コンと鳴いてヒラリと舞って斬!!
殺せ。
「先輩! ダメです何やってんですかぁ!!」
殺せ。
殺。
殺殺殺。
どこか遠くに、矢杉さんの悲鳴が聞こえる。
それをかき消すように、私の頭に、胸に、腹に、手に、足に、指に、舌に、目に、その言葉が響き渡っていく。
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺。
「ぎゃああああああああ!!!」
その衝動に、一瞬たりとも抵抗できなかった。
私は赤くて黒くて禍々しい殺意に全身を支配され、妖刀に振り回された。
「お嬢!」
場吉氏が矢杉さんを庇って立つ。その右手に瘴気が固まっていく。
私の体が勝手に動き、右手で刀を振り下ろす。
それをいなして躱した場吉氏が、握った拳で私の鳩尾を衝いた。
瘴気が迸り、私の体が吹き飛ばされる。狭い部屋でそんなことをしたものだから、私の背中が窓ガラスを破り、ベランダへ飛び出した。
「先輩!」
「お嬢、ダメだぁ!」
そう。
ダメだ。
いくら刀が私の体を乗っ取ったって、こんなインドアオタクの体じゃ場吉氏には敵わない。
妖刀『伏字』。
それが最強であるのは、刀の力によってでも、妖気の力によってでもない。
がっしりと。
私の体を受け止める、ボロボロの手。
その掌に感情線が見当たらないなんて噂も流れたけど、それが真実であったことを私は知っている。
その掌は、甲殻のように固いタコと、無数の傷痕によって、手相など残っていないのだから。
いつの間にベランダにいたのかは分からない。けど、いつだってこの人は、最高のタイミングで現れるのだ。
私の体から瘴気が抜けていった。
いや、吸い取られていった。
赤く染まっていた視界が晴れる。
私を背後から抱きしめ、私の掌ごと妖刀を握る男。
「ジンさん……。ナイスです」
妖刀が、還った。
そして――。
「『白帝・
づ。づ。づ。づ。づ。
いよいよ、限界だった。
木造建築を伝統とする日本家屋における最大にして最小にして最悪の害虫。
正視に耐えない程のシロアリの大軍によって柱を削り取られた家屋が、倒壊を始めた。
私は瘴気を身に纏ったジンさんによって小脇に抱えられ、二階のベランダから飛び降りた。
ぐええ。腹が。腹が圧迫される……!
その敷地の四隅にはオレンジ色の篝火が燃え盛り、外界から隔絶された空間を形成していた。
「三条!」
「三条さん!」
揃って両手を掲げてそれぞれの術を行使していた吉根先輩と紫村くんが、地べたに降ろされ、へたり込んだ私に駆け寄った。
「ぁ……っかれさぁれす(お疲れ様です)……」
「なんて?」
喉がガラッガラだ。あんなにシャウトすることないもの、普段。水飲みたい、水。
「大丈夫、三条さん?」
しゃがみこんで肩に手を当ててくれる紫村くんが、俯いた私の顔を覗き込んでくる。普段は眩しくて直視できないその顔が、今はただ目に優しかった。
「ぁ、あぃがと――」
「俺たちの情報、漏らしたりしてない?」
「ぇ」
「三条。なんか変な取引とかしてねえだろうな」
「ちょ」
「アカリくん。罠とか仕掛けられてるかもしれない。調べた方がいいんじゃない?」
「そうだな。おい三条。ちょっと立て」
「ぶっとばすぞ」
ねえ!
酷くない!?
それ、助けにきた女の子に最初に言うことじゃなくない!?
せめて私に分からないように疑ってくれない!?
