第231話 菊一文字

実家は神戸の山奥にあって


5才から15才までの10年間、そこで暮らした


住宅街を囲む山々には"太陽と緑の道"と名付けられた遊歩道があり


全て歩けば2時間を要したと、記憶している


小学3年生のある日


クラスで、比較的、その山側に住んでいた男子らが数人、何やら騒いている


見た?!

見た見た!!

あれ熊やろか?!

新種の怪物やで!!


興奮して話しているので、何々どうしたん?と俺も輪に入る


「あ、T!あのな!昨日"太陽と緑の道"で遊んでたらな、第7基地の先に、家ぐらいの檻があってな!!」


・・・第7基地とは、我々が作っていた隠れ家の1つで(余談だが第1~4までは、ことごとく上級生に奪われていた)


最近、皆で開拓したばかりの場所であった


「・・・でな、その檻の中にな、2mぐらいの生き物がおってん!」


「あれ、他にも気付いた奴いたら、第7発見されてまうわ・・・」


「おう、それやったら今日、学校終わったら直ぐ偵察行こうや!」


仲間7人で、その怪物を見に行くことになった


第7基地は、メインの遊歩道から逸れて山路を10m程下った処から、更に木々を分け入った場所にあった


今日は遊歩道から逸れず、そのまま少し直進した左手脇の、曲がりくねった小道に入っていく


「この先やで!」仲間に緊張が走る


学校を出る時に、それぞれに武器を持っておこうということになり


皆、手には物差しとかコンパスとか、俺は来る途中で拾った40cmくらいの木の棒を握りしめていた


小道の先に、少し広場のような処があり、確かに、超でかい檻が木々の隙間から見える


「ストップ!」先頭の子が後続の俺等を制す


「・・・なあ、火、吹いたらどうしよ」


振り返って訊いてくるので、俺等は笑ってしまった


「もし危なくなったら、バラバラに逃げて、第7に集合な!」


そんな前約束をして、歩を進める


天気の良い午後とはいえ、木々に囲まれたその広場には湿気がこもり、薄暗い


ついに、広場に出た


目の前に、縦横高さ全て4m程の、錆びた鉄の檻がそびえている


小学校3年生の印象だから、実際にはもっと小さい檻だったのかも知れないが


"ほら、あれあれ!"


