第一章 その4 野山乃花 『ノヤマノハナの本音』

四月。


三年生の先輩達が去った寂寥感せきりょうかんを引きずりながら。

野山乃花は三年生になり、カーリング部は新入部員を加え、装いも新たにスタートしていた。


なんと言っても今年は高校生活最後の年。

主な大会としてはジュニアクラスの大会。

これが十月から県大会が始まり、十一月には上旬に関東中部エリアトライアル、下旬には日本選手権と続いていく。

もちろん勝てば、の話したが。

そして高校生対象の大会として十二月に関東エリアトライアル、一月には日本選手権。

高校生対象となると参加チームが少ない為、県大会がないのが実情。

関東中部エリアトライアルと言ってもほとんどが軽井沢町や御代田町、また山梨のチームなのだが。

カーリングのシーズンインは八月。

そこから冬にかけてハイシーズンとなる為、三年生も希望すれば年明けまで続ける事も可能だ。

受験勉強との兼ね合いもあるのだが。

そんな諸々の計画を立てていた矢先だった。

突然浅間風 露あさま ふうろ一里 静ひとり しずかに呼び出されたのは。


「ボク…ぼく達ね…部活辞めようと思うんだ」

浅間風露あさま ふうろが言い難そうに打ち明ける。

隣では一里 静ひとり しずかが普段の百倍大人しくして神妙な面持ちで座っている。


私達は高校三年生受験生だ。

他の部活はせいぜい夏前まで。

春の大会が終わればそれまで。

余程その部活を続ける事で受験に有利になる部活…ウチの高校で言えばアイスホッケー部ホッケー部でなければ二年生の終わりや三年生の春先で辞める人間もだ。

カーリングを続けて受験に有利になるか?


答えは否、だ。

それに受験生で年明けまで部活を続けるなど受験生の保護者が普通ふつーは許さない。


「ごめんね、ハナちゃん。すみれ先輩が抜けた後なのに」

私達のWildFlowersは昨年の秋で叡山 菫えいざん すみれ先輩が抜け、三人でやってきた。

そして残りの二人。

風露も、静も抜けてしまった。

そして二人はカーリングホールから去っていく。

私は、また孤独一人になってしまったな。

どこまでも青い空を窓越しに見上げて、私はそっとため息をつく。

あ、マズイ。

泣きそうだ。


「野山先輩」

ゆっくりとした口調で呼ばれた。

今のひび割れた私の心に染み渡る優しい、心地よい声。

私の弟子、森島わへいがホールに入ってくる。


…しまった。

ため息ついたの見られたかな。

わへいは何も言わずその優しい顔を少し傾けて、私の表情をほんの一瞬確認し…すぐ視線を反らした。

私に表情を立て直す時間を与えてくれたのだ。

お前は気が利きすぎるよ。

私はキャスケットを被り直す。

その間に表情をリセット。

「早いな」

「早くアイスに乗りたくて」

この会話の裏で『今のナシな。見なかった事にしてくれ』『分かってますよ』

そんな暗黙のやり取りが行われる。


森島わへいは少し垂れた目が特徴的なヤツ。

一見すると優しそうだが、親しくなってみるとこれがまァ、人を駄目にするクッションやの半分くらい優しい。

それ以上優しくすると本当に人を駄目にするぞ。

気を付けるように。


やはり私の馴染みのリューリを地獄のような関係から救い出してくれた。

私はわへいコイツに感謝してるんだ。

照れくさいから言わないけどな。

リューリと付き合ってなかったら私のにしても良いくらいには気に入っている。

普段おとなしい癖に時に情熱的に突っ走ってぶつかって傷付いて。

そんな姿も意地らしく、可愛く見えてしまうんだな、これが。

これも照れくさいから言わないけどな。

いつかは腐海暗黒面に堕ちるのが弟子の宿命というやつだろう。

堕ちたら機械化して徹底的に…いや、これは師匠の役目じゃなくて皇帝の役目だな。

「誰が暗黒面に墜ちる弟子ですか」

おっと声に出ていたか。

わへいが呆れたように…実際呆れているだろうだろーが…こちらを見ている。

「そんな虫を見るような目で見るんじゃないよ」

私は眼鏡を遮光モードに切り替えて表情を隠す。

「いつもどうやってるんですか?」

「企業秘密だと言っただろう?お前も眼鏡にしたら教えてやらんでもない。代償として人としてを失うが」

「得る物の小ささに比べて失う代償の大きさよ」

お前おま、最近歯に絹を着せなくなったな。リア充か、リア充だからか?」

「爆ぜませんよ」

「いや、爆ぜろ。弟子の不始末は師匠の不始末。今この場で私と共に爆ぜい。この、バカ弟子がぁ」

後ろから羽交い締めにしてやる。

「…何してるんです?」

「自爆と言えば後ろからの羽交い締めと相場は決まっておろう」

「自爆は絶対に成功しないのが少年マンガのセオリーですが」

「ならば私が最初の成功例になってやる。天サン、さよなら」

「先輩、小さいですもんね…」

「うるさいわー。お前の背中に当たる豊満なバストが目に入らんか」

「目に入りませんしそもそも当たってるの胸骨です」

「誰が洗濯板かー」

「僕、洗濯板見たことありません」

「私もないわー」


そんな風に私達はじゃれあって(?)またわへいの背中に抱きつく。

後ろからわへいの胸に手を回す。

一年で随分とイイ身体つきになったな。

リューリのヤツは自由にコイツの身体触れるんだよな。

…チクリ。


元々腰を悪くしていたわへいだが、フィジカル面でのトレーニングも頑張っている。

その甲斐あってか、最近では腰の調子も良いようだ。

だから。

だから、きっとリューリと、その、色んなコトしてるだろう。

リューリは週末毎わへいの家に泊まっているようだし。


…チクリ。

考える度に私は小さな胸の奥に劣情と言う名の針で刺した痛みを感じて指に力を込める。


…力を込めるとバレる。

…でも、キツく。


…絶対にコッチ見るなよ。

…私だけを見てみろよ。


…ほんの一、二秒でいい。

…ずっとこうしていたい。


…背中で充分。

…ホントは正面から抱きつきたい。


…ありがとな、わへい。

…好……だぞ、わへい。


…リューリと仲良くな。

…たまには私も見ろよ。


「…先輩」

「…」

「…野山先輩」

「聞こえているよ」

「僕の」

「ん?」

「僕の背中、レンタル料安いですよ」

「うむ」

「だからいつでも貸せます。この役は黒崎に譲った方が良いですかね?」

そうやって冗談で切り抜けるつもりだな。

「それとも、胸を貸しましょうか?」

「生意気だぞ。師匠に向かって」

「すみません。生意気でした。…僕達がこうしていても。皆は気にしませんね」

「日常茶飯事だからな」

「でも、一人、物凄い気にするがいるんですね」

「まぁ、いるわな」

「そろそろヤバいです」

「近付いているか?」

「凄い冷気がすぐそこに」

その冷気の本体が、カーリング場に姿を現す。


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