とん。と、私の頭がジンさんの指で叩かれた。
はて、とジンさんを見上げてみれば、人差し指を私に向けてピコピコと動かし、それきり顔を背けてしまった。
「ほら。『後で精密検査させるから取りあえず逃げないように見張っとけ』ってさ」
「違うだろ。『どうせこの根暗腐女子に大層なことなんてできないんだから放っておけ』じゃねえか?」
「違いますぅ~!『こんなに健気でか弱い女子相手に優しくすることもできねえのかカップリングするぞコラ』って言ったんですぅ~!」
ごしゃ。
私たちがアホなやり取りをしているうちに、とうとう屋根が崩れ落ちた。
砂埃が立ち上り、狐火を翳らせていく。
そして――。
「うえ~ん。場吉~。リコ先輩に振られちゃったよぉ~」
「あぁあぁしょうがねえなぁ。お嬢は昔っから友達作るの下手だからよぅ」
もくもくと。
どろどろと。
黒い煙がそれを染めていく。
倒壊した民家の瓦礫をはねのけるように、瘴気の塊が球形をなし、矢杉さんを守っていた。
「ふぅ~んだ。いいも~ん。もうこっちだって容赦しないも~ん。場吉! 奥の手いくよ!」
「いやあ。お嬢。もうやめといたほうが――」
「バ・キ・チ!!」
「あぃあぃ。了解だぁ」
ぎゅる。
ぎゅぎゅ。
場吉氏の腕が、捩じれた。
彼を中心に、瓦礫の中から次々に黒い煙が昇り、それが収束していく。
「『お前は誰でもない。だから、誰でもないのがお前なの』」
捩れて、捻れて、混ざり合う。
それは、虎? ライオン? それとも狼?
狒々? 犀? 象? 恐竜?
それは、なにものでもない。
ただ、人が惧れを抱くなにかそのもの。
正体不明の巨大な獣が、私たちの前に顕れた。
べぇあああああ!!!!
聞いたこともない咆哮が空気を震わせる。
「ふっふ~ん。どうですか。ここ数か月で溜め込んだ瘴気を全突込みした最強フォームですよ! 最後は物理で押し通す! 刀一本で何ができるか見せてもらいましょうか!」
そんなことを喚く矢杉さんを、ジンさんは一瞥し。
「…………」
無言で、人差し指を振った。
「え? え、なんです? なんのジェスチャー??」
困惑する矢杉さんに、ジンさんはもう反応せず、ただ無言で、妖刀を構えた。
うん。
まあ、そうだなぁ。
多分だけど……。
「「「ぶった斬る」」」
私たち三人の声が重なると同時。
べぉぉああああ!!!!
巨体が駆け出した。
一踏みごとに地面が揺れる。
それを――。
くぉん。
「『
何処からともなく聞こえた狐の鳴き声とともに咲いたオレンジ色の炎が、取り囲んだ。
びえあああああ!!!
獣の嘶きが荒れ狂う。
その巨体が足踏みをし、四肢を振り乱して奇妙な踊りを始める。
「ちょ、ちょっと、場吉!? 何してんの!?」
慌てて駆け付けようとした矢杉さんの眼前に、瑠璃色の燐光が舞った。
ひらり。
ひらり。
「『
「あ」
かくん、と。その夢幻のような微光に晒された矢杉さんの瞳から光が失われ、膝が崩れた。
そして――。
「…………」
踏み出す。ゆらりと。上半身がぶれる。
静から動へ。
刹那。コマ落ちしたような速度で、獣の足元に刃が迫る。
狐火を反射する、妖しの刃が。
斬!!!!
黒の巨獣を、真っ二つに斬り祓った。
び。べ。あ……。
呻き声が低く流れ、その身から黒い煙が流れ出ていく。拡散していく。
やがて残滓のような瘴気は再び収束し、人型をなした。
「場吉!」
僅かな時間で正気を取り戻した矢杉さんが駆け付ける。
そこに、ゆっくりと、ジンさんが歩み寄った。
再び、刀が構えられる。
「え。ちょ。ちょっと。やめて! やめてよ! 場吉が死んじゃう!」
「………」
ジンさんは何も言わない。
彼はその程度のことで、揺らいだりしない。
もぞもぞと動く場吉氏の体に矢杉さんが縋りつく。
また一歩。ジンさんが前に進み出た。
吉根先輩も、紫村くんも、何も言わない。
矢杉さんが、涙に濡れる瞳を私に向けた。
やだな。こっち見ないでよ。
さっき自分で言ったんじゃん。
私、赤の他人がどうなろうがどうでもいいんだって。
大体、そっちだって分かっててジンさんたちに敵対したんでしょ。
ご愁傷様。
……。
…………。
………………あ、でも。
パスタは美味しかったな。
「ジンさん」
私は、その黒づくめの背中に歩み寄り、袖を引いた。
そして――。
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