第2話 本熱

 今から、うちに来る?


 うそでしょ。


 いやいや、ちょっと待ってよ。そりゃ、いつかはうちに来てもいいけど。今じゃないでしょ。タイミングの問題よ、タイミング。


 あ!


 もしかして、これをチャンスとばかりに……。


 いやいや、違うな。そんなタイプじゃないし。なんていうか、目つきは自然と胸元に下がってイヤらしいけど、真面目な感じだし……。


 って、そんなこと考えてる暇はない。

 メイクもしてないし、髪だってべたべた。やばい。そうだ、今出来ることは――



『私がOKって言うまで、そこから一歩でも動いたら殺すから!』



 これでよし。

 棚森たなもりくんはきっと金縛りにあっているはず。

 いつの間にやら、さっきまでの身体のだるさは消えて、さっと布団から起き上がる。いや、実際のところ熱は絶賛上昇中かもしれない。でも、そんな熱なんて気にする余裕もない。つまり、風邪なんて引いてる場合じゃない。


 パジャマをさっと、下着もするっと脱いで、急いでシャワーを浴びる。ジャーと熱いお湯に頭がのぼせそうになり、心なしかくらくらする。いやいや、心なしでもなんでもなく事実、頭が痛い。ゆっくり髪なんて洗ってる時間もないし。ああ、こんなことならリンスインシャンプー買っとけばよかった。がしがしと乱暴に髪を洗って、適当に汗を流す。ドライヤーで髪を乾かしていると、不思議と気分もよくなった。なんだかんだで、さっぱりしたし怪我の功名かも。


 でも、ずいぶん突っ走るな。

 意外な発見? 

 そうでもないか。


 初めて会った時なんて、恥ずかしがって目も合わせないぐらいだったのに。

 三つ年下の棚森くんとは私が働いているスーパーで出会った。大学三年の彼がバイトとして、私が取り仕切っている加食部門に配属されたのが切っ掛けだ。初めは頼りなかったけど、誠実に仕事に取り組む姿勢や、こちらに向けられた好意に、いつしかこころが揺れ動いてしまった。



――俺もあなたとエンドで熱くなりたいんです。



 だって。

 私が作るお店の売り出しコーナー、通称エンドの大量陳列や、売り場を彩る造形物の迫力に圧倒されたんだって。私と一緒に一つのことに取り組みたい、か。まあ、当然よね。実際、私の陳列技術は凄いし。感動すら与えてしまうわけよ。

 でも、まさか彼とこうして……。


『まだですか?』


 催促するような返信がきた。ごめんごめん、季節は十二月だし、いつまでも待たせたらそっちが風邪引いちゃうよね。マスクで隠すからメイクは眉毛だけでいいか。


『OK』


 私の返信からきっちり5分後、ピンポーンとオートロックが鳴らされた。なるほど、ダッシュで来たわけね。有言実行って嫌いじゃないわよ。


 外の様子は視えなくても、彼が近づいてくるのがわかる。一歩、また一歩。かつかつと階段を上がって、二階にある我が家にやってくる。


 なんだかどきどきしてきた。適当に部屋片づけたけど……。

 まあ、勝手に部屋を物色したらビンタすればいいか。


 鈍器もあるし(観葉植物の植木鉢)。


 うわ~、ついにうちに来るのね。どうなってんのよ、今の私の顔。



 と――

 思ったら。



「はい、これ。それじゃ俺は帰りますんで」



「え?」


 玄関を開けるなり、そんな一言。スーパーで購入したりんごやスポーツ飲料、ゼリーなどが入ったレジ袋を突き出されて、


「早く元気になってくださいね」



 なにそれ。



「いや、ちょっと、もう帰るの?」

「い、いや、だってセイルさん、風邪引いてるんですよね。流石に俺なんかが上がったら迷惑ですし」

「いやいや、ここまで来といて荷物だけ渡して帰るって、カッコつけすぎでしょ。お茶ぐらい飲めばいいじゃない」

「ま、まあ、そうなんですが……。単純に会いたかったのもありますし、それに……」


「それに?」じーっと見つめた。



「お、俺は、セイルさんが元気な状態で家デートしたいんで!」



 この告白に、一瞬目が点になる。だけど、すぐになんとなく察した。


 ふーん、なるほどね。


「な、なんでニヤニヤしてるんですか?」

「いいじゃない、別に」

 どうやら、にやけが隠せなかったみたいだ。

「じゃあ、ありがたく差し入れを頂こうかな」


 突き出されたレジ袋を手渡されて、手と手が触れ合うとそのままぎゅっと手を握られた。うっと突然の攻撃にたじろいでしまう。



 その温もりが、ゆっくり胸まで伝播して。



「ほら、やっぱり熱高いですよ。今日はいきなりすみませんでした。寝て元気になってくださいね」

「そ、そうね」

「あと、俺にも教えてくださいよ。心配したじゃないですか」

「わ、わかった」

「じゃあ、帰ります」

「じゃ、じゃあね」

 ばたんとそのまま扉は閉められ、ひとりその場で立ち尽くす。



 本当に、帰っちゃった。


 うそでしょ。


 なにそのピュアな攻撃。


 手を握られただけなのに。


 相変わらず下手だよね。


 急いでシャワーなんか浴びちゃって。


 困っちゃったな。


 家デートだって。


 まあ、そうだよね。


 家デートしたいよね。


 そうしたら、


 手だけじゃなくて、


 そんなんじゃおさまらない。


 その手はどこまでも伸びて、


 いろんなとこに触れて。


 もう、


 きっと、


 近いうちに……。


 いやいや、


 風邪引いて、何妄想してんのよ。


 明日、よっちんに会いにいこう。


 今度は私が聞いてもらおうかな。


 明日には熱は下がってると思うし。


 それに、


 この熱はちょっと違うよね。


 さっき感じた、こころの空洞。


 その、本当の意味がわかった。



 了


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