矢杉栄という少女

「あ、お母さん? ゴメン、急にバイト先から電話来て、今日シフト代わることになったから、帰りちょっと遅くな――え、違う違う今日は違うの。腐友のオフ会とかじゃなくて! 大丈夫、トラブルとかないから。ちゃんと帰るから。うん。ホントホント――」


 ふう。これでバイトが終わる時間まではアリバイを作れた。全く、察しの良い親を持つと苦労するぜ。

「三条さん。前になにやらかしたの?」

「え? なにが? なんの話? 全然分かんない。なに?」

 

 時刻は18時。

 私と吉根先輩、紫村くんの三人は、学校の最寄り駅から少し離れた場所にあるファミレスで顔を突き合わせていた。ジンさんとは向こうのお仕事が片付いてから必要があれば合流する予定だ。


 紫村くんが私の通話を盗み聞きしておきながら呆れた顔をしているが、そんなことは今どうでもいいのだ。以前ミーコの紹介で参加させてもらった腐女子仲間のオフ会で意見の食い違いから乱闘騒ぎになったことなんて、どうでもいいのだ。


 そう。今まさに私たちの学校で起きている怪事件。頻発する生徒たちの謎の昏睡。

 その八人目の被害者が、ついに私の身近な人たちから出てしまったのだから。しかも、問題はそれだけじゃなかった。


「あの。私の刺繍を持ってる人は被害に合わないはすじゃ……?」


 矢杉さんは、私が使っていた刺繍入りのペンケースを持ち帰っていたはずなのだ。

 それは、異形の力を打ち消す護符としての力を備えていたはず。

「ごめんね、三条さん。僕たちにも分からない。でも、昨日僕が見た限りじゃ、間違いなくあのペンケースの刺繍は効果を発揮してた」

「だが、これお守りだから、っつって渡したわけじゃねえだろ。四六時中持ち歩いてってこともねえだろうから、タイミングよく……いや、悪くか。匣を持たされちまったか」

「相手が狙ってそれを渡したか、かな」

「そんな……」


 正直なところ、私は彼女についてそこまで多くのことを知っているわけではない。

 元々サボり気味の部活だったし、そもそも集団への帰属意識に乏しい私だ。まだ出会って二か月ちょっとの後輩の子のことなんて、自分の中での優先度は低い。

 それでも。


『私、リコ先輩の刺繍、好きです!』


 そんな言葉とともに、ぴょこんと揺れた彼女のおさげ髪が、いやに鮮明に思い起こされた。

 そして、歯を剥き出しにしながら私に襲い掛かってきた葉山さんの姿がそれに重なり、胸が苦しくなった。


「あの、矢杉さんが例の黒い匣を持たされてるなら、今からでも回収できませんか」

「やってみるつもりではある。だが、それで矢杉が回復するかどうかは分からん」


 黒い匣は、人の感情のエネルギーを増幅させる装置だ。そして、今までの被害者たち――昏睡状態にある生徒たち七人に吉根先輩が接触したところ、匣自体は回収できたものの、そこにはほとんどあってないも同然の量のエネルギーしか残っていなかったのだという。

 つまり、回収されたのだ。匣の使用者に。


「三条さん。その子に刺繍を渡したのはいつ?」

「昨日の部活が終わった後だよ。私の刺繍を真似してみたいから、ちょっとだけ貸してくれないか、って」

「その時なにか変わった様子はなかった?」

「なかったと思うけど、あっても気づけなかったかも」

「三条さん、コミュ力低いもんね」

「紫村くん。私を内輪に入れた途端辛辣になるのやめて?」

 この腹黒イケメンめ。


「そうなると、少なくとも学校にいる間に匣を持たされた線は薄いかな」

 私の刺繍の力で匣を無力化、あるいは弱毒化できることは既に実証済だそうだ。

 つまり、私と会う前に匣を持たされていたなら、ペンケースを渡した時点で匣は効力を失う。

 その後に渡された匣が効果を発揮したというなら、彼女が一度帰宅し、ペンケースを手放したタイミングであるはず。


 ただ、そうなると敵の狙いがますます読めなくなる。

 ここは高等学校。校区内に生徒が集中する小中学校とは違い、生徒たちそれぞれの居住地はかなり広範囲に渡る。当然今までの被害者たちも、その自宅の場所はてんでバラバラだ。彼ら一人一人に狙いを定めたのだとすれば、一体何を基準に匣を持たせる相手を選んでいるのか。


「ちなみに、その矢杉さんっていうのは、どんな子なの?」

 紫村くんの問いに、私と吉根先輩が顔を見合わせつつ交互に答えた。

「ええっと、普通の子だと思うよ? 背は低めで、髪は長くて」

「親御さんの仕事が印刷屋だって言ってたな」

「あと、ブリのぬいぐるみのキーホルダーがトレードマークで」

「言わないようにしてたんだが、あれキモくねえか?」

「将来はバイク乗り回して旅行したいって言ってたような」

「なんか女子部員に対してスキンシップが多いだろ。三年でも二年でもお構いなしに胸触りにいくよな」

「あの。あれ、私は触りに来られたことないんですけど、どういうことですかね?」

「そういうことだろ」

「どういうこと!?」

「結構濃いキャラしてるね……」


 おや。心なしか紫村くんが引いている。

 おかしいな。我が手芸部の中ではそこまで目立つ子ではないのだけど。

「どんな部活なのさ」


 そんなやり取りをしていると、かつかつと、誰かがこちらに近づいてくる足音が聞こえ、私たちのテーブル席の前に人が立った。

 ウェイターさんが飲み物を持ってきてくれたらしい。

 紫村くんが愛想よく受け答えをして、コーヒーとカフェラテとほうじ茶ラテを配っていく。

 私はこういう時黙って顔を伏せているのだけど、ふと目に入ったウェイターさんの手が震えていることに気づいた。

 おいおい大丈夫か。新人さんかな?


「胸は、いい。それくらいでいい……。巨乳は虚乳……」


 そんな呟きが、耳に入った。

 んん?

 それは低く、掠れたような声で、思わず顔を見上げた私は、見てしまった。

 目をガン開きにして私を凝視する、若いウェイターさんの顔を。


「え。あの」

「おい、なんだあんた――」

「肩!!」


 不審気に声をかけた吉根先輩を無視して、その男が叫んだ。


「肩グル、肩、かた、カタカタカタ」


 黒い煙が。

 その体から溢れ出る。

 その感情が、暴走する。


「肩車ぁぁあああ!!! させろぉぉおおおおお!!!!」


 変態だーーーーーー!!!!

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