蝶の島
古川
1
葉の付け根を
卵の中で眠っている幼虫の夢を邪魔しないように、一枚一枚そっとそうしなさい、と教えてくれたのは姉さんです。だから私はそっとそうします。それが、朝一番の私の仕事です。
切り集めた卵付きの葉が籠の中でこんもりとなったら、今度はそれを温室へと運びます。そこは卵たちが蝶になるための、ガラスで守られた特別な空間です。扉を開け、垂れ下がる幕をくぐり抜けて、あたたかいその中へ入ります。
様々な色を咲かす花々の間を進み、
集めてきた卵付きの葉を一枚一枚ピンで挿して板に固定し、それを孵化器の中、時那草の間へと立て掛けます。どうか無事に孵化できますようにと願いながら、時間をかけて丁寧にその作業を終えます。
辺りでは、早朝にかけて
生まれたばかりの彼らの
座ったまま蝶たちを眺めていると、奥にいて別の作業をしていた姉さんに叱られてしまいました。「あなたは蝶のこととなると、この世から消えてしまった人みたいに静かになる」とよく言われます。私が笑って誤魔化すと、姉さんは呆れたように笑い返してくれました。その顔がいつもの通りに綺麗なことに安心し、私は次の仕事に移ります。
卵から生まれた幼虫は、たくさんの時那草の葉を食べて丸々と太り、やがて孵化器の中で蛹になります。蝶への
少し寝坊でもしたのか、まだ蛹から出たばかりの蝶が一匹、支柱の上で翅を広げている最中でした。ゆっくりと伸ばされていく翅はとても綺麗で、それを前にすると、私は息をするのも忘れてしまいます。ただ見惚れるしかないのです。命ごと溶かされて、否応なく透明にさせられるような、そういう気持ちがします。
じっと見ているとまた姉さんに叱られてしまうので、私は意識を仕事に戻しました。空になった蛹の回収と、羽化の近い蛹に補強が必要ならそれを施します。それから再び卵と幼虫のいる孵化器に戻り、そこにできた新しい蛹を回収します。
葉の裏にできていた蛹をその葉ごと切り取ったところで、同じ作業をしにやって来た姉さんに、鋏の手入れについて訊ねられました。回収作業に伴うわずかな揺れに、蛹の中の幼虫は敏感に反応します。驚いて震え出してしまうのです。だから不必要な摩擦による振動を生まないために、鋏の刃先はしっかりと磨かないといけない。そのことの確認でした。
私は姉さんの前で自分の鋏を動かして見せます。滑らかな動きと鋭い刃先を確認すると、姉さんは頷きながら「よろしい」と言ってくれました。その言い方がまるで大人のようなのでおかしくて、私は少しだけ笑ってしまいました。姉さんもつられて笑いました。
姉さんの美しさは、神様がその指で丁寧に描いた曲線でできています。きっと生まれる前の、まだ魂だった段階から、全部緻密に、そのように施されてきたのです。
全部は計画の元。そしてそれはもうすぐ果たされる。季節が過ぎるごとに増していく姉さんの美しさは、あと少しで完成するのだと思います。
姉さんと一緒に蝶たちの世話をする毎日は、何もない私に許された、美しさへのわずかな関与です。そこにある美しさが完全に果たされるための、ささやかな手助けとして。
「そろそろ一便のお客様が来る」と姉さんが言いました。そして私の肩に手を置いて向かい合わせの格好になると、私の頬にある凹凸を撫でながら「あなたも綺麗になったね」と言いました。私は驚いて、慌てて首を横に振りました。
姉さんは私の様子に少し笑うと、顔を近付けて続けます。「あなたもそろそろ、誰か見つけなくちゃ」と。それから舞ってきた蝶へと目を移し、この子たちのために、と付け添えました。
きっと生まれたての薄紅蝶は、自分がこれからさらに色濃く、美しい生き物になっていくのだということを知りません。ただ広い世界に目をくらませ、心もとない翅ではばたき、行くべき方へと舞っている最中です。
私は彼らの、喉の渇きを思いました。したたかに美しく生きるために必要な、あらゆる熱量を飲むことについて。
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