第62話「青藍」

視点:3人称

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「名前、ねえ……」


 薄青い髪の子供――魔物は皮肉気に言った。


「逆に聞くけど、ここに独りでいたボクに、そんなものがあると思う?」


「いや、思わないな」


 なんとも不穏な空気を醸す魔物に、赤髪の人物――真緋シンヒは微笑みさえ浮かべて言った。


「何しろ、名とは他者がいてこそ必要になる。だから言った。“我らと同じで名無しか”、とな」


「……あ、そっか」


 その柔らかな言葉に、青髪の子供もストンと表情をフラットにする。次いで、濃紺の瞳を瞬きながら言った。


「え。て、ことは君たちも元は名前がなかったの?」


 この問いに、真緋は明るい碧眼を細めて頷く。


「すくなくとも我はそうだ。どうだ、月白ゲッパク宵闇ショウアン?」


「ああ」「まあ、俺もそうだ」


 白と黒の2人からも順に答えが返り、特に黒髪黒目の人物――宵闇は、苦笑を浮かべて言った。

 更には、その隣の青年も言う。


「そもそも、生まれた瞬間から名をもつ存在なんていませんよ。それに、名とは単なる識別記号であって、それほど特別なモノでもないですし」


「おいおい、お前は思い切りすぎだ」


 青年――アルフレッドの言に、宵闇は口元を歪め、たしなめる。

 次いで、真緋もやんわりと言った。


「そうだぞ、アルフレッド。その名は紛れもない、二親ふたおやからの贈り物だろう。大事にすべきだ」


 これには青年も眉をひそめつつ、声音を落とす。


「……あいにく僕には、そこまでの思い入れがないんですよ」


 痛ましいことを口にしているにも関わらず、あくまで彼は淡々と言った。それへ宵闇が何事か言いかけたが、それより先に、薄青い髪の魔物が身を乗り出して言う。


「はあ?! じゃあ、ボクにくれない、その名前!」


「は?」


 思わぬ言葉に目を見開いたアルフレッドに対し、魔物は真剣な様子で続ける。


「ボク、前から欲しかったの!その “名前”ってヤツが!」


「…………」


 そう言った魔物の表情には、これまでとは打って変わり、意外なほどの切実さがあった。


 これまでのどこか上っ面な言動とは違うその真に迫った声音からは、魔物にとって“名”というのがどれだけ羨ましいモノかが伺える。


 それを感じた青年は、咄嗟に言葉を失い押し黙った。

 一方、慌てたのは宵闇だ。


「ちょおっと待て! ソレは、軽々しく他人に譲るようなモノじゃねえんだよ。欲しいなら別に考えてやるから、ちょっと待て!」


 それへ真緋がにこやかに続く。


「それは良い。何しろ、我の真緋の名も、月白の名も、この宵闇が名付けてくれたからな。お前にもきっと良い名を考えついてくれる」


「ホント!?」


「は?!」


 その言葉に、魔物は驚きと期待、そして少しの不安を湛えながら、視線を宵闇へと向けた。

 これには彼もたじろぎつつ最後の足掻きと声を上げる。


「また俺かよ! 俺はあんたらも含めて言ったんだけど!」


「お前の他に誰がいる」


「!!」


 間髪入れない月白からの指摘に、宵闇は無用に驚いた。


 ちなみに、今までの月白は片膝を抱えながらその黄色い瞳を閉じ、まるで寝ているように静かだったのだが、やはり話は聞いていたらしい。


 そんなこんな、場の視線を残らず集めた宵闇は、魔物からの無言の圧も感じつつ溜息を吐いて言った。


「……ああ、もうわかったよ! ついでに今、1個思いついた!」


「ほう、もうか。それで?」


 苦笑して促す真緋に、同じく苦笑で返しつつ宵闇は言った。


「何の捻りもないのが心苦しいが……。“青藍セイラン”っていうのはどうだ」


 その言の葉に、子供は再度濃紺の瞳を瞬いた。

 宵闇は次いで言う。


「これは、俺の国で青色を表す言葉の1つで――。そうだな、ちょうどお前の瞳の色、みたいな色なんだ」


 そう言った宵闇は、「ま、ちょっと色味違うけど」と内心で付け加える。


 正確に言えば、魔物の瞳はより鮮やかな紺色、紺青色といった感じだ。しかし、宵闇は語感を重視し「青藍」の方を選んだ。


 付け加えれば、「青藍」というその色自体は日本の江戸時代からあったが、色名が定着したのは明治時代。特に近代の文豪たちが作中で使い、広く知られるようになったと言われる。

