あーお腹タプタプ……。太ったらその分の賠償も払ってくれるかしら?」

「……さすがに無理なんじゃないでしょうかね」

 そも回復薬ポーション類の飲み過ぎで太ったという前例を聞いたことはないが。

 思えば今回の戦で、自分も随分と魔力回復薬エーテルを飲んだ。

 リーラはちょっとだけ腹回りの脂肪が気になった。

「悪いわねリーラ。ちょっと、自分で動いたら戻しそうで……」

「……吐いたら捨てますからね」

「ひどい!」

 そんな会話を交わす『南十字サザンクロス』の女性陣は今、階段を登っていた。

 なんの建物かは知らないが、とりあえず目についた一番高い建物がここだった。

 木造の、三階建て。

 その階段をネリはリーラに支えられながらえっちらおっちら登り。屋根裏へ続くハシゴを登り。どうにかこうにか、建物の屋根の上に登りきった。

「っ、酷い……」

 眼下の惨状を見てリーラが口元を抑える。

 幾つもの水路が行き交い、風光明媚でしられていたヴァニラの至る所に破壊の痕跡があり、すぐに目につく通りにも住人と思しき遺体が転がっていた。

「……さっさと終わらせないとね」

 そう言ってネリは集中を始め、リーラは黙ってそれを見守っていた。

 ネリが今から放とうとしているのは上級火魔法『炎槍フレイムランス』である。燃え盛る業火を渦巻く槍として、その先端の温度は三千度にも及ぶ。

 これでもネリは、地元では神童と呼ばれていたのだ。

 その自信は年端も行かぬアーサーに木っ端微塵にされたのだが、そこで諦める神童ではない。

 彼女はアーサーが中級魔法しか使えないという点に目をつけ、上級魔法の習得に手を付けたのだ。

 そうして会得したのが、この『炎槍フレイムランス』である。

「これでアタシの方が上ね!」

 習得した時のネリときたら、それはもう有頂天であった。

 ──しかしこの魔法、一つ欠点がある。

 ああいや。魔法自体に欠点がある訳ではない。上級魔法には珍しく単体用だとか、燃費が悪いだとかはあるが、それは問題ではない。

 ネリが『炎槍フレイムランス』を放つのに必要な魔力が、彼女の全魔力まるまるであることが欠点であった。

 つまり打てるのは一発。そして他の魔法を使って魔力を消耗していない時に限る。

 これでは碌に実戦でなど使えない。

 カッスルはそう判断を下しネリ自身、その事実からは目を背けていた。

 要するに、アーサーにマウントを取る為だけに覚えた欠陥魔法なのだ。

 しかし今この時に限って言えば、公爵から豊富な魔力回復薬エーテルを貰っている今、問題点に関してはクリアしている。

「よし──」

 ネリは眼下にルドマンとイルルカと戦うオーガの姿を確認して、長杖を構えて魔力を練り始める。

 全魔力を注ぎ込むのだ。それに要する集中は尋常ではない。

「ねぇネリ?」

「ちょっと黙って。今すっごいイイところで──」

「さっき魔力回復薬エーテルを飲むんじゃなくて、ここで飲めば良かったんじゃないの?」

 ネリの魔力が霧散した。

「ちょ、ちょっとリーラ⁉ 今それ言うこと⁉ べ、別にいいじゃない! 勢いが大事なのよ勢いが!」

 リーラの指摘はあまりにも尤もであり、ネリは早口で捲し立てると、誤魔化すように再度魔力の集中に戻った。

 今度は余計な口を挟まずにリーラが見守っていると、ネリの背後、練り上げられた魔力が一点に集中してゆき──渦巻く業火の槍が生まれた。

「く、っぅ~~~‼」

「ネリ⁉」

「だ、大丈夫よ……! リーラはタイミングを教えて……!」

 身の丈に合わぬ魔法の発動は痛みを伴う。ましてその維持は、言うまでもない。

 痛みに歯を食い縛る友人を一旦意識から外し、リーラは目標を見る。

 ルドマンらは今もオーガと対峙している。万一手元が来るって彼に当たりでもしたら、骨も残らないだろう。

 緊張から、リーラの首筋に汗が伝った。

「っ~~~‼」

「……」

 まだだ、まだダメだ。

 逸る気持ちを抑え、リーラはその瞬間を待つ。

 そして──イルルカに首を刎ね飛ばされて尚、その動きを止めぬオーガ。

 ──ルドマンがオーガの拳を正面から受け止めた。

「っ、今です!」

「こん、のぉ! 『炎槍フレイムランス』‼ いっけぇ‼」

 唸る業火が放たれた。

 領都の上空を流星の如く、空気を裂き、火の粉を残し、オーガ目掛けて炎の槍は真っ直ぐに飛んだ!

 その速さたるや、視界を失ったオーガに避ける術は無く。

 ただ、飛来する何かに反射的に気付いたのだろう。防ぐべく両腕を交差したまではいいものの、ネリの放った炎の槍は諸共オーガの上半身を融解させた。


 この瞬間、ギルド前の攻防戦は雌雄を決したのであった。

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