第487話 学校の授業

やまなし。


大好きな童話だ。


今思えば「クラムボンとは何か」について


小学校の教室で一人一人が自分の考えを述べた、あの瞬間が


人生初の、生き生きとしたプレゼンだった気がする


当時の俺の解釈は、ありきたりな「泡」であったが


太陽だったり人だったりヤゴ(トンボの幼虫)だったり


少ない情報(行間)から深読みすることの楽しさを知った


実は宮沢賢治の全く無意味な造語だ、という意見も多いらしいが


「生きる意味は?」と聞かれて「そんなものはない」と答えることの、つまらなさと同じだ


クラムボンはクラムボンで意味があり


イサドはイサドで意味があるのだ(やまなしに出てくる"場所")



孫息子(小3)が


小2の時に「エルマーの冒険」を授業でやったそうで、僕も早く旅に出たい!と感化されたらしい


そのためには旅支度を含めて、用意周到に計画を立てねばならない


エルマーは貨物船に紛れ込み、みかん島からどうぶつ島に渡って竜の子どもを助けたが(・・・という話らしい)


ボクには既に、ジージから譲り受ける予定の「船」があるから


あとはジージがいつアフリカに旅立つのか(※)、早く日程を決めてほしい


ボクの冒険はそれ次第


・・・みたいな事を、最近よく母親に言うらしい


そんな急に夢を広げられても「ほな来週、明け渡しますさかい!」という訳にはいかない


まあそのうち「スーホの白い馬」も授業でやるらしいから


白い船を取り上げられたジージがどれだけ悲しむか・・・早く学んで欲しいものです


(※ 将来、アフリカのサバンナで1人暮らしをしたい、という私の夢)

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