第39話「グスターヴ・ガレアス」


――その頃、王都にて。


 三重の城壁を備えるオルシニアの王城――その武骨で頑健な城の護りを、更に固めるかのように、その足元には複数の宮がある。


 いずれも王族の個人的な住居や離宮として使用されており、それぞれに個別の名が付けられていた。


 その1つ――バリオット宮高貴なる宮と名付けられた一際豪奢な宮の一室において。


 高圧的な印象を受ける男が窓際に立ち、背後に控えたもう一方――従者然とした者へと問いかけていた。


「リアム、はどうしている」


「は」


 その従者は、至って無機質に返答する。


も当初は取り乱しておりましたが、徐々に落ち着いてきております。

 ……未だに言葉の一部が不明ですが、おおむね問題なく過ごせているようです」


「ふむ。……くれぐれも損なうことの無いように、な」


「は」


 窓際の男は、話題の人物――“例の者”をまるで口では気遣う素振りだった。


――が、その声音には不自然なほど熱が無い。


「また“不明な言葉”は可能な限り記録しろ」


「は」


 応える従者の態度もまた、冷淡としていた。


 次いで、男は幾分声を低めて問いかける。


「……ところで――暗示の方はどうだ」


「――難しいようでございます」


 従者は、忸怩たる想いを現わすように頭を下げた。


「やはり、か。あれだけの魔力量であれば無理もない」


 溜息と共に吐かれる主人の言葉に、しかし、従者は付け加える。


「ただ、精神の方はあの年にしては幼い様子。情報を制限し、こちらに依存させることは容易いかと」


「……そうか。ならばひとまずそれでよい。――が、は今後とも試せ」


「は。承知いたしております」


――静かな室内に響く会話はどこまでも不穏なものだった。






 窓際に立つ男は、実用的に鍛え上げられた立派な体躯の偉丈夫だった。年の頃は三十路間近といったところ。

 華美な衣服でその身体を飾り立て、堂々たる態度でその空間を支配している。


 また、金茶の髪は後ろに流され、その傲慢な顔立ちを際立たせる。瞳の色は嵐の海のような青灰だ。


「それにしても、神々は俺に味方しているようだな」


 会話の切れ目でおもむろに、男は振り返って言った。


「そうだとは思わないか?リアム」


 同意しか認めない、といった調子の主人に対し、怜悧な顔立ちの従者は慎重に言葉を選んで返答する。


「……シルバーニ卿の件でございましょうか」


「――そう、あの忌々しいだ」


 その言葉に、男は声音も表情もガラリと変え、嫌悪感を滲ませる。


「小生意気なルドヴィグが何かと頼みの綱にしていたが、此度の任務はさしものあのにとっても困難であろう」


 そう言いながら、男は窓の外――はるか南方を見晴るかす。


 そこから見えるのは、眼下に拡がった王都の街並みと3枚の城壁、そして、その先に小さく白く伸びるカルニスへの街道だけだ。


 しかし、更にその先では――。




「――何しろ、今回は“神”が相手だからな」




 南方で起こっているという異変に思いを馳せ、男は口端を上げて笑む。


「あの亜人、バスディオの怒りに焼かれてしまえばそれで良し。あるいは、逃げ帰ってくるなら処断すれば良し。――それでようやく、栄えあるオルシニアのを濯げるというもの」


