第76話 懐かしい背中



 妖精王国中央区画。

 アブニール図書館にて。


 世界のありとあらゆる物語、図鑑、歴史を複製した数万冊の本が保管されているこの図書館の館長マナは、外で起きた爆発など気にも留めないほど熱心にある文献を読んでいた。


『奇人ラーフの冒険記』

 数百年前に存在した人物を記録した本である。


 彼女は何かをブツブツと呟きながら読んでいたが、誰かの手によって騒々しく開けられた扉の音によって集中力を途切れさせてしまう。


「館長! 外部からの魔術攻撃を受けたというのに、どうして呑気に読み続けているんですか!?」


「フェイ。読書中に邪魔をしないでって、何度も言ったでしょ。 それに、一体どこの誰なのよ攻撃したのは」


「そ、それはまだ不明でして……!」


「ふぅん、なら問題じゃない。まだ、なら」


 ペラっと次のページをめくる。


「いえいえいえっ! 問題しかありませんって! 外部からの攻撃はアレン様が妖精王として即位なさってから初めての出来事なんです! 前代未聞ですよ!」

「はいはい、そこまで言うのなら、分かったわよ」


 不機嫌そうに本を閉じ、彼女は椅子から立ち上がった。

 深刻な状態だというのに緊張感がまるでない。

 秘書のフェイにとっては見慣れた光景なので、いちいち指摘をしたりはしなかった。



「衛兵のリーダー。ケイネスさんはどうしたのよ?」


「現在、偵察のために森へと」


「ふーん。五百年も暇だったのに、真面目ね」


「だからこそですっ!」


 避難のため、図書館を戸締りしながら二人は恐る恐る建物を出た。

 北の森から煙が立ちこんでいる、それもかなり広い範囲でだ。


 それから数十秒後。

 森の奥から、数えきれないほどの閃光が町へと降り注いでくるのだった。

 その一部がすぐ鼻の先に建つ家に直撃してしまう。

 瓦礫が勢いよく飛んできたところを二人は寸のところで避けた。


「光属性魔術【閃雨ライト・レイン】ね。あれが使えるのは精霊教団だけのはず……」


「館長! 考えるのは後ですっ!」


 そう叫びながら、フェイは彼女の手を引くのだった。


「死なない体だからって、痛いのは嫌ですからっ!」





 ――――




 妖精王国への、前兆のない攻撃が開始されてから三十分後。

 避難所である『精霊樹』は、すでに妖精の国民たちで溢れかえっていた。


 人魔大陸での大戦が終結してから数百年。

 存続するかと思われた平和が、突如と謎の勢力によって脅かされるのだった。


 千を超える妖精王国の騎士に敵の正体が分かるまでは防衛に徹するよう、妖精王アレンは命令を下した。


「偵察隊が戻ってきたら報告して、すぐに魔力障壁を展開するから」


「はっ!」


「オルクスの隊は国民の避難を手伝って。他に手の空いている兵士は侵入されないよう北の森を警戒しておいてくれ」


 外部からの攻撃を受けるのは、アレンが妖精王になって初めての事態だ。


 敵陣が何処からやってきたのか、その数は一体どれぐらいなのか、何もかもが不明なままでは本格的に動くことができない。

 そのためには時間が必要だ。


 玉座から立ち上がり、両腕を広げながらアレンは王国全体を覆うほどの魔力障壁を展開させるための準備に入った。





 ――――





「うわぁあああ!!」


 図書館の館長とフェイの目の前で、衛兵の胴体が真っ二つになった。

 大量の血を撒き散らしながら落ちた上半身は、そのままピクリとも動かなくなってしまう。


 羽の効果を受けずに、死んだ。

 妖精なのに死んだのだ。


「館長……あれって、もしかして……?」


「間違いないわ……スナッチャーよ」


 妖精の天敵である生物兵器スナッチャーが街中で逃げ惑う民間人、戦う兵士たちを食い散らかしていた。


 フェイは涙目になりながら目の前の悲惨な光景を呆然と眺めている館長の手を引くのだった。


「早く精霊樹の方へと逃げましょっ! あそこなら安全なはずです!」


「……どうでしょうね。あんなのが解き放たれたら、安全な場所なんて何処にもないと思うけど」


「うわぁぁん! 現実を突きつけないでくださいよぉぉおお! せっかく五百年前の人魔大戦から生き抜いてきたのに、ここで死にたくないよおおっ!」


「もう充分、生きてきたじゃない」


「まだまだ長生きしたいですよっ……あたっ!」


 フェイが小石に躓いた。

 手を引かれていた館長もその場に倒れてしまう。


「いてて……申し訳ございません、館長ぉ」


「……」


 館長は返事をしなかった。

 怒っているからではなく、すぐ前方でこちらを見下ろしているスナッチャーと目が合ってしまったからだ。


 奴等には目はないが、フェイ達の居場所を察知しているのは確かだった。


「う、うそぉっ、そんなぁ……!」


「フェイ、ゆっくりと立ち上がって後退りしなさい。できるだけ刺激しないように」


「ふ、ふぁい……」


 死ぬかもしれない事態に、フェイはよろけながら立ち上がり館長の言うとおりに後退りした。

 するとスナッチャーも、ゆっくりと近づいてきた。


「ここは私が囮になるわ。精霊樹の方へ走りなさい。決して振り返っちゃだめよ」


「で、でも」


「いいから、早く行きなさい」


 涙を拭いながらフェイは頷き、その場から逃げるのだった。

 残された館長はスナッチャーから目を離さずに、自分の方へと着実に引き寄せていた。


「ふふ、だめね。格好つけたのは良いけど、やっぱり怖いわ……」


 スナッチャーからは自力では逃げられない。

 研究資料を何度も読み漁った館長は、それを知っていた。

 だけど、片方を逃がすには他に手段はなかった。


 後ろへと一歩、踏み込んだその時。

 大きく口を開いたスナッチャーが飛び付きてきた。


「―――っ!」



 だが、喰らわれることはなかった。

 恐る恐る、瞼を開けた館長の視線の先には、銀髪の男が背中を向けて立っていた。


 どこか懐かしい背中に、館長は微かに瞳を潤わせるのだった。


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