ネコだったらよかったのに

東妻 蛍

ネコだったらよかったのに

 「ネコ」という動物がおります。知らない人はほぼほぼいないでしょう。では「ネコ」はなんで「ネコ」というか。これは知っている人もまあまあいるでしょう。よく寝るからです。寝る子と書いて「寝子」としたところから「ネコ」の名前は来ているんでございます。

 「ネコ」、これが可愛らしい。寝ているところもまあ素晴らしい。大変に可愛らしい生き物でございます。小さいものから大きくなるものまでおりますが、押し並べて可愛らしい。もちろん異論は認めます。


 うちの子どもも、昔はそれはそれは小さくて、大変に可愛らしいものでございました。寝顔なんてそれはもう「天使がいる」と思わんばかりの愛らしさでございました。

 それが今はどうでしょう。図体ばかり大きくなって、親の言うことは聞かずに悪態ばっかりついてくる。寝顔なんてもう随分とみておりませんが、家にいるときはずっと部屋で寝てばかりで。この意地悪なウイルスが流行り出してからは、特に部屋で寝てばっかり。苦言を呈そうもんなら、その10倍の罵詈雑言が返ってくるじゃありませんか。

 昔は良かったなんて、思い返すのは野暮なものでしょうか。寝てばっかりいるなら、せめてネコであってくれれば可愛がれたかもしれないものを。

 そんなことばっかり考えていたからでしょうかね。ある朝突然息子の部屋から大きな大きなネコの鳴き声が聞こえてきたんです。

 すわ、何事か。普段は息子に怒られるからと決して勝手には部屋には入りませんが、ネコの鳴き声は一刻を争うようなボリュームでございます。バーンとドアを開けますと、息子のベッドの上に、ちょうど息子と同じ大きさをしたどでかいネコが暴れておりました。

 目をぱちくりとさせていると、巨大なネコが私めがけて飛びついてきました。人間サイズの巨体が飛んできたのです。もちろん勢いに負けてひっくり返ってしまいました。尻餅をついて大層痛かったのですが、巨大なネコの毛ざわりは筆舌に尽くし難いものがありました。もふもふとする手を止めることができなかった私を、きっと誰も責めることなどできないでしょう。

巨大なネコの質感を堪能していると、私の上から突然息子の声がいたしました。そうだ、息子はどこに行ったんだ。そしてこのネコの正体は。そう思いはするものの、巨体をどかす力などありません。息もだんだんと苦しくなってまいりました。もしかして私はこの毛玉に押し潰されて死んでしまうのかしら。そんな嫌な予感が脳裏をよぎったところで、巨体はようやく私の上から体を退けました。助かったと思うとともに、少し名残惜しい気持ちがしたのは内緒です。

 結論から言いますと、巨大なネコはどうも私の息子のようでありました。「ようであった」というのは、本人……いえ、本猫の証言しか証拠がないからでございます。しかし突然家からいなくなった息子と、家に現れたネコ、理解するのにそう時間はかかりませんでしたね。

 息子は、舌ったらずながら人間の言葉もしゃべれました。これはよかったですね。意思疎通ができるもんですから。しかし興奮するとネコのような鳴き声しか出なくなるようでした。ニャーニャーなどと可愛いものではないフシャーというような唸るような叫ぶような声。まあ元々息子が人間であった時分から、意味のある言葉を投げかけられたことはございませんで。そう苦労することはありませんでしたね。

 唯一怖かったのは爪でございます。寝てるだけなら可愛いもんですが、爪研ぎをあちこちでするもんですから。家中ズタズタになりました。でも、叱りつけるとしょんぼりと反省したような巨大なネコの姿が可愛らしくて。なんでも許せてしまえました。最初の頃はね。


 そのうち、息子は自分が巨大なネコであるという待遇に慣れてしまったようでした。胡座をかくとでもいうのでしょうか。爪研ぎを叱りつけても聞く耳を持たず、声とその鋭い爪でこちらを威嚇するようになったのでございます。元々1言うと10返してくる息子でしたからね。ミャウミャウギャーギャーと昼夜問わず鳴き叫ぶ息子の声に、町中あちこちから苦情が集まってきました。そりゃそうでしょう。野良ネコ1匹の声でもうるさいのに、こんなでかいネコの声などうるさくて仕方ない。

 そうです。最初は可愛らしいと思っていたのに、いつのまにか全然可愛いと思えなくなっていたんですね。息子もあの姿に慣れてしまいましたけど、私も息子の姿を見慣れてしまったんです。

 だって、息子はもう50歳になるんです。この見た目だからギリギリ許せていましたけど、よくよく人間であった頃の姿を思い出すと、なんだか悍ましくありませんか。

 しかし今更放り出すわけにもいきません。こんな大きなネコ、トラを野に放つようなものです。世間様にご迷惑をかけるわけにもいけませんし。どうしようか、逡巡しておりました。

 すると、神様というのは見てくれているものなのですね。動物園からお声がかかりました。巨大なネコを展示したいといわれましてね。願ってもないことです。もちろん、その話に飛びつきましたよ。ええ。

 巨ネコが動物園に運ばれていく日、ネコは聞いていないとばかりに大騒ぎをいたしました。しかしそこは専門家。ネコを静かにさせるとトラックに入れて運んでいきました。

 巨大なネコはきっと、ちゃんと餌をもらえて、適切な世話を受けられることでしょう。それはきっととても良いことです。日常生活を覗き見されますが、あの子ならその待遇にもきっとなれるはずです。私たちがあの子の扱いに慣れてしまったように。

 ネコを動物園に引き渡した時に、謝礼として結構なお金をいただきました。息子が初めて家に入れたお金……ということになるのでしょうか。胸が痛まないことはないのですが、なんだかとても晴れやかな、自由な気持ちになるのです。ただたまに思い出します。あの子が赤ん坊だった時の寝顔と、ネコのやわらかな毛並みのことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ネコだったらよかったのに 東妻 蛍 @mattarization

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