 そう言いながら男は片腕を持ち上げ――力強く振り払う。


「そして、あの亜人さえ除ければ、ルドヴィグの排除も可能だ」


 心底、愉快だと言わんばかりに男は笑みを深めた。


「更には、このような絶好の機に、俺は神から“切り札”を賜った……。アレを十全に活かせれば、この国の道を正すこともようやく叶う」


 その声音には、自らが“選ばれた存在”であると、信じて疑わない響きがあった。


 そんな、ある種自己陶酔しているかのような主人へ、従者が静かに問いかける。


「――やはり、お考えは変わりありませんか」


「あ?」


 淡々としたその従者の問いに、男が返したのは剣呑な一言。


「――リアム、お前が冗談など似合わん。なんだ、怖気づいてでもいるのか」


「…………ご慧眼おそれいります」


 多少長い沈黙の末、主人とそう年の変わらないであろう従者――リアムは、をその奥底に封じながら頭を下げた。


「ふん。この機になぜ、そして何を思い直さねばならん。――王位を担うに相応しいは俺だ」


 そうした従者の様子には一切目を向けず、男は傲岸不遜に言い放つ。


「伯爵家如きが産んだアルバートよりも、公爵家の腹より出た俺の方が、はるかに神聖なるオルシニアの玉座へ座るに相応しい。何より自明なことだ」


「……」


「その証拠に、アルバートには満足に健やかな身体が与えられず、魔力も俺に敵うべくもない。それに引き換え、俺はどうだ?」


 その精悍な顔立ちの中に漲る自信を滲ませ、男は言う。


「これ以上ない血筋、潤沢な魔力。まさに神々に選ばれているのがこの俺だ。そうだろう?」


「――はい。グスターヴ殿下」


 もはや従者の声音は再び無機質なモノに戻り、主人の言を忠実に肯定するだけの存在になる。


「で、あれば余計な国の憂いは排除しておくに越したことはない。――お前も心しておけ」


「はい。出過ぎたことを申しました」


「わかればよい。下がれ」


「は」


 そうして部屋から従者が退出し、室内には男――オルシニア王国第2王子、グスターヴのみが残される。













 夏だというのに寒々とした1人きりの室内で、男は眼下の街並みを見下ろして言った。


「――俺以外に、コレを護れる者はいない」


 



 その声には意外なことに、先とは打って変わって悲壮な響きさえあった。

 だが、当然のごとく――。


 それを聞いたモノは、その場に誰1人としていない。






――これ以上なく飾り立てられた豪奢なその部屋の中で、グスターヴのみが、果てしなく独りだった。






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「リアムさん、あの……!」


 一方、グスターヴの御前から退出してきた従者――リアムを、とある廊下の一角で今か今かと待ち構えていた者がいた。


 「部屋から出すな」と指示したはずだが……。そんなことを想いつつ、溜息を堪え立ち止まったリアムは、駆け寄ってくる人物をその怜悧な表情で見下ろす。


「――なんでございましょう」


 その人物の体躯は小柄だ。何しろ若い女性――少女といっていいだろう。


 しかし、本人の言を信じれば、この国でいう成人の歳16歳前後は超えている。にも拘わらず、言動が稚拙で礼儀を全く弁えていないのが、見る者の眼には異様に映った。


 何しろ、オルシニア王国第2王子の乳兄弟であり、彼の右腕と評されるリアム・ライブルクをこのような場所で不躾に呼び止めるくらいだ。


 しかも、まるでリアムが自分よりも同格以下のような接し方。


 だが実際、元居たところではかなりの高位にいたのだろう、と彼は想像していた。


 何しろ、焦茶色の髪に黒い瞳、少し黄みのかった肌はこの国ではまず見ないが、その手入れは行き届いており、若い年齢を考慮してもその艶々とした輝きは、食うに困らぬ以上の豊かな環境にいた証明だ。


 また、今は貴族の子女向けの衣服を纏ってはいるが、彼らが遭遇した当時に少女が着ていたのは、この国の縫製技術が未だ到達しえない緻密さで縫われた見慣れないという衣服。


 これだけでも、少女がただの不躾な子供でないことは明白だ。


 それを周囲も勘案してしまうのだろう、少女の後ろには世話係として侍女が3人ついていたが、みな真っ青な顔色で付き従っていた。


 少女の再三の「お願い」に、苦肉の策で「リアム様が頷けばあるいは」とでも答えるしかなくなったのだと思われる。強硬な手段も取れず、命令を遂行できなかった恐怖で、背後の3人はリアムの視線にびくつくしかない。


 そんな周囲の空気に気づいているのかいないのか。少女は目の前の男に向けて、目一杯の勇気を振り絞ったかのように訴えた。


「……あの、私、外に出たいんです。ダメでしょうか……。少しだけでいいんです!」


 その言葉に、リアムは努めて淡々と返す。


「貴女の身の安全のために申し上げております。どうか、与えられた部屋にてお過ごしください」


「…………」


 少女は唇を真一文字に結びながら、リアムを数秒見上げて押し黙る。

 だが、いくら待とうともリアム側に変化が無いと知るや、少女は俯いた。


「わかり、ました」


 彼女はそのままクルリと彼に背を向け、何の断りもなく自室のある方向へと駆け去っていく。


 そんな姿を無言で見送りつつ、リアムは侍女らへと視線をやった。


「「「――申し訳ございません」」」


 見事に揃った謝罪の言葉。

 男も多少の同情で言ってやる。


「今回は見逃します」


 そんなリアムの許しに彼女らはホッと息を吐く。

 だが、2度目がないのは明白だ。


 素早く頭を下げた侍女らは、少女を追って駆け去っていく。




 その様子に、リアムは数舜思案する素振りを見せた。


「……大事にならぬ前に、誰ぞ宛がうべき、か」


 そう独り言ちながら、リアムは静かに立ち去った。







第39話「グスターヴ・ガレアス」

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