第53話 そう思えたから

 くしゃみの音で目が覚めた。自分がどこにいるのか分からなくて、チャッタはうつろな目で周囲を見回す。

 木屑が刺さりそうな窓枠とその向こうに見える砂色の住壁を見て、ここがジテネの町だと思い出した。

 どうやら考え込んでいる間に、そのまま寝てしまっていたらしい。


 自覚した途端に悪寒が走り、チャッタはマントを体にしっかりと巻きつけた。色々あって疲れていたとはいえ、窓を開けたまま寝てしまうとは迂闊だった。

 窓を閉めて暖かくして寝ようと指先を伸ばしたところで、目の端に何かが映る。


「あれはニョンと、ムル?」

 家と家との間、人一人がやっと通れそうな隙間に入り込んでいったのは、薄紅色の毛玉を肩に乗せた人物。そんな奇妙な生物を乗せている者など、一人しか思いつかない。


 深い藍色の夜空は、まだ日が昇るまでかなりの時間があることを想像させた。

 こんな時間に、どうしたのだろう。

 一瞬迷うが好奇心には抗えず、彼はマントを羽織り直すと外へ出ていった。




 ムルと同じように、家と家との隙間を通り抜けて後を追う。外壁に擦り付けられたマントが、砂に汚れて真っ白になった。体を横にしながらすり抜けて、ようやく広い場所へ出る。

 目の前に広がるのは、大小の岩石が転がる岩石砂漠だった。そのまま町の外れまで出てきてしまったようである。


 目当ての彼は砂漠の手前で蹲り、何かをしているように見えた。

 少し躊躇いつつもチャッタは声をかける。

「ムル、こんな時間にどうしたんだい?」

 気配を察していたのか、彼は特に驚いた素振りは見せなかった。ムルは立ち上がり振り返ると、受け皿のようにした手のひらをチャッタへ差し出す。


 その上には球体状のものが乗っていた。岩の表面のようにゴツゴツした表面に、左右二本ずつ長さの異なる小さな突起が生えてる。この生物は、確か。


「パキアルマジロ?」

「——の、子どもらしい。怪我をしていたのをニョンが見つけたんだ」

 小さな生き物はムルの手の上で一回転する。現れたつぶらな瞳がチャッタを見上げた。一部のトゲの長さが不揃いなのは、折れてしまっているかららしい。


 パキアルマジロは、体に生えたトゲから周りの水分を集めて得ることができる。それによって厳しい砂漠の中でも生きられるのだが、トゲが折れているとなると脱水などが心配である。


「さっきまで水を直接飲ませていたから、少し元気になったみたいだ」

 そう言ってムルは背後を振り返る。転がる岩石の一部が蠢いていたので目を凝らせば、そこにもパキアルマジロがいた。ムルは身を屈めると、手のひらに乗った子どもをそっと地面に置く。


 子どものパキアルマジロは真っ直ぐもう一匹の方へ向かっていった。二匹の大きさの違いからすると、親と子なのかもしれない。


「後のことは任せよう」

 ムルが祈るように、小さな声で呟く。

「ちゃんと、怪我が治るといいな」

「うん。そうだね」


 トゲはまた生えてくるが、その間に十分水を得られるかどうか。

 こちらにできることは、祈ることだけだ。


「俺に」

 珍しく、ムルが沈黙を破った。

「俺に魔術がちゃんと使えたら。そう思う瞬間はたくさんあるんだ」


 ムルは下を向いて、右手を強く握り締めた。風が二人の間を抜けていく。砂が転がる音が沈黙を埋めていった。冷たい空気で、むき出しの鼻がツンと痛む。

 チャッタは、前を向いたままのムルへ視線を向ける。寒さからか、彼の頬も少し赤みを帯びているようだ。


「ムルは――記憶を取り戻したい?」

 唐突な問いかけだったが、ムルは視線をアルマジロ親子が去っていった方へ向けたまま答えた。


「ずっと、何かに急かされている気がするんだ。とても、とても大事なことを忘れてしまっているような気がして」

 彼はそっと、自分の左胸に手を当てる。

「でも誰も水の蜂の行方を知らなくて、俺の力も中途半端で。ずっと、どうしたら良いのか分からないままなんだ」

 彼の声が風に運ばれ、夜の砂漠に広がっていく。

 考えるよりも先に、チャッタの口からその言葉が滑り出た。


「ムル。僕と一緒に来ないか?」

 心臓が大きく鼓動を刻んでいる。

 悩み続けていた問題の答えにたどり着いた。

 そんな喜びと興奮が胸の底から湧き上がってきて、チャッタはムルに正面から向き直る。


「僕は、水の蜂の痕跡を追って旅をしている。彼女たちがいなくなってしまった理由を知りたかったから。いや、そうじゃない。水の蜂は滅びてしまったと言われているけれど、その証拠はどこにもないから、もしかしたらどこかで会えるかもと思って、そう思って僕はずっと旅を続けてきたんだ」


 自然とチャッタの声が大きくなっていく。ムルは薄く唇を開いたままチャッタを見つめていた。


「君が生きているんだから、他にも生き残って命を繋いでいる水の蜂がいるかもしれない。僕はこれからも水の蜂の痕跡を追うつもりだ。だから一緒に行かないか? そうしていれば、いつか君の記憶も取り戻せるかもしれないだろう!?」


 全力で走った後のように、チャッタは肩から大きく息を吐いた。

 何を熱くなっていたのかと、我に返って顔を赤く染める。所在なさげに視線を泳がせて、ムルの様子を伺う。

 真っ直ぐに自分を見つめていた彼は、口を開いた後、少しだけ間を開けて声を発した。


「俺が水の蜂だと、信じて良いのか?」

 表情は変わらないが、その慎重に紡がれた言葉がムルの不安げな気持ちを伝えてくるようだった。

 そんな彼を安心させるように、チャッタはふっと力を抜いて柔らかく微笑む。

「信じるよ。だって――」


 誰よりも優しい君が、そうだったら良いなと思えたから。


 それを告げた瞬間、ムルの瞳が僅かに見開かれた。


 迷わず自分やアルガンを助けてくれたこと。こちらを攻撃してきた大蛇をも救おうと、懸命に戦ってくれたこと。

 先程の小さな命を案じるその心も全て、チャッタには眩しいくらいの優しさに溢れていたのだから。


「それに君って、絶対に嘘がつけなさそうだしね。記憶を失くしていても、本質的に、意地でも本当のことしか言えなさそう」

「俺だって嘘くらいつく」

 少しだけ口を尖らせたムルに、チャッタは思わず声を出して笑ってしまった。

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