 彼らは、紺青色より少し暗めの青藍色に“物悲しさ”を見出し、それを表現しようとしたのだ、などと言われる。

 そんな色だ。


 一方、アルフレッドとはまた別の方向で、孤独を拗らせているらしい魔物の名としてどうかと言えば……。少なくとも宵闇的には「中々絶妙なネーミングじゃないか?」と自画自賛していた。


 ついでに、“宵闇”“月白”“真緋”そして“青藍”と、ここまで色名かつ2文字で揃っているのも、彼的には満足だった。


 それでも時間をかけずに言った手前、本人が拒絶するのも覚悟しつつ、宵闇は魔物の様子を窺ったのだが……。


「セイラン。……セイランか。……ボクの瞳の色……」

 

 その魔物は、何とも判断つかない微妙な表情のまま。

 一方の真緋は、促すように問いかけた。


「良い名ではないか? どうだ、青藍」


 これに、魔物――いや、青藍は相変わらずの複雑な表情で、比較的近くにいる彼女を見上げ言った。


「…………なんか、変な感じ。名前って、ここに来るニンゲンみんなが持ってて、ボクだけ持ってないモノだったから、今まですごく欲しいと思ってたんだけど――」


 そうして言葉を切る様子には、拍子抜け、といった言葉が当てはまりそうだった。


 何しろ、青藍にとっては永年欲しかったモノだ。それがあまりにあっけなく手に入ってしまい、どう反応したらいいかわからない、といった感じだろう。


 だが、やがて実感でも湧いてきたのか、薄青い髪の子供――青藍は、その瞳でやんわりと弧を描きながら言う。


「……でも、まあ嬉しい」


 そのポツリと零れた言葉はごく小さなものだったが、間違いなく本音だろう。


 真緋はもとより、他の面々もその瞬間には目を見張り、ようやく青藍という存在の奥底が見えたような気になる。


 しかしその一瞬後、青藍はまた表面的な笑みを浮かべて殊更明るく言った。


「いいよ! じゃあ、ボクは今からセイランね。よろしく!」


 そう言いながら、ぴょん、とでも聞こえそうな動作で立ち上がり、子供はなんとも嬉しそうに駆けだしていく。


「こら! 宵闇に対して礼はどうした。仮にも名付け親だ。謝意を示せ」


「えー。わかったぁー。ショウアン、ありがとね!」


 まるで保護者のような真緋の呼びかけに、青藍から返ったのはおざなりな返答。

 既に彼我の距離も開いており、青藍はそのまま泉にザブンと足から飛び込んでいく。


「「「…………」」」


 一方の宵闇含め、他の面々は呆気にとられた様子でそれを見ていたが、その中でも1人様子の変わらない真緋が、視線を戻して言った。


「すまないな、宵闇。我が代わって謝ろう。それに、名の事も。……これはただの勘だったが、彼奴あやつには一刻も早く名をやった方がいいと思ってな」


 その申し訳なさそうな表情に、宵闇は曖昧な笑みを向けて言った。


「別に俺も気にしちゃいないさ。確かに名前がないのは不便だし。しかも、あの感じだとかなり気に入ってくれたみたいだな?」


「そのようだ」


 真緋もまた苦笑する。


「そして、アルフレッド、お前にもすまないな」


 そう言った真緋に、アルフレッドは訝し気な目を向けた。


「……それは、何に対する謝罪でしょう」


 そんな問いに、真緋は言葉を選ぶように言った。


「彼奴の、肩をもつような言動をしたことだ。……彼奴は相当、精神が不安定だ。誰かが味方をしてやらねば、と思ってな」


「ああ。……いえ、構いません」


 確かに、この場で明らかな悪者は青藍だ。にもかかわらず、真緋は何かとそちらに寄り添うような振る舞いをした。


 一方的な被害者であるアルフレッドからすれば、気分を害してしかるべきだろう。しかし、彼はそれほど気にしていなかったようだ。


 なんとも気の抜けた返事に対し、宵闇は多少身を乗り出して言う。


「やっぱりか。いや、むしろ助かったよ。俺もどう接したもんか悩んでたんだが、ディーが入ってくれたから、良い具合にバランスが取れた」


