いざない

五速 梁

第1話 わたし


「シーラ、学校へ行きたいとは思わないのかい?」


 ダイニングテーブルで遅い朝食をとっていたパパが、ふいに手を止めてわたしに言った。


「学校に?……ううん、思わない。だって勉強なら『アイビィ』に教えてもらえるし、お家でパパのお世話をする方が大事だもの」


 わたしは窓の外に広がる凍った湖面を見つめながら、きっぱりと言った。


 パパは「そうか……でも行きたくなったらいつでも言うんだぞ」と言い、クロックムッシュのくずを払った。


                 ※


 わたしのパパがこの『フローズンレイクタウン』にやって来たのは、かれこれ二年前だ。


 パパがこの町を訪れたのは遥か昔、隕石の墜落によってできたというクレーターに雨水が溜まってできた湖『フローズンレイク』の生態系を調査するためらしい。


 『フローズンレイク』は一年中凍っている謎の湖で、分厚い氷の下には未発見の水棲生物がいると言われている。


 パパは湖畔に建っていた古いゲストハウスを購入し、地下室を研究施設に改造した。地下には最新の人工知能『NW13』を搭載した分析用コンピューターがあるのだそうだ。


 わたしは研究で忙しいパパの代わりに家事全般を担当している。学校へは行っていないが、パパの研究を支えることは学校の勉強よりずっと意味があるとわたしは思っている。


 わたしは家を制御するAI、通称『アイビィ』と仲よしだ。家事のやり方を全く知らなかったわたしに、『アイビィ』は家のいたるところにあるマニュピレーターで文字通り、手取り足取り教えてくれた。つまりわたしたちの家は見た目こそ古いが、実は隅々まで人工知能に制御されているハイテクゲストハウスなのだ。


 この家にはパパとわたし、そして『アイビィ』の他にペットの猫、リプリーと番犬のジョンがいる。わたしとジョンは折り合いが悪く、いつも喧嘩ばかりしているがそれがわたしたちのコミュニケーションなのだった。


                 ※


「あっ、いけない。もうこんな時間。……パパが起きて来ちゃうわ。今日は移動販売の車が来てくれる日だからフルーツを買わなくちゃ」


 籠を手に外に出たわたしは、移動販売のワゴンが到着するまで湖畔のデッキに立ってキラキラ輝く湖面を見つめた。緯度の高さを感じさせる乾いた風に吹かれているとやがて、一本道の向こうに移動販売車のこじんまりとした車体が見えた。


「やあシーラ。今日も可愛らしいね。パパはまだ起きて来ないのかい」


「そろそろ起きてくる頃よ。いつもありがとう、オリバー」


 移動販売車の主、オリバーはわたしに気づくとコンテナを運びだす手を止めて目を細めた。オリバーはこの家のためだけにここまで移動販売の脚を伸ばしてくれる、奇特な存在だった。


 わたしはパパのためにフルーツを籠一杯選ぶと、午後の陽が射す湖畔の道を引き返した。


「やあおはよう、シーラ」


「パパ、朝食用のフルーツを買ってきたわ。カットしてくるからテーブルで待ってて」


「ありがとう。移動販売がなければ遠くまで車を出さなければいけないところだった」


 パパはあくびをすると、窓の外を見やった。一番高いところまで上った太陽は、凍った湖面に鏡のような輝きを与えている。実験だのなんだので就寝が遅いパパは、いつも正午過ぎにならないと起きて来ないのだ。


 番犬に嫌われても、学校に行けなくてもわたしはパパのお世話をしているだけで充分、幸せだった。同学年のお友達はいないけれどリプリーや『アイビィ』がいてくれるから寂しくはない。


 これからもずっと、パパと二人で湖畔の暮らしを続けて行くのだ、わたしはそう信じてうたがわなかった。


 ――そう、あのひとが来るまでは。

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