第96話 蘇る命



「遅れてすまない。彼らをここに連れてくるには、こちらにも時間が必要だった」


 振り返ると、そこには申し訳なさそうな顔をしたラケルが立っていた。

 同情か、それとも哀れみなのか。


 愛する人も守れず、自分も死のうと考えていた男だ。

 哀れじゃないはずがない、一周回って同情ものだよ。



「………」


「まさか、このような事態になるとは、想定していなかった。勇者はこの娘を大切にしていたはずだというのに、何故このように―――」


「……大体の予想はできている。後ろで倒れているゴエディアを、庇おうとしたのだろう」



 防御力の高いゴエディアの装甲のような皮膚に傷をつけられる奴といったら、この場にいるオレンべリアかラインハルぐらいだろう。



「エリーシャは、みずから刺されにいくような馬鹿ではない。しかし、脇腹に負った傷ではまともに動くことが出来なかった。オレンべリアとラインハルに圧倒され、トドメを刺されそうになったゴエディアの前に出た。そうして、ラインハルの聖剣に貫かれてしまった………」



 それが正解なのかは定かではない。

 だけどゴエディアを恨んだりはしない、彼も必死に戦ってくれた。

 あんなボロボロになるまで俺の言ったことを守ろうとした。


 悪いのは全部、俺だ。

 考えてみれば人族の軍勢を相手に、この人数は無謀過ぎたのだ。


 いっそのこと妖精王国を捨てて、また別の方法を考えていればエリーシャが死ぬことなんてなかったのかもしれない。


 しかし、そんなことを言ったらエリーシャに怒られていたかもしれない。

 餅のように膨らませた頬で、怒鳴りつけてくるのだ。


 それでも良い。

 誰が犠牲になろうと、俺が犠牲になろうと、彼女さえ生きてくれれば、それでいいのだ。



「万能薬は死んだ者を生き返らせることはできない。もう彼女を生き返らせる手段は………」



 その先は言いたくなかった。

 現実を目の当たりにしたのに、それをまだ受け入れることのできない自分がいる。

 何か、奇跡に縋るように、惨めに祈ったままの自分が。






 ―――――






 日が、昇ってきた。

 数時間も続いた、人と妖精の戦い。

 夜に照らされた世界での激闘。


 通常では有り得ない大きさの魔力障壁で王国を囲んだ妖精王は、魔力の過剰消費で一時的な昏睡。


 オルクス率いる兵士たちと元英傑の騎士団の団員の増援により被害は小規模に抑えられた。


 猛攻撃を受けた大司祭オレンベリアは負傷し、傲慢の魔術師ロベリアからの大打撃によって戦うことのできなくなった勇者ラインハルとともに撤退をした。


 そして戦場にいたスナッチャーは増援のクラウディア達によって全滅。


 敵は、もう居ない。

 一万六千人という戦力で攻めてきた人族の軍勢に勝ったのだ。




 精霊樹に避難していた国民らは、その報告を受けると、全員が羽を広げた。

 それは真実を知ったからこその償い。

 何百年も貫いた固定観念がたどり着いてしまった最悪を覆すため、蒼天の空へと妖精たちは舞うのだった。






 ―――――






 戦いには勝利した。

 しかし、その代償はあまりにも、大きかった。

 かつての仲間だったエリーシャの死に、ジークとジェイクは戸惑い、クラウディアは泣き崩れた。


 別れとは、いつだって突然だ。

 ここが幻想ではなく存在している世界なら尚更、覆しようのない事実だ。


 虚ろな目で、空を見上げる。

 誰かが死のうと、時計が時を刻むのを止めたりはしない。

 ただ、進み続けるだけだ。



「……?」



 空に浮かぶ、一点の何かを目視する。

 それはまた一点、十点、百点………それ以上か、数を増やしていっている。


 その存在を外部から勘付かれないよう極力閉じるようにしていた羽を広げ、空を飛んでいたのだ。

 人の姿をした、数千もの何かが。



「あれは………」



 誰かが剣を落としながらつぶやいた。

 振り返ると、目を大きく見開いたオルクスがいた。

 あれを知っているのか。



「――――架け橋」



 架け橋。

 聞いたことのある言葉だ。

 百を超える数の妖精が空を飛び、羽から妖精粉を地上へと降らす。

 それは――――



 あまりにも美しく、幻想的な光景だった。

 膨大な生命のエネルギーを秘めた一粒一粒の粉が、太陽の反射で金色に輝き、雨のように地上へと降り注いでいたのだ。

 破壊された木々の再生、渇いた荒野に緑が芽吹き、そこにいた者たちの傷を治していた。



「――――」



 その光景を目の当たりにしたオルクスは寂しげな表情を浮かべた。


 この奇跡を目にしたのは何年ぶりだろうか。

 もう何百もの年月が過ぎたというのに、それはまるで、つい最近の出来事のようにオルクスの胸の奥に刻まれていた。



「………モルガ………すまない」



 ――――だいじょうぶだよ、おとうさん。



「!?」



 ――――モルガはつよいから、げんきにやってるよ。



 もう、二度と聞くことの出来ない愛娘の声が、オルクスの耳元で囁かれた。

 久方ぶりの死闘による疲れで、幻聴を聞いているのだろうか。


 有り得ない、と前までの自分は、この奇跡を否定していただろう。

 しかし、誰もが並べるような理屈だけが通るような世界ならば『奇跡』などという言葉は初めから生まれていない。


 だから。



「ありがとうモルガ――――愛している」



 彼女の最期に立ち会うことも、告げることの出来なかった言葉。

 父親としての情けなさ、守れなかったことへの後悔、言いたいことがあまりにも多かったが、なによりも彼女が自分の娘として生まれたことを感謝したかった。



 ――――わたしも、おとうさんがだいすきっ………!




 慈愛に満ちた声が、穏やかに吹く風に溶け込むようにして、消えた。










「………やっと………きてくれたんだね」



 腕の中から、掠れるような声が聞こえた。

 優しく、頬を撫でられた。


 熱を失ったはずの、華奢な手で。

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