 その言葉に「そうか」と安堵の息を吐き、真緋は言った。


「彼奴は、癇癪を起せば何をしでかすかわからん危うさがある。普段は我が対応しよう。……だが、万が一の時には宵闇、お前に頼むぞ」


 後半は硬い声音で言った真緋に、宵闇もまた頷いた。


「“土”は“水”に対して有利だから、だな。わかった」



 そんな会話が交わされるなか、泉の方では一層大きな水しぶきが上がっていた。恐らくは、青藍が人型ではなく本性になったのだと思われる。


 異様な水音に場の視線がそちらへ逸れるなか、月白がふと言った。


「――それではやはり、今後ともアレを連れ歩くのか」


 真緋がこれに頷く。


「彼奴の意思は確認すべきだが、我はそうすべきだと考える。なにより、彼奴は明らかに我らの同胞、同じ存在だ。独りここへ残すのも心苦しいと我は思う。だが――」


 そう言った彼女が視線を向けたのはアルフレッド。


 ちなみにこの瞬間、彼は盛大に顔を歪め、片手で頭を抱えていた。


「ハアァ……」


 そうして響いた珍しい人物からの重い溜息に、泉の方から視線を戻し宵闇が言った。


「どうしたアル」


 その問いに数秒の間があったものの、やがて青年からは呻きのように言葉が漏れる。


「……ああいう子供は嫌いなんですよ。自分の事しか考えていない。相対してるとすごく疲れる。それが今後とも、となると」


 そう言ったアルフレッドは、本当に珍しいことに苦々しい表情を隠しもしない。そんな様子に宵闇は面白そうに、かつ気づかわし気に言った。


「ハハッ! お前がそんなこと言うの珍しいな! ……第一、子供なんてみんなあんなもんだろ。なあ、ハク」


 急に水を向けられたその月白は、顔を顰めながらも頷いた。


「アランもセリンもあれほどではない。……が、確かに似たようなものだな」


 しかし、アルフレッドは納得せずに反論する。


「ですが、文献では数百年はこの地にいた存在ですよ。なぜあんな幼いんです」


 答えたのは宵闇だ。


「…………それは恐らく、ここで独りだったからだろ」


「そうだな」


 真緋もまた頷いて言った。


「何しろ、我らにはそれぞれ出会いがあった。だが、彼奴にはそれがなかった。その違いだろう。……あとはやはり、元からの性質か」


 次いで意外なことに、月白も言った。


「…………この広い空間イリューシアの森の中、永く独りですごしたアレ――青藍があのようなのは、それほど不思議なことではないと、私も思う」


「めっずらしいな、ハクがそんなこと言うなんて」


 宵闇が目を見開きそちらを見遣れば、本人もらしくない自覚はあったのか、無表情ながら視線をそらして押し黙った。


 確かに、特定の対象以外へ全く関心を向けない月白にしては、青藍に同情するような発言は珍しい。


「そういうものですか」


 一方、アルフレッドは当然ながら個人的な忌避感が先に立つため、納得には程遠いといったところ。

 もちろん、宵闇をはじめ、他の者たちもその点にこだわるつもりは毛頭なく、特に今のアルフレッドが肉体的にも精神的にもストレスを感じているだろうことは想像に難くない。


 宵闇などは、あとで自前の毛皮を寝具として提供してやろうと既に覚悟しているくらいだった。


 しかし、そうして休養を取るためにも、イサナを待たせている森の外縁部へ早急に戻る必要がある。


 何しろ、既に夕刻に差し掛かった時間帯。

 夏であるため日は長いが、ただでさえ、魔力濃度が高く、何が起こるかわからないこのイリューシアの森で、態勢も整わないまま夜を迎えるのは悪手でしかない。


 青藍の今後の扱いよりも先に、一度そのあたりの方針を決めなければいけないのだが――。




「実は、それに関してなんですが」


 この時おもむろに、青年が言った。


「――僕たちもあいつ同様、この森から出られないかもしれません」






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