仲間が無言で指差す檻の奥に、黒い大きな物体が蹲っている


「でかっ・・・!!」


「生きてんのかな・・・」


「息しとるで、ほら」


身体がゆっくり上下するので、何かが寝ているのだが、俺は初めゴリラかと思った


俺等は更に1歩、檻に近づいてみた


すると、黒い物体はヌッと顔を上げて、こちらを見ている


俺等は硬直・・・


更に物体は、のそーっと4つ足で立ち上がり、俺等の方に歩いてきた


もう声も出ない・・・


檻の角まで来て、鼻をフフンと鳴らした後、それは突然「ばっふぁう!」と大きなくしゃみをした


「なんや、犬やんか~!!」


「うわホンマや、犬やん!」


「けど、こんなでかい犬っていてるん?」


緊張のほぐれた俺等は、更に檻に近づいてみた


身の丈は・・・四つ足なのに俺等よりタッパあるし、全長も3mくらいあるんじゃないのか


俺等に近づくと、檻の中で再び足を崩し、寝そべる巨大イヌ


「ぜんぜん恐くないやん」


「お腹空いてないかな」


皆が、しゃがんで犬を観察している間、俺は周りを歩きながら檻を調べてみた


すると横手に、南京錠で鍵の掛けられた扉のあることを発見


扉の上部に金属プレートが打ち付けられ、漢字が書かれている


「きく・・・いちぶんじ?」


俺の独り言を聞いた仲間の1人が立ち上がり、やってくる


「これ、なんて書いてあるんやろな」


「えっと・・・きくいちもんじ」と教えてくれる


「父ちゃんが釣りにいく防波堤が"いちもんじ"っていうから、憶えとるねん」


菊一文字・・・

こいつの名前やろか・・・


俺等は、小1時間ほどそこにいたのだが、今晩また集まろう!ということになった


家に戻り、学校で飼育しているチャボにあげるねん、と食パンを数枚もらい


急遽、夜の世話係言われたからと、夜6時半に家を出る


今考えればそんな時間から、小学3年生が独りで出掛けられたんだから、おおらかな時代だったのかな


俺等は遊歩道へと入る道のある団地の前で集合し、懐中電灯を照らしつつ、夜の森へと入る


基地を作るくらいだから、夜の探検などはもう何回も経験しており


ちょっとやそっとの暗闇や音では、動じなくなっていた記憶がある


菊一文字の檻に、戻ってきた


黙って近づくと吠えられる気がしたから、「きくいち!きたよ!」と声を掛けながら近づく


菊一は、夜の侵入者をさして驚きもせず


"全く可愛くない"お座りをして、こちらを見ている


懐中電灯を2方向から照らし、檻の中に、仲間の1人が持ってきた犬用の食器を入れ、そこにまた別の仲間が持ってきた牛乳を流し入れる


菊一は瞬時に反応し、寄ってきたかと思うと、べっちゃべっちゃ飲み始めた


「やっぱりお腹空いてたんやな」


「だけど、吠えもせんし鳴きもせんし、静かな犬やな」


「あ、家で聞いてきてんけど・・・」犬用の食器を持ってきた仲間が話しだす


「この犬のことは話してへんよ、こんな大きさで、こんな名前が付いた犬ってなんやろなってオカンに聞いたら」


「聞いたら?」


「多分それ、闘犬やって言われた。それも土佐犬やろうねって」


「これが闘犬?こんな、やる気なさそうなのが?」皆で笑う


そうこう話してる間にも器がすぐ空になるので、牛乳を足しつつ、パンも差し出す


もうそのころには皆、檻に手を入れ、平気で菊一を撫でていた


とにかく怒りもしないし、暴れないし、吠えもしない


俺等は菊一のそばで、ずっと話していたかったが


それぞれの親が心配するので、午後8時を過ぎたあたり帰ることにする


「菊一、またあした!」


「なるべく早く来るからね!」


「おやすみ~」


俺等は解散した


翌日。


一旦、家に戻ってから集まろうと言ってたんだが、俺は少しでも早く菊一に会いたかったので


ランドセルを担いだまま、そのまま檻へ向かった


「きく~?」声を掛けながら檻に近づくと、菊一は檻のギリギリまで寄ってきて、よっこらしょ、てな感じで寝そべる


俺はランドセルを下ろし、近くの市場で買ってきたパンと牛乳を出す(母親に訳わからん理由をつけて300円貰っていた)


その時、今日返してもらった答案用紙がランドセル?からハラリと落ちる


45点位の算数の試験だったと思う


昨日置いたままにしておいた食器に牛乳を入れ、パンを差し出しながら


「ちょっと見て、これ」と、その答案を菊一に向けた


飲むこと・食べることに没頭していた菊一が、一瞬それを見てフンッと鼻を鳴らした


「なんでお前が笑うねん!」


"犬に判るわけないやん・・・いや、こいつにはわかるのかな?"などと思ったりする


その後は皆が集まるまで、菊一と話をしていた・・・一方的に俺が、だが


20分ほど経ったころ


今まで緩慢だった菊一が突然、小道の方を向き、スクッと立つ


"あ、皆が来たのかな?"


座りこんでいた俺も立ち上がり、お尻の土をはらう


しかし・・・様子がおかしい


「グルルルルル・・・」菊一が低く唸りだしている


小道に向けて目を凝らしていると、パキッパキッと枯れ枝を踏む音が聞こえ


「あ、こっちですわ」と大人の声がする


そして真横で、低い唸り声をあげていた菊一が突然、聞いたことのない大きな恐ろしい声で吠えだした


「グワワオーゥ!!」


びっくりして菊一を見ると、目を剥き牙を剥き


おおよそ魔界のケルベロスを彷彿とさせる、怨念に満ちた形相になっている(もちろん当時はこんな表現できません)


恐ろしくて、俺は思わず後ずさりする


その時。


一瞬、俺に向いた菊一が、形相を崩して悲しそうな顔を向け


"怖がらせてすまんな"という目をした(気がした)


そして、"敵"はやってきた

5~6名の大人たち


「あっボクなにしてるの?!」


「危ないからこっちに来なさい!」


言われるがままランドセルを拾い、大人の方に向かう


「この犬ですわ・・・」


「よくもまあこんな大型犬を、こんなところに」


「檻まで組むとは・・・」


大人の中には警察もいた


さっきにも増して、菊一は吠える


すでにもう、俺の知る菊一の顔ではなかった


・・・その後、周囲にはロープが張られ


俺は、何をしていたのか聞かれた


いつから檻の存在を知っていたのかも聞かれ


もちろん全部、正直に答えた


その頃には仲間達も皆、来ていたんだが


俺が警察官に何か聞かれているため、近寄れずにいた


警察官に「あの犬、どうしたんですか」と訊いてみた


「犬を育てていた人がね、大きくなりすぎたからって、あんな処に連れてきたんよ」


「とうけん、なんですか?」


「よく知ってるなぁ、そうや。とても凶暴でな、君もホント、何も無くてよかったわ」


「あの・・・犬は、どうなるんですか」


「飼い主は、もう飼えないって言ってるらしいから・・・犬の、犬だけのお家に、連れていくやろうね」


子供ではあったが、「犬だけのおうち」などないことだけは、理解できた


それから2日ほど立ち入り禁止が続き、ロープが無くなったので見に行くと


入り口の開いた檻と、食器だけが残っていた


菊一は判っていたんや"人間の大人は、敵"と


そして・・・


"責任取れない大人にはなるなよ"


そう、教えられたような気がした

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