歩けクローゼット
星
本編
騒音がビルの合間を花火のように打ちあがっては、姿なき通り魔として人々を苛んでいる。文字どおり身を切られるような寒さ。東京の冬は風が強い。
僕は厚着が大好きだ、どうしても薄着になれない。今は寒いからともかく、夏であっても身軽になることを許せない。先日はついに「あんた、歩くクローゼットって感じ」と栄誉ある称号をいただいた。
僕は歩くクローゼット。ともなれば風に吹かれ、空へ舞いあがることもないだろう。これで安心して出歩ける。
一般的に人間は木枯らしやその程度で飛べるわけがない。あたりまえだと……思っていた。
現在は吉祥寺に居を構えている僕だが、元は東海地方とこんな大都会からしてみれば田舎もいいところであろう土地から飛ばされてしまったのである。ちなみに僕はおばあちゃんが大好きなので、今や故郷となってしまった愛知もこよなく愛している。
こちらへ降り立って最初に友だちになってくれたのは、井の頭公園で昼食を共にしている彼女だ。雨が止んで間もないため、さまざまなものが湿っているから人気は少ない。
「雨の匂いって爽やかで、胸がすっとするよね」
足元の水たまりを爪先であやし、さざ波を生む姿はきっと風の神さまとやらにひどく似ている。
「そうかな。僕からすれば蛙とおたまじゃくしの匂いなんだけど」
「独特だね……」
苦笑する彼女の反応に、育った土地の違いは嗅覚でも現れることを知る。いつか僕の地元のあぜ道を歩かせたい。梅雨がいいだろう。土の匂いを感じて、アーバン・ガールはどのような反応をするのか。……なんて、やはり地味かな。
昼の情報番組で見かけたパン屋で購入したクロワッサンをかじる。バターが芳しく鼻孔をくすぐる。
「東京はおいしいものがたくさんあるね」
僕は母の手料理から離れ偏食ばかりをして、以前よりも豊かな見た目になっている。今であれば上着の一枚や二枚、減らしても風に吹き飛ばされないのではないか。日が暖かいのでダウンジャケットを脱いでみる。
「ここでなくたって、たくさんあるよ」
彼女はSNSで紹介されている東北の揚げもの屋の情報を僕に見せながら「いつか行こうと思う」と微笑んだ。
インターネットにテレビに、と僕らは便利なもので囲まれている。その場へ足を運ばなくとも、その土地の情報を得ることができる世の中。けれども僕はここへ来るまで、グルメ番組は見ないようにしていた。「どうせ遠いのだから」と諦めていたんだ。
「やっぱり、この街は魅力にあふれているよ」
僕のお尻がふわりと浮く、油断禁物だったか。後悔は決して先に立たず空へ浮かされる中、次はどこへ行くのだろうと思いつつ、彼女に声をかける。
「またね、僕は行くよ」
冷たい風が僕を抱きこめる。びゅんびゅんと耳元で鳴る音に、彼女の声が微かに混じっていた。
「本当に変なひと、宇宙人みたい」
歩けクローゼット 星 @stern_works
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